第11話 咲耶、秘密を知られ動揺する
拾い上げた写真を目にしたとたん、咲耶は顔面蒼白になった。
何故、この写真を龍生が持っているのか。
こんな写真を撮ることが出来るのは、家族か、家族の留守中に家に忍び込んだ何者か、そのどちらかしか考えられない。
写真を持つ手が小刻みに震え、一瞬、気が遠くなりそうになったが、どうにか両足を踏ん張って堪えた。
普段掻く汗とは別の妙な汗が、額や背中を伝う。
咲耶は、逃げ出したい気持ちを必死に抑え込み、顔を上げて龍生を睨んだ。
「貴様…ッ! この写真、どうやって撮った!? 『欲しいものを手に入れるためなら、汚いことや卑怯なことでもやってやる』とか言っていたが、秋月家の誰かを家に忍び込ませて撮ったのか!? だとしたら犯罪だぞ!! そこまでやるのか、良家のボンボンが!?」
写真には、咲耶の自室の様子が写っていた。
自室の、しかも――咲耶の秘密が一目でわかるタイトルの書籍が、ズラっと並べられた三台の本棚が。
「家の者に忍び込ませる?……フッ。この俺が、わざわざ、そんな危険な橋を渡ると思うか? 撮ったのは、秋月家の者ではない。うちの者に、そんなことをさせる必要もないしね」
「必要もない?……どういうことだ、それは?」
意味がわからず、咲耶は訝しげに眉をひそめる。
龍生は不敵に笑いながら、咲耶にとって衝撃的な一言を告げた。
「こちらが、盗撮などという卑劣な真似をしなくても、君の部屋の写真など、容易く手に入れられるということさ。この写真を撮ってくれたのは、君の家族。――つまり、君の母上だ」
「な――っ!……は、母だと!? 私の母が、これを撮ったと言うのか!? 撮って、貴様に渡したと!?」
「ああ、もちろん。……ただ、言っておくが、君の母上を脅迫して、撮ってもらったわけではないよ? こちらが丁寧にお願いしたら、快く引き受けてくださったんだ」
「う…っ、嘘だッ!! どうして母が、貴様などの願いをホイホイ聞き入れるんだ!? そんなことを引き受けて、母に何の得がある!?」
「損得の問題ではないだろう。君の母上が、我が秋月家――そして俺を、どれだけ信用してくれているかという――言わば、これは証明だよ」
「――証明!? 無条件で貴様の願いを受け入れるほど、母は、貴様を信用しているというのか!?」
「ああ。そういうことになるね」
「……バ……バカな……」
呆然とつぶやくと、咲耶は砂浜に、ガクリと両膝をついた。
自分の知らないうちに母親に取り入り、しかも、娘に何の断りもないまま、部屋の写真を撮らせるとは。
秋月家が、如何に音に聞く名家と言えども、こうも簡単に、他人の情報を、入手し得るものなのだろうか?
今更ながら、秋月家の空恐ろしさを思い知らされ、咲耶は絶望に打ちのめされた。
寄りにもよって、こんな最低な男に、秘密を握られてしまうとは。……終わりだ。私はもうお仕舞いだ。もう一生、心安らぐ時は訪れないのだ――などという、後ろ向きな言葉だけが、ぐるぐると脳内を回っていた。
一方、龍生はと言うと、いつも強気な咲耶が完全に打ちのめされ、眼下で膝をついているのを間近に見、その原因を作ったのは自分だと言うのに、密かに胸を痛めていた。
写真に写る、数百冊の書籍。
彼女の趣味嗜好が、すぐさま察知出来る、偏った特徴のタイトルばかりが並ぶ本棚。
これを初めて目にした時、彼女の弱点になり得るのものを、ついに見つけた――と龍生は思った。
この鍵さえ握っていれば、彼女を従わせることが出来るかもしれない、と。
だが、まさか、ここまでの威力があるとは。
知られたくないことなのでは――と思ったのは確かだ。
しかし、誇り高い彼女が、地面に膝をつくほどまでに、ショックを受けるなどとは、想像すらしていなかった。
「そんなに……人に知られるのが怖い? この趣味を知られることは、君にとって、そこまで恥ずかしさを感じることなのか?」
膝をついたまま、ちっとも起き上がろうとしない咲耶に、龍生は静かに問い掛ける。
瞬間、咲耶の肩が僅かに揺れた。
「俺には理解出来ない趣味ではある。それは間違いない。――だが、こういう趣味を持つ者は、他にもごまんといるだろう? だからこそ出版社も、この種の本を、たくさん世に送り出すんだ。それだけ需要があるということさ。――そうじゃないのか?」
咲耶は何も答えない。
両手両足を地につけたまま、ずっと黙り込んでいる。
「これが君の弱点だと思い、示してみせたのは俺だ。その俺が、こんな風に言うのはおかしいかもしれないが、この程度のことを他人に知られることが、君にとって、そこまで大きな打撃になるとは思えない。それなのに――」
そこで言葉を切り、龍生は咲耶をじっと見つめた。
……わかっている。
咲耶は、他人にこの趣味を知られることを、恐れているのではない。
ただ、彼女に知られることだけを、恐れているのだ。
龍生は咲耶の側まで歩いて行き、おもむろに片膝をつくと、耳元で、彼女が最も恐れているであろうことをささやいた。
とたん、咲耶は青ざめた顔を上げ、親の仇に向けるような鋭い目つきで、龍生を睨んだ。
「違うッ!! 勝手な憶測でものを言うなッ!! 私は――っ!……私はそんなこと、恐れてなどいないッ!!」
「……じゃあ、話してもいいんだな? 彼女に、君の趣味のことを?」
「――っ!……それは……」
咲耶の瞳に、微かに怯えの色がよぎった。
龍生は、憐れみとも蔑みとも取れる、微妙な表情を浮かべた後、長い睫毛を伏せた。
それでも、次に咲耶を見据えた時には、その表情は消えていて、面倒になっていたはずの仮面を、再び被っていた。
「心配しなくていい。誰にも言ったりしないよ。君が、僕の願いを聞き入れてくれているうちは……ね」
隙のない〝王子様スマイル〟を浮かべ、龍生は咲耶に、優しい声色で語り掛ける。
咲耶はギリリと歯噛みして、しばらくの間、龍生を睨み続けていたが、やがて、観念したように軽く息を吐くと、覇気のない声で訊ねた。
「……それで? 貴様の願いというのは何だ? 私は、何をすればいい?」
龍生は満足げにニコリと笑い、『うん。素直に聞き入れる気になってくれたね。ありがとう』と言った後、次の言葉を口にした。
「君へのお願いは、ただひとつ。――どうか、結太と伊吹さんの恋がうまく行くよう、協力してほしい」