第8話 咲耶、桃花の家の前で『降りる』と言い張る
桃花の家の前で車が停まり、桃花が外に出ると、
「秋月。私もここで降りる。――安田さん、ありがとうございました」
龍生と安田、それぞれに告げ、咲耶は車のドアノブに手を掛けた。
龍生は助手席から後部座席を振り返り、困ったように首をかしげる。
「ここで?――咲耶のご家族に、今日のことをお話し、お詫びしようと思っていたんだが……」
「詫びなど、する必要はない」
キッパリと言い切る咲耶に、龍生は尚も食い下がる。
「だが、俺が勝手な行動を取らなければ、こんな騒ぎにはならなかった。……結太の言う通りだ。今日のことは、全て俺の責任だ。だからこそ、ご家族には、君には何の非もないということを、しっかり説明しておかなければいけないだろう? 俺には、その義務がある」
「義務だの責任だの、関係ない。私が不要と言っているんだ。自分のことは自分で話す」
咲耶はまっすぐ前を向き、先を続けた。
「それに、おまえだけに非があるなどとは、私は思っていない。あの時、おまえの気持ちを受け入れたのは私だ。拒むことも出来たのに、そうしなかったのは私だ。……いや。この際、正直に言おう。あの時、私もそうしたいと思った。人前だろうと何だろうと関係なく、あの時だけは、おまえとキス――っ、……したい……と、心から思ったんだ。だから、おまえがキスしたことが罪だと言うなら、私も、間違いなく同罪だ」
「……咲耶」
「帰ったら、母様には、そう説明するつもりだ。上手く話せるかは……正直、自信がないが……」
そこで初めて、咲耶は恥ずかしそうにうつむいた。
人一倍照れ屋な彼女が、安田や、外には桃花もいるとわかっているところで、『キスしたいと思った』などと告白するのは、さぞや勇気が要っただろう。
咲耶の想いを聞いた後、龍生は睫毛を伏せ、ため息をつくと、諦めたように微笑んだ。
「わかった。君がそこまで言ってくれるのなら、ご家族への説明は、咲耶に任せる」
「――ああ! 任せてくれ!」
想いが伝わったことが嬉しかったのか、固い蕾が一気に綻ぶかのように、咲耶は笑った。
彼女の笑顔は、さながら大輪の芍薬を思わせる。薔薇のように、美しいが、どこか気取ったような印象はなく……かと言って、素朴な蒲公英とも、明らかに違う。
(芍薬の花ことばは……確か、“恥じらい”や“はにかみ”。絢爛豪華な見た目とのギャップが、また咲耶らしい。……やはり、惚れ惚れするほど美しいな、俺の恋人は――)
結太が聞いたら、『まーたノロケかよ?』とげんなりされそうなことを思いながら、龍生は咲耶に微笑み掛け、車を出すよう安田に告げた。
車が行ってしまうと、咲耶は、まだ家に入らず、話が終わるのを待っていてくれたらしい桃花に、ニコッと笑い掛けた。
「すまなかったな、桃花。桃花には関係ないことなのに、付き合わせてしまって。……私は大丈夫だから、早く家に入ってくれ。今日は、いつもより遅くなってしまったし、家の人も心配しているだろう」
桃花はふるふると首を振り、
「ううん。謝る必要なんてない。……でも、あの……ひとつ、訊いてもいい?」
「ああ。何だ?」
桃花は、まっすぐ見つめて来る咲耶から目をそらし、少しの間沈黙した。本当に、訊いてもいいことなのかどうか、迷っていたのだ。
しかし、しばらくしてから、意を決したように顔を上げると、
「先生達に、何を言われたの? 帰りの車の中で、咲耶ちゃんも秋月くんも、ずっと黙ったままだったから……何だか、心配になって来ちゃって」
両手を胸に当て、正直に自分の気持ちを伝える。
咲耶は、『なんだ、そんなことか』とでも言うように、クスッと笑い、
「ずっと心配してくれていたのか。だったら、悪かったな。べつに、大したことを言われたわけではないんだ。ただ、『他の生徒達に与える影響を考えろ』とか、『学生の本分は勉強だ』とか、『恋ばかりにうつつを抜かして、成績が落ちたらどうするんだ』とか、ありきたりな説教をされただけだ」
桃花はホッと息をつき、『よかった。お説教だけで済んだんだ』と言おうと口を開いた。
すると、
「まあ、最後に、『明日、君達の保護者の方を、学校にお呼びする。そこで、改めて話をしよう』――とも言われたが」
さらりと話を追加され、桃花の心臓はどっくんと跳ね上がった。
「え――。……ええええええええッ!? そっ、それって……保護者の呼び出しってことっ!?」
「ああ。そうだ」
「……『ああ。そうだ』……って……」
――それでは、まだ安心出来ないではないか。
保護者も呼び出したところで、改めて処分を伝える――……ということも、絶対にないとは言えまい。
「さっ……咲耶ちゃん……」
胸の前で組み合わせた手をギュッと握り締め、今にも泣き出しそうな顔で、桃花は咲耶を見つめる。
咲耶は、桃花の肩にポンと手を乗せると、力強くうなずいた。
「大丈夫だ。そんな顔するな。私は、間違ったことをしたとは思っていない。他の生徒達に動揺を与えてしまったことは、申し訳ないと思っているが……。不思議と、後悔はしていないんだ。……だから大丈夫。停学だろうが退学だろうが、他の、どんな処分を下されようが、甘んじて受けてやるさ」
吹っ切れたような爽やかな笑顔に、こんな時だとわかりつつも、桃花の胸はキュンとときめいた。