第10話 咲耶、激怒する
元いた島とは全く別の、更に小さい島でヘリコプターから降ろされ、咲耶は憤慨していた。
ヘリに乗るとわかった時点で、
「どーしてヘリなんかに乗る必要があるんだ!? ヘリに乗って、どこに行くと言うんだ!? 貴様の用事って、いったい何なんだ!? もしも下らん用事だったら、絶対許さんからな!!」
猛然と抗議したのだが、龍生は至って普通の様子で、
「買い出しだよ。島に持って来るのを、忘れてしまったものがあってね。それを調達しに行くんだ」
などと言い、ニコッと笑ってみせたのだ。
咲耶とて、龍生の〝王子様スマイル〟を信用しているわけではない。
充分、『相変わらず、胡散臭い笑顔だな』とは思った。
しかし、ここで一人で別荘に戻ったら、『どーしたの咲耶ちゃん? 秋月くんの用事、もう済んだの?……あれ? 秋月くんは? 一緒じゃないの?』と、桃花に必ず訊かれるだろう。
それに対しての返事が、『ヘリに乗って、どこかへ買い出しに行くなどと抜かすから、嫌だと断って来た』だったら、桃花は納得するだろうか?
……いや、しないだろう。
優しい桃花のことだ。『えっ、それで帰って来ちゃったの? 買い出しなんて、秋月くん一人じゃ大変なんじゃないかな?』とか何とか、言い出すに決まっている。
それを思うと、嫌だ嫌だと心がいくら叫ぼうとも、断ることが出来なかった。
やはり、咲耶にとっては、いつでも桃花が一番なのだ。
〝桃花がどう思うか〟が何より重要で、最も優先すべきことなのだった。
……だが、何が『買い出し』だ? 何が『持って来るのを忘れたものを調達しに行く』だ?
こんな小さな島の、どこをどう見回してみても、店一軒どころか、人っ子一人いないではないか。
「秋月ぃいいいいッ!! またしても、貴様と言う奴はぁああああああッ!!」
島中に響き渡りそうな声で、咲耶は叫ぶ。
こんなところに騙されて連れて来られ、しかも二人きりなどにされ、腹を立てずにいられるわけがなかった。
咲耶は激怒していた。
もう二度と、この男の言うことなど、まともに聞いてやるものかと、強く心に誓っていた。
「まあ、そんなに目を吊り上げないで。嘘をついて一緒に来てもらったのは、悪かったと思っているけれど……君を取って食うつもりは、全くないから。安心してくれていいよ」
龍生のやんわりとした態度は、咲耶の怒りを、ますます増幅させた。
「当たり前だっ、誰が貴様などに食われるものかッ!! 逆に食い殺してやるわッ!!」
般若のごとき形相で言い返して来る咲耶に、龍生はプッと吹き出す。
どこまでも余裕のあるその態度に、咲耶は体に震えが走るほどの嫌悪感を抱いた。限界寸前だった。
咲耶は足元の砂を素早く片手ですくい上げると、龍生に向かって全力で投げつけた。
「――っ!」
とっさに顔をそむけたが、間に合わなかった。
髪や顔の半分以上に砂を打ち付けられ、さすがの龍生も、痛みと不快感で顔が歪む。
「これ以上、一分たりとも、貴様に付き合ってやる気などない! 迎えが来るまで、別行動を取らせてもらう!」
宣言すると、咲耶は砂浜を歩き出した。
端から端まで歩いても、一時間は掛からないだろうと思えるほどの、小さな無人島だ。個人で行動しても、特に危険はないだろうと判断したのだ。
龍生は髪や顔についた砂を払い、咲耶の後姿をその場で数秒眺めてから、深々とため息をつき、彼女の後を追った。
しかし、当然のこと、咲耶がそれを許すはずがない。
振り向きもせず、
「ついて来るなッ!! 半径百メートル以内に近付くことは許さんッ!!」
大声で言い放ち、歩みを速めた。
それでも龍生は、後を追うことを止めなかった。
それがますます、咲耶に〝甘く見られている〟という印象を与え、プライドを傷付けた。
咲耶はピタリと立ち止まり、体を半回転させてから、仁王立ちして怒鳴りつける。
「ついて来るなと言っているだろう!? 貴様、私をバカにしているのか!? それとも、『ついて来るな』という言葉の意味もわからんのか!? この大うつけがッ!!」
龍生も同じく立ち止まり、それまでの〝王子様スマイル〟とは違う、少し寂しげにも見える笑顔を浮かべた。
「……そうだな。最近の俺は、どこかおかしいのかもしれない。以前は、こんな風になることなど一度もなかった。わざわざ汚い手など使わなくても、思い通りになることばかりだったからな」
一人称が、〝僕〟から〝俺〟に変わっている。
口調がいつもと違う。
急に雰囲気の変わった龍生に、咲耶は困惑して眉根を寄せた。
「な――、何だいきなり? いつもの仮面はどうした? 私の前で被っているのが、面倒になったのか?」
「……ああ、そうだよ。君の前で体面を保つのも、もう飽き飽きだ。――俺には欲しいものがある。どんなことをしてでも、手に入れたいものが。それを手にするためなら、誰にどう思われようと構わない。汚いことでも卑怯なことでも、いくらだってやってやる。そう決めたんだ」
思い詰めたような顔つきに、咲耶はハッとなった。
龍生が言う『欲しいもの』が何なのか、咲耶にはわからない。
しかし、彼が怖いくらい真剣であることだけは、明確に感じ取れた。
「欲しいものを手に入れるために、君には嫌でも協力してもらうよ、保科咲耶」
「な――っ!……だ、誰が貴様に協力などするものか!! 何を企んでいるか知らんが、絶対に、貴様の好きなようにはさせん!!」
咲耶は初めて、龍生に対し、幾ばくかの恐怖を感じた。
だが、彼女の性格上、戦う前から白旗を掲げるなどあり得ない。
彼女は龍生をまっすぐ見据え、あくまで強気を貫いた。
そんな咲耶の反応も、龍生には想定内だったのだろう。
両手を上着のポケットに突っ込み、不敵な笑みを湛える。
「わかってないな。嫌でも協力してもらうと言っただろう?……君は俺に従うよ。間違いなくね」
そう言うと、ポケットから、何やら四角い物体を数枚取り出し、空中へとぶちまけた。
「ほうら! これを見ても、まだ平静でいられるかな? 保科咲耶っ!!」
「――?」
四角く平べったい物体が、ヒラヒラと砂浜に落ちて行く。
咲耶のいる場所からは、遠くてよく見えなかったが、何かの写真のようだった。
咲耶は龍生の動向に注意を払いながら、少しずつ、写真の方へと近付いて行った。
そして、龍生から一番遠い場所にある一枚を拾い上げると、素早く写真へと視線を落とす。
「な…っ!?」
写真を見て、咲耶は絶句した。
そこには、咲耶が誰にも――桃花にさえ打ち明けたことのない秘密が、クッキリと写し出されていた。