第12話 龍生と咲耶、砂浜で密約を交わす
龍生の〝お願い〟とやらは、咲耶にとって、かなり意外な内容だった。
咲耶は砂浜に膝をついたまま、呆然と龍生を見返した。
(私に、楠木と桃花の恋がうまく行くよう、協力してほしい――だと?)
初めは、聞き間違いかと思った。
それとも、結太と自分の名を、龍生が言い間違えたのかと。
だが、自分と他人の名を言い間違えるという信じられないミスを、龍生がするというのは考えにくい。
龍生はハッキリ言った。『結太と伊吹さんの恋がうまく行くよう、協力してほしい』と。
「どういうことだ!? 桃花のことが好きなのは、秋月、貴様だろう!? だから、交際を申し込んだんじゃなかったのか!?」
当然のことながら、咲耶は激昂した。
好きでもないのに、桃花に告白したのだとしたら、許せないと思ったのだ。
「交際と言っても、あくまで〝お試し〟だよ。伊吹さんも、本気で僕と付き合おうなどとは、思っていないはずだ」
「何故そんなことが言い切れる!? 桃花の気持ちが、貴様には確実にわかるとでも言うのか!?」
少しも悪びれない龍生の態度に、咲耶は更に言い募る。
「桃花は、誰に対しても優しくて、真面目な子だ。優しいがゆえに、頼まれたら、嫌とは言えないようなところはあるが……それでも、いい加減な気持ちで異性と付き合うようなことは、絶対に出来ない子だ! 少しでも、自分の気持ちに納得出来ないことがあれば、GOサインは出さない。相手にも、それを懸命に伝えようとすることの出来る子なんだ!……貴様だって、言っていたじゃないか。『消極的で臆病なところも見受けられるが、いざという時は人任せになどしないで、自ら動ける人だ』と! だから私は――っ!」
「『そこまで理解しているのなら』と、僕と伊吹さんが〝お試しで〟付き合うことを、認める気になってくれたんだろう?」
「――っ!……そ、そうだ。そこまでわかっている奴になら、桃花を、一時的に任せてみてもいいのかもしれないと……。それなのに貴様は――っ!」
信頼を裏切られた気がして、咲耶は深く傷付いていた。
咲耶にとって、桃花のことを他の人間に任せるという決断が、どれだけ勇気のいることだったか。どれだけ、身を切るような痛みを伴うことだったか。
それを、龍生は何もわかっていない。
わかっていれば、こんなこと――人の心をもてあそぶようなことは、決して出来ないはずだ。
普段から、何を考えているかわからない、胡散臭いところのたくさんある人間だとは思っていたが、『いざという時は人任せになどしないで、自ら動ける人だ』という言葉を聞いて以降は、桃花を傷付けるようなことだけはしないだろうと――その点だけは、龍生のことを信じられると思っていたのに。
今、その信頼は、完全に失われた。
一方、咲耶に憎しみのこもった目で睨みつけられ、龍生もまた、傷付いていた。
本当のことを話したら、咲耶にこういう反応をされるだろうということは、予測していた。
予測した上で、それでも、正直に話す必要があると、龍生は判断したのだが……。
「そんなに心配しなくても、〝お試し〟の付き合いをいくら続けようと、伊吹さんが、僕のことを好きになることはないよ。だから、この関係をいつ解消しようとも、彼女が傷付くことはない。それは保証出来る」
「――はあっ!? 桃花が傷付くことはない!? それは保証出来るだって!? 何故貴様に、そんなことが言える!? 桃花の心の内が、貴様には、完全に把握出来ているとでも言うのか!?……桃花の気持ちは、桃花のものだ。貴様が立ち入れる領域ではないはずだ。なのに何故――っ」
「伊吹さんは、結太のことが好きだからだよ。まず、間違いなくね」
「な――っ!」
龍生の発言に、咲耶は思わず絶句した。
突然、思ってもいなかったことをさらりと告げられ、混乱してしまったのだ。
(桃花は、楠木が好き……? あの、いつも不機嫌顔のチビのことを――?)
結太の名誉のために言っておくが、今現在の結太は、決してチビではない。
高校生の平均身長くらいには、達しているはずだ。
ただ、咲耶の身長が、女子の中では比較的高めの方なので、チビという印象を、持ってしまっているに過ぎない。
「まず間違いなくって……何だそれは? 桃花に、直接気持ちを聞いたわけではないんだろう?」
「ああ。聞いたわけではないね」
「だったら、わからないじゃないか!」
「いや。結太といる時の彼女の様子を、観察していればわかるよ。彼女は――……まだ本人も気付いてはいないようだけれど、結太のことが好きだ。少なくとも、〝気になって仕方がない状態〟であることだけは、確かだ」
「……桃花が……楠木のことを、気になってる……?」
桃花の口から、結太の話を聞いたことは、あっただろうか?
咲耶はよくよく考えてみたが、特別な感情を抱いていることがわかるような話を、された覚えはなかった。
「嘘だ!! 桃花の口から、楠木が気になっていることがわかるような内容の話など、聞いたことはないぞ!? 貴様の思い違いじゃないのか!?」
「……いや。伊吹さんは結太が好きだよ。君にその話をしないのは、きっとまだ、自分の気持ちに気付いていないからだ」
龍生は断言するが、咲耶には、まだ信じられなかった。
……いや。信じたくなかった――の方が、正しいのかも知れない。
「貴様の言っていることが正しいのかどうか、今の時点では判断出来ない。だから、貴様に協力するのは、それが本当に正しいことだと、私に示すことが出来てからだ。それまでは、何があろうと、貴様のために動く気はない!」
咲耶に言い切られた後、龍生は静かにうなずいた。
「……いいだろう。伊吹さんが結太を気にしていることを、君に納得してもらうことが出来たなら……その時は、僕に協力してくれるんだね?」
「ああ、そうだ。武士――、いや。女に二言はない!」
それからしばらくは、二人の間には沈黙が横たわり、ただ、波の音だけが聞こえていた。
湿った海風が、咲耶の、そして龍生の頬を、髪を、優しく撫でる。
龍生はフッと笑みをこぼした後、立ち上がり、服や手についた砂を払った。
そして、まだ眼下にいる咲耶を見つめると、
「とりあえず、二人だけの密約は交わせたわけだ。この後は迎えを呼んで、帰るだけだけれど……せっかくここまで来たんだ。何もせずに帰るというのも、つまらないだろう? 実は今、この島には、ちょっと素敵なものが見られる場所があってね。よかったら、一緒に行かないか?」
そう言って、咲耶の前に片手を差し出した。