第13話 咲耶、桃花の元へ向かうため廊下をひた走る
結太がイーリスに連れて行かれ、桃花が教室で落ち込んでいた時刻から、数分ほど経った頃。
咲耶は桃花の元へ行くため、七組から三組まで続く廊下を、長く美しい髪をなびかせながら走っていた。
あれだけ念押ししておいたのだ。今日こそ、結太は桃花に告白し、桃花もそれを受け入れて、二人は、めでたくカップルになっているはずだ。――いや、そうでなくては困る。
あの金髪碧眼美少女――イーリスは危険だ。
何がどう危険なのか、ハッキリとは言えないが、咲耶はそう感じていた。
結太は、『たった一度会っただけ』と言っていたが、それにしては、二人の距離が近過ぎる気がするのだ。
桃花でさえ、結太と親しく接せられるようになったのは、つい最近のことなのに。イーリスという少女とは、まるで、昔からの知り合いであったかのように、打ち解けて見えた。
〝楠木結太という男は、桃花一筋で、他の女になど目もくれない〟――知り合った時から、咲耶はそう感じ続けて来た。
そして、そんな結太だからこそ、桃花を預けてもいいか……と、最近、ようやく思い始めていたところだったのだ。
だが、昼休みに、イーリスという少女を知ってからというもの、咲耶の心は、すっかり落ち着かなくなっていた。
それまで安心しきっていた、〝桃花一筋の楠木結太〟への信頼が、一気に揺らいでしまうほど、彼女の存在は強烈だった。
イーリスを見つめる結太の瞳の中にも、その周囲にも、無数のハートマークが飛び散ってい(るように咲耶には思え)た。
彼女は危険だ。
彼女だけは、桃花にとって、とても危険な人物になり得る。そんな気がしてならなかった。
(とにかく、イーリスの気持ちが、本格的な恋へと発展する前に、楠木には、桃花に告白してもらわねばならん!……イーリスは、楠木に対する気持ちは、『まだよくわからない』と言っていた。今なら、まだ間に合う! イーリスがややこしく絡んで来る前に、何が何でも、桃花と楠木には、恋人同士になってもらう!)
決意して、咲耶が二年三組の教室の戸を開けると、中には、数人の生徒と、桃花の姿があった。
――しかし、結太とイーリスの姿は、どこにも見当たらない。
ヒヤリとしたものを感じながら、咲耶が桃花の席まで歩いて行くと、彼女は、両手を膝の上に置き、暗い顔でうつむいていた。
「桃花! 楠木はどこへ行った? イーリスも、どこにもいないようだが――」
教室内をぐるっと見渡してから、桃花の肩に手を置く。
桃花は、ビクッとしたように肩を揺らし、ゆっくりと顔を上げた。
「咲耶ちゃん……。どーしよう? 楠木くん、イーリスさんのお家に行っちゃった」
そう言った桃花の瞳は、少し潤んでいた。
咲耶は一拍の間を置いてから、『はあッ!?』という、驚きの声を上げる。
「イーリスの家に行ったぁ!?……転校して来て早々に、知り合ったばかりの男を家に招くとは……信じられん! とんだあばずれというわけだな、イーリスという女は!?」
〝あばずれ〟の意味はよくわからないが、咲耶が誤解していると思った桃花は、慌てて首を横に振った。
「あ――。ちっ、違うの咲耶ちゃん! イーリスさん、新しいお家に引っ越して来たばかりって言ってて……。それで、楠木くんに、家の整理を手伝ってほしいってことで、一緒に帰って行っちゃったの」
「――引っ越し? 家の整理を手伝え?……なんだそれはっ? 出会ったばかりの男に、家の整理を手伝えだなどと、図々しいにも程があるッ!! だいたい、どーして楠木に、手伝いを頼む必要があるんだ!? 普通は、引っ越し業者に全てお任せか、家の者だけで、少しずつ片付けて行くものだろう!?」
怒りを静めるどころか、ますます増幅させてしまったらしい。
目を三角にしてまくし立てる咲耶を、桃花は困ったように見つめ、自分が耳にしたことを、正直に伝えた。
「事情は、よくわからないけど……。引っ越して来たばかりで、他に知り合いもいないし、頼めるのは、楠木くんだけなんだって、イーリスさんが……」
「はああッ!? 自分の家くらい、家族だけで片付けろよ!! そんな面倒なこと、親しい人にだってなかなか頼めないぞ!? やはり、相当な甘ったれなんだな、イーリスという女は!!」
顔の前で、片方の拳を握り締めつつ、断言する。
桃花はべつに、イーリスの印象を悪くしたかったわけではないのだが。
一度怒りに火が点いてしまった咲耶は、桃花ですら、容易には止められないのだった。
「クッソ~……っ! 押し掛けて行って、文句のひとつも言ってやりたいところだが、イーリスの家など、どこにあるかわからんしな。担任は知っているだろうが、このご時世に、個人情報をホイホイ教えてくれるとは思えん。……うぅむ。いったいどうすれば……」
咲耶は腕組みして考え込んでしまったが、引っ越して来たばかりの他人の家を知る方法など、そう簡単に、思い浮かぶはずもなかった。
――するとそこへ。
ギリギリと歯噛みして悔しがる咲耶の、スマホの着信音が鳴った。