第5話 咲耶、ケーキを頬張りつつ不満をぶちまける
「まったく、何を考えてるんだあいつはッ!? てっきり、桃花に告白するものと思っていたのに、『手を〝ギュ〟っと』されたことで一気に舞い上がって、すっかり忘れてしまっていただと!? 何なんだその、どーしよーもない理由はッ!? ヘタレにも程があるッ!!」
土曜の午後三時。
龍生の家のリビングルームで、咲耶はひたすら腹を立て、不満をぶちまけていた。
リビングのテーブルの上には、ティーセットと、宝神が張り切って用意した数々のお菓子が、所狭しと並べられている。
大声で結太に対しての不満を述べた後、咲耶は、高級そうなフルーツで飾り立てられたショートケーキを、フォークで大きめにカットし、口の中に放り込んだ。
そんな咲耶を、龍生は、『腹を立てていても、食欲は減ったりしないんだな。……いや。腹を立てているからこそ、余計に食欲が湧くのか?』などと思いながら見つめ、苦笑した。
「まあ、咲耶が腹を立てるのは当然だな。今回のことについては、俺も、全くもって同感だ。告白をしに行ったにもかかわらず、肝心のことを忘れて帰って来る――などということは、普通ならば考えられない。直前になって、やはり勇気が出せずに……というのであれば、まだわかるが」
ケーキをモグモグしながら、咲耶は何度もうなずいて。
「ング、――っん、そーだ! それならまだわかる。ただの意気地なしってことだよな。……だが、あいつの態度はそれ以下だ! 告白自体を忘れるなど、絶対あり得ん! そのお陰で、桃花はまた、楠木には『他に好きな人がいる』んだと、誤解してしまっているんだぞ!……ああ、可哀想な桃花……っ。ヘタレな楠木に代わって私が教えてやろうかと、何度思ったことか!」
フォークを逆さまに持ち、柄でもって、テーブルをガンガン叩いて、咲耶はしきりにもどかしがる。
そんな咲耶を見ても、龍生は『行儀が悪い』などと思ったりはしない。むしろ、クスクスと愉快そうに笑っていた。
「教えてやればよかったのに。ここまで失態が続けば、結太も、『自分の口で伝えたかった』などと、文句は言えないだろうし」
「ダメだッ!!」
キッと顔を上げて、龍生を睨む。
だが、次の瞬間には、咲耶は切なげに睫毛を伏せ、お祈りをする時のように、両手を胸の前で組み合わせた。
「それじゃ……私が教えたりしたんじゃ、ダメなんだ。告白の言葉は……やはり、好きな人の口から、直接聞くんじゃないと。……大事な想いは、代弁なんかじゃ……きっと、ちゃんと伝わらない。私だって、恋愛のことは、まだよくわかっていないが……そんな気がするんだ」
心許なさそうな咲耶の言葉に、仕草に、龍生は一瞬、見惚れてしまった。
女性らしい――と言ったら、怒られてしまうかもしれないが、勝気な咲耶が、時折ちらりと覗かせる頼りなげな風情は、妙に〝異性〟を感じさせ、ドキッとしてしまうのだ。
一ヶ月半ほど前の咲耶なら、このような表情も、台詞も、仕草も、表に出しはしなかっただろう。
……いや。己の中に、こんなにいじらしい部分があることすら、彼女は未だ、気付いていないのかもしれない。
ソファから立ち上がり、咲耶の元まで歩いて行くと、龍生は彼女の横に座り直した。
そしてそっと片手を伸ばし、彼女の肩を抱き寄せる。
「な――っ!……な、なんだいきなりっ? どーして場所を移動したっ?」
たちまち真っ赤になって、驚いたように龍生を見上げる咲耶の唇に、素早くキスする。
彼女の両目は、更に大きく見開かれ、唇が離れたとたん、
「ちょ…っ、何するんだこのバカっ! 脈絡もなく、こーゆーことするなっ!」
両手で龍生の胸元を押し、逃れようとする。
龍生はそれを許さず、強引に背中に手を回すと、更に強く抱き締めた。
「脈絡ならあるよ。咲耶が急に可愛らしい顔を見せるものだから、キスして、抱き締めたくなった。――ほら。ちゃんと筋が通っている」
「なっ、何をバカな――っ!……か、可愛らしい顔なんてしてないっ! 絶対してないっ!! だから離せッ!! 離せってばーーーッ!!」
逃れようと、必死に腕の中でもがく咲耶を、容赦なく抱き締め続け、龍生はクスクス笑う。
咲耶は、カーッと頭に血が上りながらも、抗議の声を上げた。
「バカバカッ!! 離せってばッ!!――ほっ、宝神さんが来たらどーするんだよっ!? また鵲さんがっ、東雲さんが来たら――っ」
「べつに、構わないだろう? 俺達は、婚約しているんだから。プライベートの場で抱き合っていたって、誰も文句は言わないさ」
「そ――っ、……うぅっ……。だからっ、そーゆー意味じゃないぃいいいいーーーーーッ!!」
咲耶の困ったような声を耳元で聞き、これ以上ないと思えるほどの、幸福を噛み締める。
せっかく、『休日はなるべく二人で過ごす』と、咲耶に約束させたのだ。この機会を、充分に堪能しなければ、罰が当たるというものではないか?
それに、あれだけキツく、何度も叱っておいたのだ。鵲も東雲も、さすがに懲りているはずだ。二度と、覗き見するような真似はしないだろう――。
そう思いながら、何げなく、壁に掛けられている長方形の鏡へと、視線を移す。
「――っ!」
刹那、信じられないものが鏡に映っていることに気付き、龍生はカッと目を見開いた。
(……まさか……。そんなことが……)
信じたくはなかったが、実際に見えてしまっているのだから、どうしようもない。
龍生はハァ~っとため息をつき、咲耶を両腕から解放すると、ゆるゆると立ち上がった。
「え――。……秋、月……?」
確かに『離せ』とは言ったが、あまりにも呆気なく解放されたものだから、咲耶はきょとんとして固まった。
龍生は小声で、『少し、待っていてくれ』と告げると、ドアの方へと歩いて行き――……。
「ギャ…ッ!?」
首を絞められた鳥のような声がしたと思ったら、ドアがバタンと閉じる音がした。
驚いて咲耶が振り返るのと、『逃げるなッ!! そこから動くことは許さんッ!!』と、龍生がドアに向かって大声を上げるのとが、ほぼ同時だった。
何事かと見守る咲耶の目に、ゆっくりとドアを開ける、龍生の横顔が映る。
龍生は、ドアの外で蒼ざめて正座している二人に、今まで生きて来た中で、一番冷たいと思える声で、
「どうやら、おまえ達の辞書には……〝学習能力〟という文字は、完全に書かれていないらしいな?」
そう訊ねると、相手をゾッとさせる微笑みを浮かべた。
ドアの前で正座していたのは、今や、お約束となりつつある二人――鵲と東雲だった。