第5話 結太、桃花と二人きりの部屋で妄想する
桃花に入ってもらったはいいが、どこに座ってもらえばいいのだろうと、結太は改めて部屋の中を見回した。
部屋に備え付けられているのは、セミダブルほどの大きさのベッドが二台と、洒落たアンティーク風のローチェストが二台、大きめの机と椅子が一脚。
そのうち、机に備え付けられているはずの椅子は、鵲が結太の様子を見ている時に移動させたのか、今はベッドの横にある。
(やっぱ伊吹さんには、ベッド横の椅子に座ってもらうしかねーよな? 他に座れそーなとこったら、ベッドしかねーし。向かい合わせでベッドに座るってのも、なんか変だしな。だからって、同じベッドに座るわけには……)
ここで一瞬、結太の脳裏に、桃花と並んでベッドに腰掛ける、自分の姿が浮かんだ。
結太の脳内で、二人は互いにもじもじとしながら、真っ赤になってうつむいている。
そこで結太は、思い切ったように顔を上げ、桃花を見つめながら。
「伊吹さん! 実はオレっ、入学式の日に君を見掛けた時から、ずっと気になってて――っ!」
「えっ?……でも結太くんは、秋月くんのことが好きなんじゃ……?」
「いやっ、それが違うんだ! 誤解なんだ! オレはあの時、君に告白する練習をしてただけなんだよ! 龍生は、それに付き合ってくれてただけで――っ」
「……わたしに告白する、練習……?」
「そうっ、練習っ!!――だからっ、オレが好きなのは……本当に好きなのは――っ」
そこで、結太は桃花の手を握り、まっすぐに彼女を見つめる。
「伊吹さん、君が好きだッ!! 一年以上、ずっと、ずっと好きだった!! もしよければ、オレと……オレと付き合ってくださいッ!!」
「……結太くん……」
桃花の瞳がうっすら濡れて、キラキラと輝いて見える。
思わずぼうっと見惚れていると、彼女のもう片方の手が、結太の手にそっと重ねられ、彼女もまた、まっすぐに見つめ返して来た。
「ありがとう。すごく嬉しい。……実は、わたしもずっと、結太くんのこと……」
「伊吹さんっ!!」
結太は思い切り、桃花の体を抱き締めた。
それから、少しずつ体を離して行き、再び見つめ合った二人は。
「伊吹さ――……いや、桃花ちゃん」
「……結太くん」
「桃花ちゃん……」
「結太くん……」
互いの名を呼び合いながら、ゆっくり……ゆっくりと、顔が近付いて行く。
「……桃花ちゃん……」
あと少しで、互いの唇が重なる――……と思った瞬間。
「楠木、くん?」
「――っ! ぅわぁぅあぁあッ!!」
妄想が突然断ち切られ、結太は大声を上げて飛び退る。
桃花はビクッと肩を揺らした後、一歩足を引き、目をまん丸に見開いた。
「あ……。ごっ、ごめんっ!! ちょっとボーっとしてたっ!!」
「……あ……。う、うん。大丈夫。ちょっと、ビックリしちゃっただけ」
慌てて謝る結太に、桃花はニコリと笑ってみせる。
笑ってくれたことにホッとしつつも、結太は心の中で、自分自身を責め立てた。
(バカかオレはッ!? 伊吹さんの前で、何妄想してんだよッ!? だいたい、伊吹さんはオレのこと、『結太くん』なんて呼ばねーだろッ!? いっつも『楠木くん』だろーがッ!! それに、誤解解いてからの告白までの流れ。あんな簡単に行くわけねーっつーの!! あんな簡単に事が進むんなら、誰も苦労しねーって!! その上、キス寸前までとか行くかバカヤローッ!! 夢見過ぎなんだよッ、オレのアホッバカックソッカスッ!! あんな妄想、清楚な伊吹さんに対して失礼だろーがッ!! 反省しろっ、この最低クソ野郎がぁああああッ!!)
思わず、『何もそこまで……』と言いたくなるほどの自分へのツッコミだが、結太自身は、本気でそれくらい猛省していた。
結太も男だ。
しかも、高校一年の、健康的な少年だ。
妄想くらい、一日に何度だってする。
内容的には、もっとキワドイ――……いや。極めてイカガワシイ妄想だって、することはある。
だが、妄想の後にはいつも、後悔の嵐が待ち受けていた。
特に、桃花の純粋な言動、常にウルウルキラキラと輝いているように見える瞳、心が温かくなるような天使の微笑み(これも結太の妄想に近いが)を見るにつけて、イカガワシイ妄想をしてしまった己が、ただただ恥ずかしく思えて来るのだ。いっそ消えてしまいたい――という衝動に駆られることも、しばしばだった。
(――ダメだ! オレみてーな醜い男が、清らかな伊吹さんの隣に座るなんて、絶対ダメだッ!!)
結太はベッド横の椅子の背もたれを持つと、
「ここっ! 伊吹さんは、ここに座ってくださいっ!!」
と言って、桃花の前に置いた。
「えっ?……あ、は、はい」
桃花は少し驚いたようだったが、言われたとおり、勧められた椅子に座った。
結太はと言うと、目の前のベッドではなく、もう片方のベッドの向かい側まで歩いて行き……何故か、桃花に背を向ける形で腰を下ろした。
「楠木……くん?」
何故わざわざ、あんなに離れた場所に座るのだろう?
もう片方のベッドの端から――しかも、背を向けられた状態で話をされても、聞き取れない可能性だってあるのではないか?
どう考えても、これから話をしようという、距離の取り方ではなかった。
もしかして、拒絶されているのだろうか?
自分とは話したくないという、意思表示なのか?
桃花は不安になり、恐る恐る声を掛けた。
「あの……楠木……くん? どーして、そんなに遠くに……座るの?」
「えっ?……あ、いやっ。……それは……」
直球の質問に、結太は思わず言い淀んだ。
まさか、『オレみたいな穢れた人間が側にいたら、伊吹さんまで穢してしまいそうで怖い』から――とは言えない。
「え……っと、あの……。ほっ、ほらっ。やっぱ、伊吹さんは龍生のこっ、……恋、人……だからさ。二人っきりの部屋……とか、あんまよくねーかなー……とかって、オレも、いろいろ考えちまって。一応オレ、龍生のダチだし……さ」
自分で言ったセリフに、自分で傷付いていた。
思わず口から出てしまった言葉だったが、出来れば言いたくなかった。『龍生の恋人』などとは。
そして、桃花もまた、傷付いていた。
自ら引き受けてしまった役割ではあるが、出来れば言われたくなかった。結太に、『龍生の恋人』などとは……。
お互いが気まずい思いを抱えたまま、その後しばらく、二人の間には沈黙が横たわった。