第8話 結太、朝から咲耶に詰め寄られダウンする
月曜の朝。
二年三組の教室に、這う這うの体で入って来た結太は、自分の席に腰を下ろすと、一気に脱力し、机に突っ伏した。
今朝は、酷い目に遭った。
お陰で、一日過ごすのに必要な気力と体力を、ごっそり奪われてしまった気分だ。
……いや。元はと言えば自分が悪いのかもしれないが、何も、あそこまで激しく、責め立てて来なくてもいいではないか。
こちらだって、好きで忘れたわけではないのだ。
(クッソ~、龍生も保科さんも、とっくにキスまで済ませてるからって、上から目線であれこれ言って来やがって……! 手を〝ギュ〟っとされたくれーで、舞い上がっちまって悪かったな! どーせオレは、女子に免疫ねーよ! 免疫一切ねー男が、好きな人から両手を〝ギュ〟っと握られたら、そりゃー舞い上がっちまうに決まってんじゃねーか! モテねー男なめんなよコンチクショウッ!!)
心で散々愚痴ってみるが、起き上がる気力までは残っていない。
結太は、朝のHRが始まるまでこうしていようと、そっと目を閉じた。
結太が何故、朝っぱらからご機嫌斜めかと言うと。
話は、十数分前にさかのぼる。
校門前で、龍生と共に車から降りると、
「楠木結太ぁああああーーーーーーーッ!!」
自分の名を大声で呼んでいる者がいることに気付き、ビクッとして顔を上げた。
とたんにドンッと誰かに体当たりされ、『おわッ!?』と声を上げた結太は、車のボンネットに倒れ込む。
するとすかさず、襟元を両手で掴まれ、
「き、さ、まぁあああ~~~! よくも私の可愛い桃花に、恥を掻かせてくれたな!? 屋上などに呼び出しておいて、告白を忘れて帰っただと!? どこまでマヌケな奴なんだおまえはッ!?」
思いきり顔を近付けて凄まれてしまい、結太は内心で、『ひぃい~~~ッ』と悲鳴を上げた。
「咲耶。気持ちはわかるが、目立つ行動は控えないと。……ほら。伊吹さんが心配して駆けて来る。彼女の前で、〝結太が告白するのを忘れた話〟は出来ないだろう?」
結太の制服を掴んでいる咲耶の両手を、後ろから抱き締めるように制し、龍生は耳元で告げる。
たちまち真っ赤になった咲耶は、パッと両手を離した。
「イテッ!!」
ボンネットに頭を打ち付け、痛みに顔を歪める。
そこに桃花がやって来て、結太に心配そうに声を掛け、咲耶には、『自分のためを思うなら、こんなことはしないで』と、やんわりとたしなめてくれたのだった。
咲耶は、まだ何か言いたげに、結太を睨んでいたが、桃花に止められてはどうすることも出来ず、悔しそうに拳を握り締めていた。
それから、四人は朝の挨拶を交わし、校舎に向かって歩き始めたのだが……龍生が、桃花に何やら話し掛けたとたん、後ろから学ランを引っ張られ、
「いいか、楠木? 今日こそ絶対、桃花に告白しろよ?――いいな!? 絶対だぞ、絶対ッ!!」
耳元で、咲耶に念押しされてしまった。
「ええっ、今日!?」
思わず大声で訊ねると、素早く頭を叩かれ、『声を出すなッ!! 桃花に気付かれるだろうッ!?』と、小声で注意され……。
結太は頭をさすりながら、『今日、改めて桃花に告白する』ことを、咲耶に約束させられたのだった。
(……ったく。『告白しろ』なんて、簡単に言ってくれるよな。昨日、オレが屋上行くのに、どんだけ勇気振り絞ったと思ってんだ? 一年……いや、数年分くれーの勇気は絞ったぞ、まず間違いなく。それを……まだ気持ちも立て直せてねーうちに、告白しろだなんて……。クッソ~っ、勝手なことばかり言ーやがってーーーっ!)
机に突っ伏したまま、結太は周囲に聞こえないほどの声で、ブチブチ文句を言っていた。
咲耶は告白なんてしたことがないだろうに、何故、あそこまで偉そうに、人に指図出来るのだろう?
無人島での、桃花とのナイトクルージング計画を、横から入って来て台無しにした張本人のクセに、何故また今頃になって、『桃花に告白しろ』などと、言って来たりするのだ?
(どー考えても、応援してるって感じじゃねーしな。……まさか……告白して、オレが玉砕すんの、待ってたりして……。いやっ、そんな……。まさか……)
いくら咲耶でも、そこまで意地の悪いことは考えていまい。
単純に、自分が龍生と幸せになったから、親友の桃花にも、早く彼氏を作ってあげたい……などということを、考えているだけだよな……と、結太は己を納得させた。
(そ――っ、そーだよ! 保科さんはきっと、オレと伊吹さんの恋を、応援してくれてるんだ! 自分だけ幸せになっちまって、申し訳ないって……。親友の伊吹さんにも、早く幸せになってもらいてーって……。ただ、それだけだよな……?)
「よしっ! もーウダウダ考えんのはヤメだッ!」
両手を机について起き上がると、一斉に、生徒達が結太を注視した。
ギョッとして固まる結太に、いつの間にか教室に入って来ていた担任教師が、
「なんだ、考え事をしていたのか?……だが、HRはとっくに始まっているんだぞ? 考えるのも結構だが、今はこちらに集中しろ」
呆れたように告げたとたん、クラス中がどっと沸く。
結太は『ヤッベ~』と肩をすくめ、うつむいたのだが、そこにいきなり、
「結太!! 結太じゃない!!」
聞いたことのある声が降って来て、再び顔を上げると、
「結太ッ!!――嬉しいっ、また会えたーーーっ!!」
教壇の横に立っていた金髪の少女が、結太の席まで駆けて来て、両手を広げて抱きついて来た。
「へっ?……え……ええっ!?……まさか、おまえ……イーリス!?」
病院で出会った時は、黒く染めていたはずの髪は、完全に金髪になっていた。
そのせいで、すぐには気付けなかったのだが……。
間違いない。目の前の少女は、病院でたった一度会ったきりの……スウェーデン人の美少女、イーリスだった。
「久し振りっ、結太! アタシ、結太に会いたくて会いたくて……転校して来ちゃったっ」
〝てへっ♪〟――といった感じの笑顔でウィンクすると、イーリスはチュッと、結太の頬にキスをし、『ヨロシクね』と、素早く耳元でささやいた。