第13話 咲耶、森の奥で幽玄な景色と出合う
龍生と咲耶は、島の森の中を、既に十数分ほどは、歩き続けていた。
森と言っても、管理や手入れはきちんとされているようなので、獣道を進んでいるわけではない。
しかし、ほとんど無言で歩く道程は、それだけで充分ストレスだった。
咲耶は、『ちょっと素敵なものが見られる場所』があるからと龍生に誘われ、何となくついて来てしまったことを、後悔し始めていた。
もともと、〝冒険〟や〝探検〟などという言葉には、心躍る性質だ。龍生さえいなかったら、この島についたとたん、勝手に一人で、あちこち見て回っていたに違いない。
先を黙々と歩き続ける龍生の背をチラリと見、咲耶は、わざと龍生に聞こえるよう、大きなため息をついた。
すると、龍生は顔だけ後ろに向け、
「もしかして、もう疲れたの? 運動神経はかなり良いと聞いているけれど、持久力は問題あり……なのかな?」
などと言って来て、咲耶をカチンとさせた。
「今のため息は、疲れたからじゃない! 貴様と共にいなければならないのが、苦痛だからだ! 貴様さえいなければ、島の端から端まで、何往復だってしてみせるわ! バカにするなッ!」
憤慨する咲耶の声を後ろに聞き、龍生は歩きながらクスクス笑う。
咲耶の気持ちはともかくとして、龍生自身は、二人きりの時間を楽しんでいた。
「君の持久力がどれほどのものか、この目で確かめてみたい気もするけれど、残念ながら、目的地はすぐそこだよ。――ほら。この細い脇道の先に広がっている景色が、〝ちょっと素敵なもの〟の正体だ」
龍生が指し示す先に、今まで辿って来た道とは、少々形態の違う、獣道のような、細い道が見えた。
両手で掻き分けなければ通れない――というほどではないが、人一人が、どうにか通れるほどの幅しかない。
「木の枝や葉が、飛び出ている場所があるかもしれない。充分気を付けてついて来て。君の綺麗な顔や肌が、傷付きでもしたら、大変だからね」
「うるさいっ! 余計なお世話だ! さっさと歩け、このエセ王子がッ!!」
そう言って背中を押され、龍生はまた、クスクスと笑った。
「エセ王子か。確かにね。……でも、望んで王子を演じているわけでは、ないんだけどな。僕は――……俺が本当に望んでいるのは……」
「――は!? 何だ、聞こえないぞ! 言いたいことがあるなら、ハッキリ言え!!」
苛立ちを含む咲耶の声に、龍生は、今度は気付かれぬよう、声を漏らさずに笑った。
自ら望んで、完璧な王子を演じているわけではない。
だが、龍生が生まれついた環境下では、隙のない人間であると思われていた方が、何かと都合が良いのも確かだ。
少しでも、隙や弱みを見せようものなら、すぐさま、ハゲワシやハイエナ共が群がって来る。
裕福な家に生まれた人間というのは、運が良いとも、恵まれているとも言える。
しかし、その一方で、敵が出来やすい――というのも、また事実なのだ。
龍生は、不快な過去でも思い出したのか、軽く頭を振ってから、小さく息をついた。
それから顔を上げ、まっすぐ前を見据えると。
「ああ、やっと見えて来た。……この景色、君も気に入ってくれるといいんだけれど――」
龍生は、咲耶にもそれが見えるよう、体を脇に寄せた。
咲耶も歩を進め、龍生の言う景色とやらがどんなものなのか、確認しようとしたのだが。
「――っ!……これは……」
瞬間。
ざざあ――っと、それから、風が吹いて来たような感覚に囚われた。
無論、錯覚だ。
それ自体が、風を発生させているわけではない。
しかし、そんな錯覚に囚われるのも、無理はないと思えるほど、その一角は、幽玄な神秘性に満ちて見えた。
「……桜……?」
咲耶のつぶやきに、龍生は微笑してうなずいた。
今は五月。
桜の季節ではない。
それなのに、その一角だけ――一本の大きな桜の木を中心とするように、十数本程度の桜が、目を見張る優艶さで、咲きこぼれていた。
さすがの咲耶も、言葉を失くして立ち尽くし、一時、呑まれたように見惚れていた。
「……よかった。気に入ってくれたようだね」
龍生の声で我に返り、咲耶はくるりと振り向いた。
その瞳は、好奇心で爛々と輝いている。
「何だここは!? もう五月なのに、桜が咲いているぞ!? 遅咲きの桜か!? 何故、森の狭い一角だけに、桜が咲いているんだ!? おまえの家の者が植えたのか!?」
矢継ぎ早の質問に、龍生は苦笑しながらも、順々に答えて行く。
「そう。遅咲きの桜だろうね。桜に詳しくないから、品種はわからないけれど、開花時期の遅れというわけではないと思うよ。この島は、関東より北にあるわけではないからね。五月に咲く桜と言ったら、品種の違いと考えた方が自然だろう。何故、森の狭い一角だけに桜が咲いているのか……という答えは、申し訳ないが、不明だ。秋月家の者が植えたのならば、祖父にでも訊けば、すぐに判明するだろうと思ったんだけれど、祖父も知らないそうなんだよ」
咲耶は龍生の答えを、うんうんとうなずきながら、大人しく聞いていた。
珍しいこともあるものだなと、龍生は、少し愉快に思えて来てしまったが、ここで吹き出したりすると、また気分を害されてしまうだろうと、どうにか堪えた。
「――そうか。しかし、本当に見事な桜だな。本数こそ少ないが、少人数の花見なら、これで充分だろう。……桃花にも見せてやりたかった」
そう言って、桜を見上げる咲耶の横顔を、間近でじっと見つめた後、龍生は小さくつぶやいた。
「……そうだな。俺も、ずっと見せてやりたかった。……桜に」
「……ん? 今、何か言ったか?」
声に反応し、咲耶が訊ねる。
僅かに首を横に振り、龍生はにっこりと微笑んだ。
「君が気に入ってくれてよかった――と、改めて思っていただけだよ。この花は、君の花だからね。……そうだろう? 木花咲耶姫」