第9話 桃花、階段下で途方に暮れる
二人きりという状態が急に恥ずかしくなり、結太を部屋に一人残し、飛び出して来てしまった桃花だったが、数分と経たぬうちに、後悔し始めていた。
話している途中だったのに、ろくに返事もせず、部屋を出て来てしまった。
結太はどう思っただろう? 失礼な奴だと、気分を害さなかっただろうか?
(どうしよう。戻るのも気まずいし、何て言えばいいのかもわからないし……。ああもうっ、わたしのバカバカっ! どーして、こんなにも楠木くんのこと、意識しちゃうんだろ? 秋月くんと二人きりだった時は、こんな風にはならなかったのに……)
自己嫌悪に陥りながら、ゆっくりと階段を下りる。
しかし、なんとなく下りてしまったものの、この後どこに向かっていいのかわからず、下まで来たところで、桃花は立ち止まった。
とりあえず、外に出てみようか?
龍生の様子を見て来る――などと結太に言ったのは、部屋を出るための口実だったのだが、本当に、二人が戻って来ているかもしれない。
……とは言え、龍生の言う〝用事〟というものが何なのかも、二人がどこに向かったのかも、桃花は知らなかった。
もっとも、知っていたのなら、『そろそろ戻って来てるかも』などとは、思うはずもなかっただろう。
何故なら、今、この島からだいぶ離れた場所に、二人はいた。
島は島なのだが、こことはまた別の、秋月家所有の無人島に、自家用ジェットならぬ、自家用ヘリコプターに乗って、移動していたのだ。
桃花の与り知らぬところで、龍生と咲耶の密約が交わされようとしていたことなど、彼女は知らない。
知らぬままに、
(そう言えば、秋月くんの用事って、何だったんだろう? 一人ではこなせない……とかって言ってたよね? 困ってたみたいだから、つい、咲耶ちゃんに『付き合ってあげて』なんて言っちゃったけど……。咲耶ちゃん、大丈夫かな? 秋月くんと、ケンカしてなきゃいいんだけど……)
などと気にしていた。
そこに突然、エントランスから、ワイシャツに黒ネクタイ、黒のスラックス、そしてサングラスという出で立ちの男が入って来て、桃花は思わず、『ひゃっ?』と声を上げてしまった。
その男は、桃花に気付くと、ゆっくりと近付いて来て、
「あなたは、龍生坊ちゃんのお友達の……確か、伊吹様……ですよね? このようなところで、お一人で、どうかなさったんですか? 坊ちゃんは、結太の――いえ、結太様のご様子を、あなたに見てもらっていると、おっしゃっていましたが……」
僅かに首を傾けて訊ねる。
桃花は、初めて見るその男に戸惑い、すぐには返事出来なかった。
龍生のことを『坊ちゃん』と呼んでいるのだから、秋月家の使用人――鵲と同じく、ボディガードと思っていいのだろうか?
桃花が戸惑っていることに気付き、その男は、申し訳なさそうに頭を掻いた。
「これは失礼。まだ名乗っていませんでしたね。私は、秋月家でボディガードのようなことをさせていただいている、東雲虎光と申す者です。以後、お見知り置きを」
そう言って片手を差し出したのだが、自分が手袋をしているのに気付くと、慌てて外し、
「申し訳ありません。たった今、坊ちゃんと保科様を、ヘリで他の島にお送りして来たところでしたので」
などと言い、改めて片手を差し出し、握手を求めて来る。
桃花は恐る恐るその手を握り、握手を済ませると、小首をかしげた。
「あの……今、ヘリとかって……? 他の島に、って……秋月くんと咲耶ちゃんが、ですか?」
「え?……ああ、はい。秋月家所有のもうひとつの無人島が、近くにありまして。そこまで、お送りして来たところなんですよ。お帰りの時は、また連絡するとのことでしたので、こうして、私だけ戻って来たんです」
「他の……秋月家所有の無人島……に……二人だけ、で?」
「はい」
あまりにも意外な言葉に、桃花は唖然とした。
いくら近いと言っても、無人島に、たった二人だけだなどと……大丈夫なのだろうか?
――と言っても、桃花が心配しているのは、咲耶の貞操などではなく、二人の間に、争い事が起きなければよいのだが……という意味合いのことだ。
桃花の知る限り、咲耶は龍生のことを、あまり良くは思っていない。
そんな龍生と、無人島で、たった二人きりだなどと……。
咲耶は、大人しくしていられるだろうか?
さすがに、取っ組み合いのケンカなどには、発展しないだろうとは思うが、口ゲンカくらいなら、充分考えられることではあった。
(でも、どーして他の島なんかに……? この島にはない、何かがあるのかな? 無人島……なんだから、お店とかはないだろうし、何か必要なものを買いに行ったとかじゃ、ないんだよ……ね?)
「秋月くん、いったい、何を……?」
桃花は龍生のことを、悪い人ではないと信じている。
だが、何を考えているのかは、さっぱりわからなかった。
「えっと、あの……しののめ、さん?」
「はい。どうかなさいましたか、伊吹様?」
「いえ、その……秋月くん、いつ頃戻って来るんですか?」
昼食を済ませてから、既に二~三時間は経っているはずだ。
その島まで、どのくらいで行けるのかはわからないが、早く戻って来てくれないと、家に帰るのが遅くなってしまう。
「さあ? いつ頃になるかまでは、おっしゃっていませんでしたので。――ですが、お帰りの時は、ご連絡くださるとのことでしたし、何の問題もありませんよ。あちらの島までは、十分程度で着けますしね」
「そ、そうなんですか。……なら、大丈夫かな……?」
一抹の不安を感じはしたが、桃花には、どうすることも出来ないことだ。
大人しく待っているしかない。
――しかし――……。
桃花は、二階をチラリと見やり、小さくため息をついた。
結太のいる部屋には、今更戻れない。
だとしたら、二人が戻って来るまでの間、自分は、どこにいればいいのだろうと、一人途方に暮れるのだった。