第7話 結太と桃花、車内の重苦しい雰囲気にうつむく
結局、その日の帰りは、皆揃って、龍生の家の車で送ってもらうことになった。
助手席には龍生が。後部座席には、結太、桃花、咲耶の順に座っていた。
これが普段であれば、結太は桃花の隣でドキドキし、桃花も結太の隣でドキドキし……というように、緊張しつつも、楽しい時間になっていただろう。
しかし、車内には重苦しい空気が立ち込め、とてもではないが、浮かれるどころの話ではなかった。
先ほどから、龍生も咲耶も、難しい顔で黙り込んでいる。
教師(または教師達)に、よほど酷いことを言われたのだろうか?
それとも、『交際禁止』とでも、言われてしまったのだろうか?
結太も桃花も、訊きたくて堪らなかったのだが、二人の様子があまりに深刻なので、訊ねられぬまま、刻々と時だけが過ぎて行った。
「結太様、到着いたしました」
いつもの場所に車を停めると、後ろを振り向き、安田が告げる。
結太は、もう着いてしまったのかと、ガッカリしつつ、
「ああ。ありがとう、ブンさん。じゃあ、伊吹さん。また明日」
「――あっ、うん。また明日ね、楠木くん。……脚、ホントに大丈夫? どこも痛くない?」
「うん、ダイジョーブ。どこも痛くないよ。ありがとう、心配してくれて」
「ううん。……でも、ホントに気を付けてね? 無理しちゃダメだよ?」
気遣わしげに見上げて来る綺麗な瞳に、ドキリとする。
結太は慌てて目をそらし、ごまかすように笑みを浮かべた。
「わかってる。無理はしないって。――じゃあ。……え、と……保科さんも、また」
「……ああ」
咲耶は結太を一瞥してから、気のない返事を寄こす。
これがいつもであれば、『愛想ねーなー』とムッとするところだが、今日の咲耶は、それどころではないのだろう。
それが理解出来るので、結太は特に気にすることなく、龍生に『じゃーな』と言って、車を降りた。
「それでは、結太様。また明日、お迎えに上がります」
「ああ、うん。ありがと、ブンさん」
結太に向かって会釈してから、安田は車を発進させる。
車内から、桃花が手を振っているのが見えたので、結太も、軽く笑って手を振った。
結太は、車内ではとうとう、一言も発しなかった龍生と、妙に大人しかった咲耶に思いを巡らせ、
「……マジで、センセー達に何言われたんだろーな……あの二人」
遠ざかって行く車を目で追いつつ、ポツリとつぶやいた。
結太が降りてから、社内の空気はいよいよ重く、桃花に圧し掛かった。
いっそ、『先生に何を言われたの?』と訊いてしまえば、楽になれるのかもしれない。
そう思い、何度か口を開き掛けたのだが、やはり、どうしても訊くことが出来なかった。
桃花はただただ、膝の上に両手を重ねて置き、押し黙るのみだった。
(うぅ……。訊きたいのに訊けない状態って、ホントに辛いな。楠木くんがいてくれてるうちは、まだ耐えられたけど……一人だと、余計に辛く感じる。……でも、ダイジョーブだよね? 停学……なんてことには、ならなかったんだよね?)
桃花はそうっと、視線を横に移した。
咲耶は、憂い顔で腕を組み、窓の外を、ぼうっと眺めている。
ただそれだけだと言うのに、恐ろしいほど絵になっていて、桃花は改めて、『美人って……咲耶ちゃんてすごい』と、心底感動するのだった。
(……でも、そーだよね。咲耶ちゃんくらいの美人さんなら、憧れてる男の子達なんて、山ほどいるに決まってる。その人達からしたら、目の前でキスシーン見せられちゃって、すごくショックだったよね……。わたしだってきっと、楠木くんと、楠木くんの好きな人がキスしてたら、かなりショッ――……)
そこまで考え、桃花はハッと息を呑んだ。
“結太と、結太の好きな人が”――?
「……ヤダ……。楠木くんは、あの子達の気持ちを、代弁したわけじゃ……」
両手を口元に当て、桃花は呆然とつぶやく。
そのつぶやきが聞こえたのか、咲耶は桃花を振り返り、
「――桃花?……今、何か言ったか?」
怪訝顔で訊ねるが、桃花はふるるっと首を振り、
「なっ、何でもないっ!……何も……何も言ってないよ、咲耶ちゃん」
「……そうか?」
「うんっ」
心配させてはいけないと、桃花は笑って答える。
咲耶は、まだ少し不安そうに、桃花をじっと見つめていたが、今は普通の状態ではないからだろう。もう一度『そうか』とつぶやくと、再び窓の外に目をやった。
咲耶が普段通りだったなら、桃花の様子がおかしいと、すぐに気付いたはずだった。
だが、今の彼女は、自分と龍生のことで頭がいっぱいだ。僅かな変化を、見落としてしまった。
桃花はほぅ……と息をつき、気付かれずに済んだと、胸を撫で下ろす。
もしも、『どうした?』と訊かれていたら、危ないところだった。
(……だって、言えるわけないよ。咲耶ちゃんと秋月くんのキスシーン、もし、楠木くんが目にしちゃってたら……きっと、すごくショックだったんだろうなって……。そんなことを考えてたんだ、なんて……言えるわけない……)
――そう。
桃花は気付いてしまったのだ。
結太は、龍生のファンの女の子達の気持ちを、代弁していたわけではないのだと。
もし、キスシーンを目撃したのが彼女達ではなく、自分だったら……と、そんな風に考え、言わずにはいられなかったのでは、と――。
『見せつけられて、傷付くヤツらだっているんだよ!! おまえらに、報われねー片想いしてるヤツらが、山ほどいるんだ!! そいつらのこと、どーしてほんのちょっとくれー、考えてやれねーんだよッ!?』
……あの台詞は、彼女達を思って言ったのではない。自分のために言ったのだ。言わずには、いられなかったのだ……。
(やっぱり……。やっぱり楠木くんは、まだ、秋月くんのこと……)
結太がさっさと誤解を解かないせいで、桃花はまた、暗く果てしない底なし沼に、ズブズブとはまり掛けていた。
片想い中の龍生と咲耶の仲が深まって行くのを、目の前で見ていなければならない辛さに、きっと、結太は苦しんでいるのだ――と、完全に思い込んでいた。