第3話 龍生、結太の驚くべき一言に心底呆れ返る
「ええッ!?」
結太がシートに沈み込むと、珍しく大声を上げて、安田が振り返った。
しかし、すぐにハッとしたように正面を向き、
「――失礼いたしました。私のことはお気になさらず、お話をお続けください」
と言って、軽く頭を下げる。
龍生は、珍しいと思いながらも、声を上げてしまった安田の気持ちもわかると、心で同意を示した。
結太は今、告白するのを忘れたと言った。
信じられない言葉だが、確かにそう言った。
屋上には、告白をしに行ったのではなかったのか?
告白をしに行って、告白するのを忘れて帰って来るとは、いったいどういう了見なのだ?
「告白するのを忘れたって……。おまえ、屋上には、何をしに行ったんだ?」
呆れるのを通り越して、何だか腹が立って来た。
声に怒気を含ませつつ、龍生が訊ねると、結太は気まずく視線をそらし、
「何って、そりゃ……誤解を、解きに……?」
自信なさげに、モゴモゴとつぶやく。
「――それだけか?」
「え?」
「それだけか、と訊いている。おまえは、誤解を解くためだけに、伊吹さんを、わざわざ屋上まで呼び出したのか?」
「……え、いや……。屋上に呼び出したのは、龍生……だろ?」
結太の顔には、『おまえが呼び出してくれたのに、忘れたのか?』と書いてあるように思えた。『そういうことを言ってるんじゃない』と、龍生はますますイラッとする。
屋上に呼び出したのは誰か、などということは、この際どうでもいいのだ。
問題は、屋上に何をしに行ったか――だ。
「おまえは、誤解を解くためだけに、屋上に行ったのか!? 告白するためではなかったのかッ!?」
怒っている時でも、あまり声を荒らげたりはしない龍生だが、今日は、よほど腹に据えかねたらしい。
結太は、『マズい。こいつマジだ』と、内心震え上がった。ビクビクしつつ、小声で答える。
「え……と……。そりゃー、告白もする……つもり、だったけど……。しょ、しょーがねーじゃん。忘れちまったんだか――」
「何が『しょーがねーじゃん』だッ!! 告白しに行って、肝心の告白の方を忘れて来る奴がいるかッ!!――まったく本当におまえという奴は……っ、どこまで抜けているんだこの大馬鹿者がぁああああーーーーーッ!!」
襟首を両手で掴まれ、声を限りになじられた。鼓膜がビリビリと震えているのが、ハッキリ感じ取れるほどの大声だった。
龍生の意外な反応に、結太が目を白黒させていると、彼は深々とため息をつき、結太の襟元から手を離す。
シートに体を預け、片手で両目を覆うと、
「……では、さっきまでのニヤけた顔は、いったい何だったんだ? あまりにもだらしない顔を晒しているから、俺はてっきり……告白が上手く行ったものと……」
独り言のように、暗い声でつぶやく。
結太は、少し体を起こし、両手を膝に置いて背筋を伸ばした。――龍生が怒っている理由が、なんとなくわかって来たからだ。
龍生は、自分の恋が上手く行ったと思い、喜んでくれていたのだ。
それなのに、まだ告白もしていないとわかり、ガッカリしたのだろう。
「なんか……ごめんな、龍生。せっかくおまえが、イロイロと、気ぃ遣ってくれてたのに……。結局、告白すんの、忘れて来ちまって……」
伸びていた背筋が、どんどん丸く、小さくなって行くのを横目で感じ、龍生は再びため息をついた。
告白をしに行っておいて、告白を忘れて帰って来る――などと、龍生には、とうてい理解出来ないが、過ぎてしまったことを、今更あれこれ言っても仕方がない。
よくわからないが、肝心のことを忘れていたにもかかわらず、それに長いこと気付かず、あれだけだらしのない顔を晒していたのだ。きっと、目的を忘れてしまうほどの、良いことがあった――ということなのだろう。
「結太、屋上で何があったんだ? 当然、誤解は解いたんだろう?……まさか、それすら忘れたとは言わないだろうな?」
(いくらなんでも、そんなことがあるわけがないが……。もしも、そんなことがあったとしたら、俺は今度こそ、こいつの友人でいることが、嫌になってしまうかもしれない……)
龍生の心の声が、結太に聞こえるはずもないが、彼は焦ったように首を振り、
「いやっ、さすがにそれはないって!――解いた! ちゃんと誤解は解いたって!」
「……そうか。ならいいが……」
内心で胸を撫で下ろし、龍生は横目で結太を見つつ、更に訊ねた。
「――で? 誤解を解いてからは、何があった? キスでもされたか?」
「な――っ!」
結太はたちまち真っ赤になり、ブンブンと首を横に振った。
「あっ、アホかッ!? んなこと、あの控えめな伊吹さんがするわけねーだろッ!? き、きっ、きっ……キスとかって、とんでもねーよッ!!」
「……ふぅん。じゃあ、何をされたんだ?」
「さ――っ、……された、って……。べつにそんな、大袈裟なことじゃ……ねーのかもしんねー……けど……」
赤い顔のまま目をそらし、結太は、しばらくの間モジモジしていたが、やがて、龍生には聞こえないほどの小さな声で、何やらつぶやいた。
すぐさま、何を言ったのかと確認すると、彼はますます顔を赤くし、
「手――っ、てててて手をっ!……両手で〝ギュ〟って、してくれたんだっ!」
恥ずかしそうに言った後、『うわーーーっ、言っちまったーーーっ』と、両手で顔を覆う。
「………………は?」
たっぷりと間を置いてから、龍生は眉間にしわを寄せ、呆れたような声を出した。
手を〝ギュ〟?……とは、手を握られたと言うことか?
……手を……握られ……た……?
たったそれだけのことで、あそこまで緩みまくった顔を、晒していたと言うのか?
「……おまえは、小学生以下か……?」
思わずつぶやくと、結太はキッと龍生を睨み、
「うっせーなッ!! いーだろべつにッ!! それでもジューブン嬉しかったんだからッ!!……そりゃ、おまえはもー、保科さんとキスまで済ましてんだもんな! 手を握られたくれーで何だって、バカらしいって、呆れちまうんだろーけどさっ、けど――っ、オレにとっちゃ、あの大人しくて控えめな伊吹さんが、自分の方から手を取って、〝ギュ〟ってして、おまけに〝ニコッ〟って微笑んでくれただけでも、サイコーに幸せだったんだよッ!! 天にも昇る気持ちだったんだッ!!……いーだろもうッ、他人の感情なんだからッ!! 放っといてくれよッ!!」
言うだけ言うと、窓の方に顔を向け、乱暴にシートにもたれる。
そして、拗ねていることを主張しているかのように、強くギュギュゥっと、腕を組んだ。