第3話 桃花、結太のいる部屋の前でためらう
桃花は今、結太のいる部屋の前にいた。
プレゼントの小箱を抱え、片手をノックする形にして、空中で停止させたまま、かれこれ三分は経過している。
結局、エントランスで、二人にプレゼントを渡すことは出来なかった。
龍生は用があると言い、すぐにどこかへ行ってしまったし、咲耶はとても疲れた様子で、顔色が悪かった。
桃花は、プレゼントのことは一先ず置いておくことにし、咲耶と共に客室に戻った。
部屋に戻ると、咲耶はベッドに腰を下ろし、『少し疲れただけだ。心配するな』と言って、力なく笑った。
どう考えても、無理に明るく振舞っているようにしか思えない。桃花は、余計心配になってしまった。
(やっぱり、秋月くんと何かあったんだよね? 何があったかはわからないけど……咲耶ちゃんのために、わたしが出来ることってないのかな?)
考えた末、桃花は、『夕食まで横になってて? わたし、ちょっと外に出て来る』とだけ伝え、部屋を出た。
こういう時、側にいてあげた方がいいのか、一人にしてあげた方がいいのか……。
かなり迷った挙句、疲れているのなら、休ませてあげた方がいいだろうと判断し、部屋を出ることを選んだのだ。
そして、桃花にはもうひとつ、済ませたい用事があった。
〝結太と龍生に、プレゼントを渡す〟ことだ。
龍生は『用がある』と言っていたし、どこにいるかわからない。
まずは結太に渡そうと、部屋の前まで来たわけだが……。
(ああ~~~、どーしよーーーっ? やっぱり気まずいよ~~~っ。プレゼント、渡すつもりで来たけど……今更、どんな顔して、楠木くんに会えばいーんだろ……?)
ノックしようとするたびに、そんな思いが脳裏をかすめる。
そしてまた、片手が宙に浮いたまま、立ち尽くす羽目になるのだ。
桃花は、こんなことではいけないと、ノックしようとしていた手で頬をピシャリと叩き、自身に気合を入れた。
(ダメダメっ、勇気出さなきゃ! 失礼なことしちゃったのは確かだけど、謝れば、きっと許してくれるよ! 楠木くん、顔つきはちょこっと怖いけど、優しい人だってこと、わたし、もう知ってるもの!)
「――よしっ」
小さくつぶやき、ドアの手前で静止していた片手を、軽く振り上げる。
瞬間、内側からドアが開き、桃花は『ひゃわぁぅっ』という奇妙な声を上げると同時に目をつむり、頭を抱えて、体を小さく丸めた。
「……伊吹さん?」
聞き覚えのある声に、慌てて顔を上げる。
目の前には龍生が立っていて、不思議そうな顔つきで、桃花を見下ろしていた。
「あっ。秋月くんっ?」
まさか、ついさっき、エントランスで別れたばかりの龍生が、結太のいる部屋から出て来るとは。
用があると言っていたのは、結太の様子を見に行く、ということだったのだろうか?
とっさのことに声も出ず、桃花が固まっていると、龍生はクスリと笑って、小首をかしげた。
「結太に用があって来たの? だったら、ちょうどよかった。僕は他に用があって、もう行かなければいけないんだ。――伊吹さん。代わりに、側にいてあげてくれないかな?」
「えっ?……あ、はっ、はいっ」
桃花にとっては〝渡りに船〟の、龍生からのお願いだった。
側についていてあげてと頼まれたと言えば、自然に部屋に入って行ける。
「では、後はよろしく」
立ち去ろうとする龍生を、慌てて引き止め、桃花はプレゼントの箱を渡した。
彼は驚いたように目を見張ると、
「――これを僕に?」
桃花の顔をまじまじと見つめ、訊ねる。
桃花はコクリとうなずき、
「あの……今日、秋月くんと咲耶ちゃんがいない時に、宝神さんのお手伝いをしたいと思って、キッチンに行ったんです。でも、『坊ちゃまのお友達に、そんなことはさせられません』って、断られてしまって……。それで、あの、宝神さんが、三時のおやつでも作ってみてはって、言ってくださって。それなら、お世話になった人達に、プレゼントしたいなって思って、クッキーを焼いたんです。……あ。甘さは控えめにしてありますっ」
「……『お世話になった人達に』……。それで、これを僕に?」
再び桃花がうなずくと、龍生はフッと笑って、彼女の頭に優しく手を置いた。
「ありがとう。……でも、『お世話になった人達』の中に、僕を入れてくれるとは思わなかった。……お世話どころか、僕は君に、迷惑ばかり掛けているというのに……。そして、これからだって、きっと……」
「え?……秋月、くん?」
龍生の瞳が、少し寂しげに揺れた気がして、桃花は、ただでさえ大きな目を、更に大きく見開いた。
龍生はハッと息を呑み、桃花の頭から手を離すと、取り繕うように微笑む。
「ああ、すまない。……大丈夫。何でもないよ。君があまりにも優しいから、感動していただけ。――では、ありがたく頂いておくよ。気を遣わせてしまって、悪かったね」
「いえ。……あっ。でも秋月くん、甘いもの嫌いなんですよね? 控えめにしたと言っても、甘いものであることには、変わりありませんし……。ですから、あの……もしお口に合わなかったら、捨てちゃっても構いませんのでっ」
桃花の言葉に、龍生は数回目を瞬かせてから、クスッと笑った。
「せっかく作ってくれたものを、捨てたりなんかしないよ。甘いものは苦手だけれど、食べられないわけではないしね。……伊吹さんが、〝お世話になった人達〟のために、心を込めて作ったものなんだろう? それなら、美味しくないわけがない」
「秋月くん……。ありがとう。そんな風に言ってもらえると、すごく嬉しい」
胸の奥が、じんわりと温かくなった気がして、桃花はふわりと微笑んだ。
龍生もまた、柔らかい笑みを浮かべ、
「君が持っているもう片方の小箱は、結太にあげるんだろう? あいつは、女の子からのプレゼントなど、貰い慣れていないからね。きっと、すごく喜ぶと思うよ」
今度はいたずらっ子っぽくウィンクし、片手を上げて去って行った。
桃花は、彼をしばらく見送ってから、
(……そっか。楠木くん、こういうの、貰い慣れてないんだ……?)
何故だか嬉しくて、ウフフと小さく声を漏らす。
それから、今度こそノックするため、ドアの前に片手を持って行った。