第11話 桃花と咲耶、キッチンへ向かう
二人で他愛のない話をしながら、キッチン目指して歩いている途中のことだった。
咲耶はふと、あることを思い出し、桃花に訊ねた。
「そう言えば、桃花。楠木の部屋には、何しに行ってたんだ?」
「えっ?……何しに、って……」
桃花は一瞬、『あれ? わたし、何しに行ったんだっけ?』と考え込みそうになったが、すぐに、
(……あっ! クッキー!)
と思い出し、ピタリと立ち止まった。
(そーだ。わたし、楠木くんにクッキーを……プレゼントを渡しに行って……。それで、どーしたんだっけ?……えっと、確か……楠木くんの様子が変だったから、心配になって……ベッドの上から楠木くんに近付いてって、それで……)
結太に圧し掛かられるようにして、ベッドに倒れ込んでしまった時のことが脳裏に浮かび、桃花の顔は一瞬にして朱に染まった。
「桃花っ!? どっ、どーしたんだ、顔が赤いぞ!?――熱か!? 熱があるのかっ!?」
とたんに騒ぎ出す咲耶に、桃花は慌てて首を振る。
「ちっ、違うの咲耶ちゃんっ! 何でもないのっ、何でもないからっ!」
「だが、顔が――っ! 顔が、まるで赤べこのように真っ赤だぞ!? 熱じゃなかったら何だ!? 何なんだ桃花っ!?」
がっちり肩を掴まれ、軽く前後に揺さぶられながら、
(……〝あかべこ〟……? あこべこって、何……?)
などと、思わず考えてしまう桃花だった。
※余談だが、知らないという方に説明しておこう。赤べことは、福島県会津地方の郷土玩具であり、〝べこ〟は東北地方の方言で〝牛〟を意味する。赤く塗られた張り子(竹や木などで組んだ枠や、粘土で作った型に、紙などを張りつけたもの)の牛で、首の部分だけがゆらゆら揺れるように作られている、見た目も愛らしい玩具だ。
咲耶に体調を心配されながらも、どうにかごまかし、再びキッチンに向かって歩き出した二人だったが、桃花は一人、渡せなかったプレゼントの行方を気にしていた。
(えっと、ベッドに上がった時、プレゼントはまだ持ってた……よね? 右手に持って上がって、左手で、赤ちゃんがハイハイするみたいにして、楠木くんに近付いてった……はず。……で、その後は……)
またしても脳内に、結太と重なり合って倒れた時の光景が浮かび、桃花は慌てて首を振った。
少し前を歩く咲耶の背を窺い、今度は気付かれずに済んだことに、ホッと胸を撫で下ろす。
桃花も、咲耶が心配してくれるのは嬉しいのだが、時々、困惑するほど過保護だったりするので、そのたびに、対応に苦労するのだ。
(咲耶ちゃんは、いつもわたしのことばかり気にしてくれるけど、最近は、咲耶ちゃんの方こそ心配だよ。ホントに、秋月くんと何があったの? わたしには、相談出来ないようなことなの?……そりゃあ、わたしに相談したって、解決出来るようなことは何もないのかもしれないけど……。何だか寂しいよ、咲耶ちゃん……)
自分が頼りないのはわかっている。
昔から、いつだって咲耶の背に隠れ、守ってもらって来たのだ。
幼い頃は咲耶のことを、それこそ、王子様のように思っていた。
咲耶と一緒なら、いつも笑っていられた。
咲耶には、一生掛かっても返しきれないほどの恩がある。
だからこそ、困っているのなら、少しでも力になりたいと思うのだ。
(わたしがもっとしっかりしてたら、咲耶ちゃんも相談しやすいんだろうな。わたしが頼りないばっかりに、咲耶ちゃん一人悩ませて……。情けないな。友達の相談役にすらなれないなんて……)
咲耶がこれを聞いたら、全力で否定するだろうが、桃花は本気でそう思っていた。
いつも支えてもらってばかりで、自分は何も出来ていないと。
(もっと、もっと強くならなきゃ。咲耶ちゃんが頼ってくれるくらい、強くならなきゃ。……今はまだ、無理かもしれないけど……いつか絶対、何でも一人で解決出来るような、自立した人間になって、咲耶ちゃんに恩返しするんだ!)
咲耶の幸せは、〝いつまでも桃花と共にいること〟だ。
それが無理でも、〝出来るだけ長く、桃花と共にいたい〟と願っている。
桃花が頼って来てくれることは、咲耶にとって喜びなのだ。
しかし桃花は、咲耶のためにも早く独り立ちして、頼らずに生きて行けるようになりたい。ならなければと思っている。
咲耶の庇護を受けないでいられるようになることこそが、咲耶のためになるのだと、信じているのだ。
お互いのことを想い合いながら、願いは別々であることに、二人は気付いていない。
それは不幸なことなのか、幸せなことなのか……。
答えが出るのは、まだ先のことになりそうだった。
「あらあら、お二人お揃いで。――ちょうどようございました。直にご夕食ですので、あちらのダイニングで、お座りになってお待ちください」
キッチンに顔を出すと、振り返った宝神から、そう声を掛けられた。
そうか、もうそんな時間なのかと、二人は顔を見合わせ、ヒソヒソと話し合う。
「どうする、咲耶ちゃん? 夕食前だけど、ウーロン茶頼んじゃう?」
「いや、やめておこう。夕食は腹いっぱい食べたいからな」
「そっか。じゃあ、宝神さんの言うとーり、テーブルに座って待ってよう」
「ああ、そうだな」
一応、手伝えることはあるかと訊ねたが、『まあ。坊ちゃまのお客様にお手伝いさせるなんて、とんでもないことでございますよ!』と、想像通りの答えが返って来た。
勝手を知らない人間に、手伝わせてくれと言われても、かえって迷惑かもしれない。ここはお任せしようということになり、二人は、大人しくダイニングルームへと向かった。
「お昼はビュッフェ形式ってことだったけど、夜はどうなんだろうね?」
「う~ん……どうだろうな。ビュッフェ形式の方が、気兼ねなくおかわり出来るからな。私としては、そちらの方がありがたいんだが……」
テーブルに座り、二人でそんな話をしていると、ドアが開き、結太が入って来た。
「あ……」
二人の姿が目に入ったとたん、気まずく視線を外し、その場で固まる。
だが、すぐに龍生も入って来て、固まっている結太に目を留めると、ポンと肩を叩いた。
「何をしている? 早く席に着け」
「へっ?……あ、ああ、龍生か。……けど、席……って言われても……」
結太の視線の先には、並んで腰を下ろす、咲耶と桃花の姿があった。
普通なら、二人の向かい側の席に、龍生と並んで座るのが、正解なように思える。
だが、ここに入って来てからずっと、咲耶に睨み付けられている結太には、その選択をすることは難しかった。
「……仕様のない奴だな。側に行くのさえ、ためらわれる状態だというのは理解出来るが、いくら席が空いているといっても、離れた場所に座るのも妙だろう。覚悟を決めて、おまえは保科さんの正面に座れ」
「ええッ!? 保科さんのッ!?」
思わず大声を出してしまい、しまった、と気付いた時には遅かった。恐る恐る様子を窺うと、咲耶は敵意に満ち満ちた目で、まっすぐ結太を見据えていた。
「仮にも、俺は伊吹さんと付き合っている身だ。伊吹さんの正面に座るのは、おまよりも、俺の方が自然だろう? ああも睨まれていては、居心地が悪いかもしれないが、ここは我慢しろ」
龍生に耳元でささやかれ、それもそうだと、ガクリと肩を落とす。
(今日の夕食、いくらも喉を通りそーにねーや……)
何だか泣きそうな気分になりながら、結太は咲耶の前の席に、そろそろと腰を下ろした。