第2話 桃花と咲耶、見知らぬ部屋で目覚める
咲耶が重い瞼を開くと、見覚えのない高い天井が、目に飛び込んで来た。
「どこだここはッ!?」
ギョッとして飛び起きる。
すると、自分の体に、薄手の布が掛けられていることに気付いた。
妙に触り心地の良い、光沢のある布地だ。たぶん、絹だろう。
こんなに上質な肌掛け布団は、咲耶の家では使用していない。それを踏まえた上で、改めて寝かされていたベッドを確認してみると、こちらも、かなり高級そうだった。
(……とすると、やはりここは、秋月家の別荘か。……だが、着いて早々、ベッドに横たえられているということは……ここに来るまでの間、私は、眠ってしまっていたということか?……クッ――! だとしたら大失態だな。こうも易々と、敵に無防備な姿をさらしてしまうとは。別荘にいる間、秋月が桃花に不埒な真似をしないよう、見張っていなければいけない立場だというのに、私としたことが……!)
そこまで考え、咲耶はハッとした。
自分が眠ってしまっていた間、桃花はどうしていたのだろう?
慌てて辺りを見回すと、隣のベッドに、やはり横たえられている、桃花の姿を発見した。
「桃花っ!?――おいっ、桃花! 大丈夫か? しっかりしろっ!!」
素早くベッドから下り、飛びつくようにして、桃花の肩を揺さぶる。
「ん……んぅ……?……あ、咲耶ちゃん……」
うっすらと瞼を開き、咲耶に目を留めた桃花は、花が開くかのように、ふわぁっと微笑んだ。
天使のごとき笑顔に、咲耶は胸をズギュンと撃ち抜かれ……気が付くと、発作的に抱きついて、頬ずりしまくっていた。
「桃花っ!! あぁあっ、桃花桃花桃花ぁっ!! おまえはホンっ……っっトに、憎いくらい可愛いなぁっ! くぅ~~~ッ! このこのこのこのぉ~~~っ!!」
「ひゃっ?――さ、咲耶ちゃ…っ? ちょ、ちょっと待っ――」
目覚めたとたんの、激しい愛情攻撃に、桃花は目を白黒させている。
思う存分頬ずりしまくった後、咲耶はハッと我に返り、たちまち顔を赤くして、桃花から体を離した。
「す――っ、すまん! 桃花のあまりの可愛さに、つい……!」
「……あ……アハハ……。だ、だいじょーぶ。ちょっと、驚いちゃっただけ」
桃花は、曖昧な笑顔を浮かべたまま体を起こし、キョロキョロと周囲を窺う。
そして、知らない場所だとわかると、不安げに身をすくめた。
「え……っと……。ここって、どこなのかな? なんだか、綺麗なホテルか、ペンションみたいなお部屋だけど……」
「ああ。私も桃花も、知らぬ間にここまで運ばれたらしいな。……確か、待ち合わせ場所に、仮面王子の家から迎えの車が来て、二人で乗り込んだんだよな? 中には仮面王子と、楠木もいて……楠木は、マヌケ顔でぐーすか眠りこけてて……」
桃花は、『マヌケ顔は、あんまりなんじゃないかなぁ?』と思いながらも、あえて触れることはせず、素直にうなずくと。
「うん。それで秋月くんが、『今日のデートが、よほど楽しみだったんだろうね。昨夜は、全然寝付けなかったんだそうだ。乗って数分と経たないうちに、すっかり眠り込んでしまった』って――」
「ああ、そうだったな。それからあの野郎は、飲み物でもどうかと言って、ロゼ色の液体の入ったグラスを、私達の前にかざして……」
「美味しそうだねって言って、咲耶ちゃんも私も、ゴクゴク飲んじゃったんだよね。それで……その後、なんだか無性に眠くなって来て……」
「ああ。それで気が付いたら、ここにいた――というわけだな」
咲耶と桃花は考え込み、しばらくしてから、同時に顔を上げた。
「まさか――!」
「あの飲み物に、何か……?」
二人が同じ結論に達した時だった。
ドアを数回叩く音がし、外から声が聞こえて来た。
「伊吹さん、保科さん。もう目が覚めたかな?」
「――秋月っ!!」
「秋月くんっ?」
咲耶は言うが早いか、声のした方へと近付き、勢いよくドアを開けた。
「秋月ぃっ!! 貴様、私達に薬を盛ったな!?」
龍生を思い切り睨みつけて言い放つ咲耶に、龍生は少しも動揺することなく、落ち着いた声色で返す。
「薬?――いったい何のことかな? 結太も君も、おかしなことを言うね。どうして僕が、薬など盛らなければいけないんだ?」
「しらばっくれるな、この腐れ外道がッ!! 桃花も私も、おまえに勧められた飲み物を飲んだとたんに、眠くなったんだぞ!? おまえが睡眠薬か何かを仕込んだとしか、考えられないじゃないか!!」
咲耶は龍生の服の襟元を掴み、ギリギリと締め上げた。
すると、桃花が後ろから寄って来て、咲耶の背中に抱きつき、
「やめて咲耶ちゃんっ! そうと決まったわけじゃないのに、乱暴なことしちゃダメだよっ。ちゃんと、秋月くんの話を聞こう?」
今にも泣き出しそうな声で訴える。
咲耶は、慌てて龍生の首元から手を離すと、抱きついている桃花の両手に、優しく手をそえた。
「わかった。わかったから、そんな泣きそうな声を出すな。……ほら。秋月からは手を離したぞ。だから泣くな、桃花」
穏やかな咲耶の声を聞き、桃花はホッとして顔を上げる。
瞳は潤んでいたが、泣いてはいなかった。
「ありがとう、咲耶ちゃん。……でも……えっと、あのね――? 咲耶ちゃんの気持ちもわかるけど、いきなり手を出すとかは、良くないと思うの」
「……ああ、そうだな。すまん。つい、カッとなってしまって……」
――このように、咲耶は桃花にとことん弱い。
桃花の頼みであったなら、何でも受け入れてしまうのではないだろうか。
そんな二人の様子を、側で眺めていた龍生の顔が、一瞬――ほんの一瞬だが、微かに歪んだのを、隣にいた結太だけが気付いた。
「龍生? どーかしたのか?」
「――ん? どうかしたかって、何がだ?」
結太の方に顔を向けた龍生は、もういつもの龍生だった。
余裕の笑顔で、結太を見返している。
「……あ、いや……。何でもねーんなら、いーんだけど……」
なんとも説明しがたい心持ちで、結太は口ごもった。
龍生は薄く笑み、『変な奴だな』とつぶやくと、今度は、桃花と咲耶に向き直り、普段の〝王子様スマイル〟を湛えて訊ねる。
「薬を盛ったとか盛られたとか、そんな物騒な話はやめて、下で昼食でもいかがですか、お姫様方? 女中頭の宝神が、一足先にここに来て、君達をおもてなしする準備をしていたんだ。今頃テーブルの上は、たくさんの料理で埋め尽くされているはずだよ」
「何ッ!? たくさんの料理だとッ!?」
興奮気味の咲耶の声がしたのと同時に、誰かの腹の虫が鳴った。
きょとんとする龍生、結太、桃花だったが――……一人だけ、恥ずかしそうに顔を赤らめている人間がいた。
「……すまん。私だ」
珍しく、うつむきながら詫びる咲耶に、一同がどっと笑う。
「し、仕方なかろう!? これは自然現象だ!! 不可抗力なんだからな!!」
咲耶は言い訳しつつ、悔しげに顔を赤らめた。