第2話 桃花、様子のおかしい咲耶に戸惑う
「咲耶ちゃん!」
咲耶の顔を見たとたん、桃花の顔はパアッと輝いた。
両手で持っていたプレゼントの小箱を、階段の手すりに置くと、パタパタと駆けて行き、咲耶の胸に飛び込むように抱きつく。
「もっ、桃花?」
いつも、抱きついたりするのは、咲耶の方からだった。
桃花の方から抱きついて来ることなど滅多になかったので、咲耶は驚き、肩に手を置くくらいの反応を示すことしか出来なかった。
「おかえりなさい、咲耶ちゃん! 用事、もう済んだの? 違う島に行ってたんでしょう? 楽しかった?」
体を離し、咲耶を見上げて訊ねる。
「あ……ああ。違う島に行っていたのは確かだが……楽しかったかと言われると、どうだろう。……微妙だな」
咲耶は何故か目をそらし、沈んだ口調で返した。
「……咲耶ちゃん?」
咲耶の様子がおかしいことに、桃花は瞬時に気が付いた。
目をそらして話すなど――特に、桃花から目をそらして話すなど、あまり記憶になかったからだ。
桃花の知っている咲耶は、いつも堂々としていたし、人の目もまっすぐに見て話す。
謝る時ですら、目をそらしたことなどない人なのだ。
それなのに……。
「咲耶ちゃん、どうかした? 何かあったの? 何だか、いつもと違うよ……?」
心配になった桃花は、咲耶の服の袖をつまんで訊ねる。
咲耶は目をそらしたまま、力なく笑い、
「べつに、何もないさ。桃花が心配するようなことは、何も……」
などと言って、桃花の手を、片手でそっと包み込んだ。
「……咲耶ちゃん」
桃花はじっと咲耶を見つめたが、視線が重なることはなかった。
そこで桃花はハッとして、後方に立っている龍生に視線を走らせたのだが、彼は桃花と目が合うと、いつものようにニコリと笑った。
「保科さんの言うように、特別なことは何もなかったよ。ただ、僕の用事を色々と手伝ってもらったから、疲れてしまったんじゃないかな?――ね、保科さん?」
龍生が咲耶の肩にポンと手を置くと、咲耶は一瞬ビクッとしたが、すぐに肯定するようにうなずいた。
「あ……ああ、そうだな。あちこち連れ回されて、疲れてしまった。少し、横にでもなりたい気分だ」
「――そう? それでは、夕食の時間まで、客間で休んでいるといいよ。荷物は、部屋に運んであるはずだから」
「……そうか。それはすま――……」
咲耶は『すまない』と言おうとしたのだが、ある部分に引っ掛かり、言葉を切った。
それから龍生を振り返り、一気に疑問をぶつける。
「夕食!? 夕食の時間まで、ここにいるつもりなのか!? この島がどの辺りにあるか知らないが、早く帰らねば、日帰り出来なくなるぞ!?」
咲耶の疑問に、桃花も即座にうなずいた。
彼女も、ずっとそのことが気になっていたのだ。
「――あれ? 言っていなかったかな? 今日と明日は、こちらに泊まってもらうことになっているんだけれど」
さらりと、信じられないようなことを告げられ、二人は絶句した。
……泊まる? ここに泊まるだって?
しかも、今日と明日、二日間も?
「ど…っ、どーゆーことだ秋月ッ!? この島に二泊するなど、私も桃花も聞いていないぞ!?」
咲耶が問えば、桃花も、こくこくと大きくうなずくことで返す。
Wデートとは聞いていたが、まさか、泊まるだなどとは。
第一、両親にだって、そんなことは一切話していない。二人が帰らなければ、大問題になってしまう。
警察に連絡――という事態にだってなりかねない。
「うん。そう言われてみれば、言っていなかったかもしれないね。二人共、ここに着くまで眠ってしまっていたし。――でも、心配しないで。二人のご両親には、事前に承諾を得ているから」
「ええっ!?」
「何だとッ!?」
咲耶と桃花は、ほぼ同時に、驚きの声を上げた。
自分達が全く知らなかったことを、両親だけが知っていて、しかも、二泊することを許したと言うのか?
咲耶の家族は、桃花の家族より多いし、放任なところもある。外泊の許可を求められ、気楽に承諾したとしても、不思議ではない。
しかし、桃花は一人っ子で、両親にも、かなり溺愛されて育っている。共にいるのが咲耶だけならいざ知らず、男子も含む外泊を許すなど、にわかには信じられなかった。
「両親の承諾を得ているって……おまえ、いつの間にそんなことをしていたんだ!? うちはまだともかく、桃花の家――特に親父さんは、かなり過保護な人なんだぞ!? その親父さんが、桃花が男と外泊するのを、簡単に許したと言うのか!? しかも二泊も!?」
「ああ、そうだよ。こんなことで嘘をついたって、仕方ないだろう? 第一、すぐバレるに決まっている。嘘をつくだけ無駄だよ」
「そ、それはそうかもしれんが……。だが、本当に……?」
咲耶の脳内に、桃花の父親の顔が浮かんだ。
彼には、咲耶も小さい頃から何度も会い、どういう人物か、よくわかっているつもりだ。
彼は、ニコニコと娘の話をしていると思ったら、唐突に、『桃花が、いつか彼氏を連れて来たら……どうしよう、咲耶ちゃん? おじさん、相手の男を半殺しに――いや。実際に、殺してしまうかもしれないよ』などという恐ろしいことを、真顔で言って来たりする人なのだ。
咲耶は、桃花の父親の危険な発言を聞かされるたびに、『将来、親父さんが警察に捕まるようなことが、起こらずに済みますように――!』と願わずにはいられなかったものだ。
その、娘可愛さで、何をするかわからないような彼が。
かなり渋々……いや、泣く泣くだとしても、外泊を許すとは。
秋月家のもの凄さは、これまでにも、充分過ぎるほど見せつけられて来た。
しかし、〝男二名(咲耶がいるにしても、だ)との外泊を、桃花の父親が許した〟という事実が、咲耶にとって、今までで一番、恐れをなす出来事だったかもしれない。
「そんなに驚くことだった? せっかく島に来たんだし、一泊もしないで帰るのは、もったいないと思っただけなんだけれど……。ちょうど、五月の連休に入ったところだったしね」
「それにしたって急過ぎる!――しかも、二泊もする計画を、参加する人間に一切伝えないとは何事だ!? 私達の両親の許可を得ているとしても、やっていることがメチャクチャであることに変わりはないぞ!?」
「う~ん……。君のご家族は、『二泊することは、娘さんにはご内密に』とお願いしたところ、『サプライズか!』『ドッキリだな!』などと言って、むしろ面白がっていたようだと、家の者が言っていたんだけれど……。当の本人には、楽しんでもらえなかったみたいだね」
「当たり前だ!! 二泊もするなどと知っていたら、この話に乗ったりなどしなかったわ!! 私はともかく、桃花に何かあったらと思うと、気が気じゃないからな!」
――その後。
しばらくの間、咲耶と龍生は、何やかやと言い合っていたが、桃花はそれを見守りながら、『よかった。いつもの咲耶ちゃんだ』と、胸を撫で下ろしていた。
もうひとつの島で、二人に何かあったのは、確実だと思う。
けれど、こうして言い合っていられるのだから、関係の修復が不可能なほどのケンカをした、というわけではないのだろう。
(あんな咲耶ちゃん、初めて見たし、何があったのかは気になるけど……。でも、無理に聞き出すなんて、出来ないもの。今はただ、咲耶ちゃんが、自分から話す気になってくれるまで、待つしかないんだよね……?)
そう自分に言い聞かせ、桃花は、抱えているプレゼントに目を落とす。
そして、これらのプレゼントをいつ渡そうかと、二人の動向に、ひたすら注意を払っていた。