第10話 咲耶、部屋から出て来た鵲に動揺する
咲耶が桃花の手を引いて、自分達が泊まる部屋の前まで来ると、ドアを開け、鵲が出て来るところに出くわした。
「――あ。保科様、伊吹様、おかえりなさいませ」
女性が泊まるはずの部屋から出て来たところを、こんなにも間近で目撃されたというのに、何とも堂々たる態度だ。
咲耶も桃花も、一瞬、思考が停止してしまった。
「な……っ、お、おまえ、何をしているっ――いや、いったい何をしていたんだ、私達が泊まるはずの部屋でッ!?」
一拍の間を置いて、咲耶が慌てて訊ねると、鵲はきょとんとした顔で二人を見返し、特にうろたえる様子もなく、
「……は? あの……何をしていたかと申しますと、坊に頼まれまして、トイレに水没してしまっていたものを、回収しに参ったのですが……」
「トイレに水没していたもの……?」
不思議そうにつぶやく桃花に、咲耶はハッとし、
「そっ!――そそそそうかっ! そ、それはご苦労だったな! ではっ、もう用はないんだろう? 直ちに秋月の元へ戻るといい! 私たちはこれで失礼するっ」
桃花にあのことを知られてはいけないと、咲耶は焦ってドアを開け、桃花の手を引いたまま部屋に入った。
「さ、咲耶ちゃん? どーしたの?」
咲耶がこれほど狼狽えるのも珍しい。
桃花は小首をかしげて訊ねたが、咲耶は全力で首を振った。
「何でもない何でもないっ! 桃花が気にするようなことは何もないぞっ? 安心しろっ」
「そ……そー……なの?」
よくわからないが、どうやらまた、咲耶と龍生の間で何かあったらしい。
桃花は気になって堪らなかったが、無理に聞くのはよくないと、今回も問いただすのは諦めた。
だが、部屋に入ってからの咲耶は、周囲をやたら窺ったり、部屋に備え付けられている家具のあちこちや、壁のコンセントに挿し込まれているプラグなどを、まじまじと見つめたり触ったりと、どう考えてもおかしかった。
ローチェストの引き出しの中を見るだけなら、『何が入っているのか確かめてるのかな?』と思うだけなのだが、引き出しを全て引っ張り出して裏側を見たり、机の下に潜って裏側を見たり、ベッドの下側を覗いたり、枕を叩いたり、裏返してファスナーを開け、カバーの中を確かめたりと、妙な行動ばかりだ。
「咲耶ちゃん……ホントにどーしたの? 何か探してるの?」
この部屋で、何か大切なものでも失くしてしまったのだろうか?
心配しつつ訊ねると、今度はサイドテーブルに置かれたランプを持ち上げ、ランプシェードの中を覗き込んだりしている。
「ああ、まあな。あの部屋にあって、この部屋にないとは限らんからな。しっかり、隅々まで確認しておかないと――」
咲耶はブツブツとつぶやきながら、次は、高級そうな陶器製の置時計に手を伸ばした。それを耳元に持って行き、左右に振ったりしている。
「『あの部屋にあって、この部屋にないとは限らん』……? えっ……と、何があるの?」
「決まっているだろう! とうちょ――っ」
「…………とうちょ?」
「いやっ、違――っ!……ち、違う! 〝とうちょ〟、ではなく、だな。その……」
うっかり『盗聴器』と口走ってしまいそうになり、慌てて取り消す。
しかし、途中まで言ってしまった〝とうちょ〟の方は、どうごまかせばいいものか。
正直に話せば、龍生に良い印象を抱いている桃花を、傷付けることになる。
龍生がやろうとしたことは絶対に許せないが、だからと言って、桃花を悲しませるのも嫌だった。
(とうちょ……とうちょ……。〝とうちょ〟で始まる言葉、何かないか?……とうちょ……うぅ~ん……とうちょ……)
「そーだ、凍頂っ!――凍頂烏龍茶だッ!!」
パッと頭に思い浮かんだ言葉を、そのまま口にする。
「……とうちょー……ウーロン茶?……咲耶ちゃん、ウーロン茶が飲みたいの?」
「ああ、そーだっ!!――飲みたいッ!! すっごく飲みたいッ!!」
「……そ……そー……なんだ……」
桃花は首をかしげつつ、『ウーロン茶飲みたいなら、宝神さんに頼んだ方が早いと思うけど……』などと考えていたが、それ以前に、ウーロン茶を求めて部屋のあちこちを探し回るという行為自体、意味がわからなかった。
(秋月くんに、『この部屋のどこかにウーロン茶を隠した』とかって、言われたとか……?)
そこまで考えてみて、桃花はプッと吹き出した。
我ながら妙な想像をしたものだと、呆れてしまったのだ。
「――ん? どうした、桃花? 何がおかしいんだ?」
ポカンとした顔で見返され、桃花はクスクス笑いながら首を振った。
「ううん、何でもないの。……それより咲耶ちゃん。そんなにウーロン茶が飲みたいんなら、下のキッチンに行って、宝神さんにお願いしない? わたしも喉渇いちゃったから、一緒に行こ?」
「……あ、ああ。そうだな」
たぶん、妙だと思われてはいるのだろう。
それでも、特に何かを訊ねるでもなく、話を合わせてくれる桃花にホッとし、また、感謝もしつつ、咲耶は微笑んだ。
とりあえず、ざっと見たところ、盗聴器らしきものは見当たらなかった。
いくら龍生と言えど、女性が泊まる予定の部屋に、盗聴器を仕掛けることはないだろうとは思うが、油断しないに越したことはない。
(まったく、秋月め! 桃花の気持ちを知るためとは言え、盗聴器などという、卑劣な手を使おうとは……。確か、盗聴は吹聴したり公開したり、それをネタにして脅したりしなければ、罪にはならんということだったはずだ。――だが、それはあくまで、日本の法律上でのことに過ぎん! 正義に反するような汚い真似、この保科咲耶は絶対に許さんぞ! 今度また、あのような手を使って、桃花を傷付けるようなことをしたら、その時こそ……私が成敗してくれるわ!)
龍生に対する怒りの炎をメラメラと燃やしながら、咲耶は桃花と共に部屋を出、キッチンへと向かった。
向かう途中にも、
(とにかく、どんなに嫌でも、あと二日は、ここに留まらねばならんのだからな。その間、桃花は必ずや、この私が守ってみせる!)
決意を新たに、咲耶は拳を握り締めた。