表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
50/297

第9話 結太、桃花を咲耶に連れ去られ呆然とする

 衝撃的な場面が信じられず、呆然としてしまっていた咲耶だったが、それは結太も桃花も同じだったらしい。

 双方一言も発さない時が、十数秒ほど続いた。


 沈黙の後、最初に口を開いたのは桃花だった。


「さっ、咲耶ちゃん違うのっ! これは…っ、これはあのっ、えっと……」


 何か言いたいことがあるのだろうが、桃花自身混乱しているのか、スムーズに言葉が出て来ない。

 口ごもる桃花を前に、結太もようやく我に返り、(おお)(かぶ)さっていた体を慌てて離すと。


「ごっ、ごめん伊吹さんっ!! オレっ、あの…っ、そんなつもりじゃなくてっ」

「うっ、うん! だいじょーぶっ、わかってるからっ」


 二人は何やらあたふたと、お互いにしか通じない話をし始めた。

 そこで咲耶は、プツンと、自分の中の何かが切れる音を聞いた。


「桃花ッ!! ここにいてはダメだッ! 早く部屋に戻るぞッ!」


 言いながら、まだベッドの上にいる桃花に近付き、片手を荒々(あらあら)しく掴んで引っ張る。


「痛っ!――咲耶ちゃん、待って? わたし、まだ楠木くんに話が……っ」

「ダメだッ!! ここでは話すなッ!!」


 咲耶の一喝(いっかつ)に、桃花はビクッと肩をすくめ、目をつむった。


「……咲耶……ちゃん?」


 恐る恐る、再び目を開けると、咲耶は、今まで桃花が見たことのない――向けられたことのない、厳しい顔つきをしていた。


「あの……何か、怒ってる……? え、と……もし、今見たことで怒ってるんだったら、違うのっ。楠木くんはね、わたしが――」

「そういうことじゃないッ!!」

「――っ!……咲耶ちゃ……?」


 咲耶の苛立(いらだ)ったような声に、桃花は困惑した。


 咲耶は、自分の心に嘘がつけるタイプではない。

 だから今までにも、何かに対し、怒りを(あら)わにしたことはあった。


 だが、それはいつも、桃花以外に対してであって、桃花自身に怒りを向けられたことなど、一度もなかった。


 それなのに、今の咲耶は、桃花に対して怒っているように思える。



(わたし、そんなに咲耶ちゃんを怒らせるようなこと、しちゃったのかな……?)



 ずっと咲耶に甘やかされて来た桃花にとって、これは初めての体験だった。

 彼女の怒りの原因が何であるのか、いくら考えてみても、正解に近いであろう答えには辿り着けず、すっかり、心細くなってしまっていた。


「とにかく、ここはダメだ!! 話したいことがあるなら、別のところで話せ! いいな? 頼むから約束してくれ、桃花!」


 咲耶は桃花の両手を取り、ギュッと握ると、今にも泣き出しそうな表情で懇願(こんがん)した。


 こんな弱々しい咲耶を見るのも、初めてだった。

 桃花は更に動揺し、ただただ、安心させたい一心で、こくこく首を縦に振った。


「そうか、わかってくれたか!――では、行こう!」


 結太には少しも目もくれず、咲耶は桃花の手を引き、部屋を出て行こうとしている。

 そこで焦った結太は、『伊吹さん!』と声を掛けてしまったのだが、咲耶に敵意丸出しの顔で睨まれ、それ以上、何も言えなくなってしまった。



 二人が去った後、一人残された結太は、ベッドの上で呆然としてしまっていたのだが。

 しばらくの後、


「あああーーーッ!! またやっちまったあああーーーーーッ!! せっかくのチャンスを……誤解を解くチャンスをぉおおおおおッ!!」


 体を丸め、ベッドを拳でバンバン叩きながら、結太は己の要領(ようりょう)の悪さを(のろ)った。


 誤解を解くどころか、話さえまともに出来なかった。


 ……いや。

 話どころか、最初に妙な妄想をしてしまっていたせいで、恥ずかしくも情けなく、桃花の顔さえ、まともに見られなかったではないか。


 おまけに、自分からかなりの距離を置いて……。


 あれでは、桃花に(いぶか)しがられ、心配されてしまって当然だ。


 あの時。

 桃花に背を向けて座っていた結太には、彼女がいつの間にかベッドに上がり、ハイハイをするようにして、背後まで近付いていたことがわからなかった。


 だから、『このままじゃ誤解を解くどころか、新たな誤解を生んじまうんじゃねーか?』と焦って振り返ったとたん、すぐ側まで来ていた桃花と、ぶつかってしまったのだ。


 そしてその拍子(ひょうし)に、お互いがバランスを崩し、結太が桃花の体に覆い被さるような形で、倒れ込んでしまった。


 ……というのが、咲耶がドアを開けた瞬間に目撃したことの真相だ。


 だが、あの態勢では、〝結太が桃花に襲い掛かっている〟ように見えてしまったとしても、無理はない。

 咲耶は、完全に誤解してしまっているだろう。

 憎しみのこもった目で睨みつけられ時に、結太はそれを覚った。



(あー……マズいマズい。ぜってーマズいよな、この状況? 伊吹さんと仲の()ー保科さんに、悪印象持たれちまった。……もう、伊吹さんに近付くことすら、許してくんねーかもしんねー……)



 ベッドに突っ伏し、ひたすら落ち込んでいると、スマホから着信音がした。

 結太は突っ伏した体勢のまま、ハーフパンツのポケットの中に片手を突っ込み、スマホを取り出すと、


「……はい」


 覇気のない声で応答する。

 すると、開口一番(かいこういちばん)


『すまん、結太』


 珍しく、龍生が謝罪の言葉を口にして来て、結太の頭は『(クエスチョン)』だらけになった。


「……あ? 何いきなり謝ってんだよ? 明日は雪か? 猛吹雪(もうふぶき)か? 今はまだ春だぞ。異常気象は勘弁してくれ」


 落ち込んでいる状態ではあるにせよ、龍生が謝って来ることなど滅多にないので、自然と、そんな言葉が口を()く。

 龍生は軽くスルーして、


『保科さんが行っただろう?』


 とだけ訊いて来た。


「は?……ああ、まあ。……今、出てったけど……」


『伊吹さんを連れて、だな?』


「え?……ああ、うん……」


 沈んだ声で肯定(こうてい)すると、深いため息の音が聞こえた。


 実は、これも珍しいことだった。


 わざとらしくため息をついてみせ、『バカだな』などと言って来ることはしょっちゅうなのだが、本心からのため息は、人に聞かれることを良しとしない。それが、秋月龍生という人間だった。


 参っていることや、困っていることなどは、他人には一切知られたくない。涙を見せることも、弱みを見せることも、極端に嫌う。

 そのどれもが、プライドの高さから来るものなのだろう。


 龍生のように、敵意や嫉妬(しっと)など、負の感情を向けられやすい家に生まれると、弱みを見せたとたん、一斉に攻撃されたり、非難されてしまう恐れがある。

 だから、好むと好まざるとにかかわらず、自然とそういう性格になってしまうのかもしれない。


 長年の付き合いで、それを理解している結太は、彼のそんな性質も、特に気にすることはなかったのだが……。


 プライドの高い龍生が、どうやら、心底参っているらしい。

 素直にため息を聞かせて来るのが、その証拠だ。


 結太は丸まっていた状態から、むくりと体を起こし、


「何だ? マジでどーかしたのか? おまえがそんな風にため息つくの、珍しーじゃねーか」


 心配になって訊ねると、龍生は数秒の沈黙の後、


『ああ。今回ばかりはお手上げだな。完全にしくじった。保科さんをこちら側に引き入れて、おまえの恋の成就(じょうじゅ)のために、協力してもらうはずだったんだが……』


「えっ、保科さんを引き入れる!? でもって、オレの恋に協力!?」


 興奮する結太に、龍生は再びため息をつく。


『……そのはずだったんだが、な。かなり怒らせてしまって、計画は水泡(すいほう)()したよ。協力どころか、大きな障害になる可能性も出て来た。だから……すまない、結太。今まで以上に困難な状況になってしまったが、恋は自力で勝ち取ってくれ』


「今まで以上に……困、難……? 自力で……勝ち取る……?」


 オウム返しでつぶやくと、結太はみるみるうちに()(さお)になった。


「えええーーーーーッ!? 今までだって充分困難だったってーのに、さらに困難になっちまったのかーーーーーッ!?」


 先ほどの咲耶の表情を思い返し、結太は絶望的な気分になった。

 龍生がどんなことをやらかし、彼女を怒らせてしまったのかは知らないが……その後でまた、()()を見られてしまったワケだ。



(……ダメだ。これっぽっちも、うまく行く気がしねー……)



 誤解すら、まだ解いていないというのに。

 咲耶に悪印象を植え付けてしまった後では、これから先、何をしようにも、絶対邪魔されるに違いない。


 前途多難(ぜんとたなん)な恋路に打ちのめされ、結太は、ベッドに頭突きする勢いで突っ伏した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=on
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ