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第1話 龍生、恋人を捉まえるため廊下を疾走する

 放課後になった。

 龍生は誰よりも早く席を立つと、鞄を持って後ろの戸へと突進した。


 昼休みは逃げられてしまったが、今度こそ、帰宅する前に咲耶を捉まえ、話を聞いてもらわなければ。

 今日一日、龍生はそのことばかり考えていた。



 教室を出ると、全速力で廊下をひた走る。

 龍生が廊下を走っているところなど、見たことがない者がほとんどだったので、たまたま目にした者達は、ただただ驚き、目を見張った。


 特に教師などは、廊下を走る生徒を見掛けるたび、『コラァッ!! 廊下は走るなって、いつも言ってるだろうがッ!!』と、条件反射のように叱ってしまう生き物だ。走って来る生徒の足音が聞こえたと同時に振り返り、注意しようと口を開いた。



 ……が、教師の内の一人は、『コ――っ』と言ったまま固まった。一瞬で、それが龍生だと認識したからだ。



 本来なら、他の生徒と同じように、注意しなければいけないところだ。教師が、堂々とえこひいきするなど、褒められたものではない。

 それでも、あまりにも目の前の光景が意外過ぎて、その教師は、しばし口を開けたまま、廊下をもの凄いスピードで駆けて行く、龍生の後姿を見送った。



 龍生のクラスである一組の教室から、咲耶のクラスである七組の教室まで、距離としては、七~八十メートルあるかないかだろう。龍生の脚なら、十秒前後。

 咲耶のクラスのHRが、かなり早く終わったりしていなければ、余裕で間に合うはずだった。



(メッセを送っても既読スルーされるし、休み時間ごとに会いに行っても、教室はもぬけの殻。こんな状態では、いつまで経っても話など出来やしない。とにかく、二人が帰ってしまう前に捉まえなければ。それでも捉まらなかったら、直接、咲耶の家まで行くしかない)



 そんなことを思いながら、五組の前を通り過ぎると、前方に迫った七組の教室から、ちょうど咲耶が出て来た。

 咲耶も、戸を開けたと同時に、走る気でいたらしい。勢いよく廊下へ飛び出すと、桃花の教室――三組のある方へと、くるりと向きを変えた。


 だが、自分の方に向かって駆けて来る、龍生に気付くや(いな)や、『ゲッ』とでも言うような顔をして、数歩後ずさる。


「咲耶!」


 思わず呼び掛けると、咲耶は困ったように、龍生と後方とを見比べた。

 桃花の教室に行くには、龍生のいる方へ向かうしかない。しかし、それだと完全に龍生に捉まる。

 咲耶は一瞬迷った末、半回転して逆方向へと駆け出した。


「咲耶ッ!!」


 咲耶も、女子の中ではかなり足の速い方ではあるが、男子の中で足の速い方である龍生には敵わない。数秒と経たぬうちに腕を掴まれ、軽く引っ張られて、抱きすくめられてしまった。


「な――っ!」


 驚いた咲耶が、短く声を上げると同時に、周囲では『キャーーーッ!!』という、悲鳴とも歓声ともつかない、女生徒数名の声が上がる。



 今や、二人が付き合っていることを知らない者など、校内には存在しない。

 しかし、ここまで大胆に、学校の廊下で抱き合う(――いや。この場合、龍生が一方的に抱き締めているだけだが)ということがあるなどとは、誰も思ってはいなかったのだろう。



「バ……っ、――バカッ、離せッ!! こんなところで、いきなり何を――っ。離せよっ! 離せってばッ!!」


 腕の中で暴れる咲耶を、龍生は絶対に逃がすまいと、余計に強く抱き締める。


「嫌だ。離したら、きっと逃げるだろう?」


 耳元で問い掛けられたとたん、咲耶の顔は、カーッと熱くなった。


「に――っ、……に、逃げない。だから……離してくれ」

「……本当に?」

「ほっ、ホントだッ!!――逃げないッ!! 絶対逃げないからッ!!」


 ドックドックと、うるさいほどに高鳴る、心臓の音。

 龍生に聞こえてしまわないかと、咲耶は心配になった。


「……わかった。逃げたら()()()()だよ? いいね?」



 …………“おしおき”?

 なんだそれは? 小さな子を叱るみたいな言い方をして――。



「に、逃げないって言ってるだろう!? だから早く離せッ!!」


 少しムッとしながら言い放つと、龍生は両腕から力を抜き、咲耶の体を解放した。

 咲耶は龍生をギロリと睨み、


「まったく、おまえという奴はッ!! 時とか場所とかわきまえろよなッ!? 先生に見つかったら、説教だけじゃ済まないかもしれないんだぞッ!?」


 両手を腰に当てて注意するが、注意されている本人は、まったく気にしている様子がない。

 それどころか、不満そうに口元をキュッと結ぶと、


「君が、俺を()け続けるのがいけないんだろう? 伊吹さんに避けられるのならまだわかるが、どうして君にまで、こうも長いこと、放って置かれなければいけないんだ?」


 まるで、()ねてでもいるかのように、両腕を組み、ふいっと横を向いた。


「べ、べつに、放って置いたとか、そんなんじゃ……。ただ、桃花が教室に居辛(いづら)いと言うから、出来るだけ一緒にいてあげようと思って……」


「だったら、そう返信するか、直接説明するか、すればいいだけの話だろう? 何故、既読スルーなんてしたんだ? 教室に行っても、いつも居ないし」


「だっ、だからそれは――っ、教室にいると、楠木とのことを、いろいろ噂されて……辛いって、桃花が……」


 龍生はハア、と大きくため息をつき、


「桃花桃花桃花。――本当に、彼女のことばかりなんだな、君は。俺なんかより、伊吹さんの方が大事なんだろう?」


 うんざりした口調で告げる。

 咲耶は目を見開き、訴えかけるように龍生を見上げた。


「そ――っ、そんなことない! おまえのことだって、ちゃんと大事に思ってる!」

「……本当かな。普段の君を見ていると、伊吹さんへの気持ちの方が、よほど強いように感じるが」


「違うッ!! そんなことないッ!!」

「……だったら、もし、俺と伊吹さんが崖から落ちそうになっていたら、どちらを助ける? どちらかしか助けられないとしたら……の話だ」

「――えっ?」


 思い掛けない質問に、咲耶の目が、更に大きく見開かれる。


 言ってしまってから、『どうしてしまったんだ、俺は? こんな、大人げない質問をするなんて――』と、恥ずかしくなった。すぐさま後悔したが、言ってしまったことは取り消せない。龍生はやけになって、


「答えなくてもわかるよ。伊吹さんだろう? 君なら絶対にそうする」


 決めつけるように言い放つと、咲耶は蒼い顔をして、


「ち……違……う。そんな……そんな、こと……」


 ゆるゆると首を横に振り、小声でつぶやく。

 咲耶のそんな顔を見て、龍生はますます、自己嫌悪(じこけんお)(おちい)った。



 こんなくだらない質問、自分なら、絶対にしないと思っていた。

 恋人と親友の、どちらかしか助けられない――なんていう究極の質問を、愛する人に答えろと迫るなんて、悪趣味にも程がある。



 龍生はため息をつき、『いいよ、答えなくて。意地悪な質問をしてすまなかった』と、謝るために口を開いた。

 すると、


「私……。私、は……。私は……」


 彼女はまだ、答えを迷っているようだ。同じ言葉を、ずっと繰り返している。


「……咲耶。もうい――」

「私は、桃花を助けるっ!」


 龍生が『もういい』と言うより早く、咲耶がキッパリと答えた。

 一応覚悟はしていたものの、こうも言い切られてしまうと、さすがにキツイものがある。龍生は無意識に、ギュッと制服の胸元を掴んだ。


「……そう。やはり――……」

「それから、おまえを助けるッ!!」


 先ほどより大きな声で、咲耶は尚も言い切った。

 龍生は呆然と彼女を見返してから、フッと笑みをこぼす。


「それはダメだよ。ルール違反だ。……『どちらかしか助けられない』と言ったろう?」

「うるさいッ!! そんなもん知るかッ!! 助けると言ったら助けるッ!! 絶対に助けるッ!!」


「……咲耶」



 まるで駄々(だだ)っ子だな――。



 そう思いながら、龍生が次の言葉を告げようとすると、


「桃花を助けた後、おまえを助けて――。それでも、どーしても、おまえが助けられない……って、わかった時は……」


 咲耶は真剣な顔で龍生を見上げ、大声で宣言する。


「おまえと一緒に、私も崖下に落ちてやるッ!! 決しておまえを、独りぼっちで死なせたりしないッ!! 私は……っ、私はもう二度と、崖から落ちるおまえなんて見たくないッ!! 見たくなんだ――ッ!!」


 言っている途中で、涙をポロポロこぼすと、咲耶は思いきり龍生にしがみつき、大声で泣き始めた。

 龍生は、『もう二度と、崖から落ちるおまえなんて見たくないッ!!』という言葉で、ハッと息を呑む。



 またしても、絶対に言ってはいけないことを、彼女の前で言ってしまった――。



 そのことに気付き、龍生は己の迂闊(うかつ)さを、心から恥じた。

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