第7話 桃花、結太の目覚めを待つ
龍生に『少し付き合って』と言われた咲耶は、即座に『嫌だ』と断った。
それでもしつこく頼まれ、辟易していると、
「咲耶ちゃん、お願い。秋月くんに付き合ってあげて?」
桃花に、上目遣いで頼まれてしまった。
嫌で嫌で堪らなかったが、桃花には、とことん弱い咲耶だ。結局、渋々ではあるが、了承することになった。
「ありがとう。僕一人ではこなせない用事だから、助かるよ。伊吹さんも、口添え感謝する。――では、僕達はここで失礼するけれど、結太のこと、くれぐれもよろしく」
龍生は満足げに微笑むと、唐突に、咲耶の肩を抱き寄せた。
「な――っ! 何をする秋月っ!?――離せっ!! 何なんだこの腕はッ!?」
咲耶は龍生を睨みつけながら、彼の腕をどけようともがく。
だが、どれだけ力を込め、肩を抱いている手を引き剥がそうとしても、ピクリとも動かなかった。
「保科さんは、大人しい伊吹さんとは違うからね。急に気が変わって、逃亡してしまう恐れもある。だからこうやって、しっかり捕獲しておかなくては」
「何だ〝捕獲〟って!? 人を、野生動物みたいに言うなッ!! どこまでも失礼な奴だなッ!!」
龍生はおかしそうに、クスクスと笑っている。
その笑顔は、いつもの王子様的笑顔とも、結太や、親しい者達の前でだけ見せる、寛いだ笑顔とも、どことなく違っていて……桃花はほんの一瞬、不思議な感覚にとらわれた。
しかし、二人がギャンギャンと言い合いながら(ギャンギャン騒いでいたのは、ほとんど咲耶の方だったが)行ってしまうと、すぐさま結太の顔が浮かび、一瞬感じた違和感も、どこかへ飛んで行ってしまった。
桃花は二階へと続く階段を、一歩一歩、踏み締めるようにして上って行く。
そして、鵲が結太を抱えて入って行った部屋の前まで来ると、ピタリと立ち止まった。
息を吸って、吐いてを、何度か繰り返す。それでも、大きく脈打つ心臓は、なかなか静まってはくれなかった。
桃花は、そっと片手を胸元に当て、意を決して、もう片方の手を上げると、ドアを軽くノックする。
「はいっ!! 少々お待ちくださいっ!!」
中から、ビリビリと辺りを揺るがすほどの大声がしたとたん、結太が目を覚ましてしまうのではないかと、桃花はハラハラしてしまった。
すぐにドアが開き、鵲が姿を現す。
「伊吹様っ――で、よろしいでしたでしょうかっ? たった今、坊――いえっ、龍生様からご連絡がありました。結太様のご様子見は、伊吹様にお任せするようにと、申し付かりま――っ、してございます。で、ですので、俺っ――いえ、私は、これにて失礼つかまつりま――っ、す、するが、何かございましたら、部屋の外で待機しておりまするる――っ、……ので、いつでもお呼びくださいませ」
かなり奇妙な言葉遣いだが、敬語に慣れていないだけなのだろう。
桃花は吹き出しそうになるのを必死に堪え、ペコリと頭を下げた。
「はいっ。わたしでは何の役にも立たないと思いますが、楠木くんのことが心配ですので、せめて、側にいさせてくださいっ」
「えっ?……あ、いえっ、その……俺っ――いえ、私の方こそ、何の役にも立てないかもしれませんが、結太さんのことが同じく心配ですので、外で待機させていただきたいですっ!」
鵲も、桃花と同じようなことを言い、ガバッと豪快に頭を下げた。
それからしばらくして、まずは桃花が、少しずつ体を起こして行き、次いで鵲が。
体を起こそうとする途中で目が合い――瞬間、どちらからともなく笑みをこぼす。
鵲は姿勢を正し、自衛隊員が敬礼する時のように、両足の踵を付けた。足先の開きは、約六十度だ。
「それでは、俺――っ、……私は、これにて失礼いたします! ご用の際は、いつでも、何なりとお申し付けください!」
ニカッと歯を見せて笑うと、強面が、妙に子供っぽい印象へと変わる。
桃花は再び頭を下げてから、鵲の後姿を見送った。
(体がすごく大きくて、顔がちょっぴり怖いから、近寄りがたい印象だったけど……なんだか、とっても良い人そう)
フフッと笑って、桃花は、結太が寝かされているベッドの方を振り返った。
ベッドの脇には、鵲が座っていたのだろうか。それとも、桃花のために用意してくれたのだろうか。椅子が一脚置かれていた。
桃花はそろそろと近付いて行って、なるべく音を立てないように気を付けながら椅子を引き、腰を下ろした。
(……楠木くんって、眠ってる時、こんなに優しい顔してるんだ)
童顔なので、もともと可愛らしい印象ではあった。
だが、顔つきが常に不機嫌で、言葉遣いも、どちらかと言えば荒っぽいものだから、お世辞にも『優しそう』とは言えないのが、普段の結太だった。
桃花は、『こんなに長く楠木くんの顔見るの、初めてだな』などと思いながら、何故かドキドキしつつ、結太の様子を見守っていた。
結太とはまともに話したこともないし、中学は別々だったので、同じクラスになったのは、今年が初めてだ。
それなのに、どうしてだろう。
結太を見ていると、以前、どこかで会ったことがあるような気がして来る。
(昔、会ったこととかない……よね? ないはずなんだけど……。どうしてこんなに、楠木くん見てると、懐かしいって気がしてきちゃうんだろ?……もしかして、前世で会ってる、とか……?)
「な~んて、ね。……ヤダ、わたしったら。前世だなんて。小説や漫画の読み過ぎだって、呆れられちゃう」
アハハと笑って、一人で照れていると、結太が小さく呻くのが聞こえた。
慌てて立ち上がり、顔を覗き込む。
「ダメだ龍生っ!! 龍生ぉおおおおーーーーーーーッ!!」
突然の結太の大声に、桃花はビクッとし、体を引こうとした。
――が、いきなり腕を掴まれ、グイッと引っ張られ――……、
「きゃあっ?」
気が付くと、桃花は結太の腕の中にいた。
(えっ?……ええっ!?――っど、どーしよー? 楠木くん、寝ぼけてるんだよね? だってさっき、『龍生』って呼んでた、し……)
それを思い出したとたん、沸騰しそうだった脳内が、急速冷却された気がした。
(……そうだ。楠木くんが好きなのは秋月くんで……。だから今、彼が抱き締めてるのは、わたしじゃ……なくて……)
何故だかわからない。
何故だかわからないのだが、涙が滲みそうになった。
――この後、結太は自分が誰かを抱き締めていることに気付き、しかもそれが桃花だとわかって、仰天して後ずさることになるのだが……この時、桃花がどんな気持ちでいたかなど、当然、知る由もなかった。
まあ、知っていたとしても、桃花自身がその気持ちに理由付け出来ずにいたのだから、どうにもしようもなかったのだが。
とにかく、結太が桃花の誤解を解こうとしていた、まさにその時。
例の巨体――鵲が、野太い声を発し、部屋へと飛び込んで来たのだった。