第18話 結太、教室内の微妙な雰囲気に困惑する
『今日は、何かおかしいな』
いつものように、教室の後方にある自分の席で、頬杖をつきながら、結太は思っていた。
何がおかしいのかと言って、まず挙げられることとすれば、教室内の雰囲気だ。
普段なら、誰からも気にされることのない自分。
それが、今日は何故か、妙に視線を感じると言うか……チラチラ見られては、コソコソと、何やら小声で話されていると言うか。
とにかくやたらと、クラスメイトと目が合う。
そのクセ、すぐにそらされ、やはりヒソヒソと、教室のそこかしこで、噂の的にされているような、妙な気配を感じるのだ。
(……オレ、何かやっちまったのかな……?)
居心地悪く思えるほどの関心を向けられながら、結太は心でつぶやいた。
そして更に、おかしいと思えることがあった。
桃花の様子だ。
このクラスの中で桃花だけは、毎日、朝の挨拶をしてくれていたのだが。(正確には、桃花が龍生と知り合い、結太とも話せるようになってから……だが)
それなのに、今日は、朝教室に入って来て、既に自分の席に着いていた桃花と、目が合った瞬間。パッと、目をそらされてしまったのだ。
(…………あれ?)
結太は軽くショックを受けたが、もしかしたら、昨日、龍生の家であったことが原因で、気持ちが沈んでしまっているのかもしれない。
そう思い、『まあ、そーゆー日もあるよな』と、深く考えないことにした。
しかし、桃花の席は、結太の席の、斜め前方にある。見ないようにしようと思っても、どうしても、目に入って来てしまう。
――というわけで、結局、午前中ずっと、結太は桃花の様子を窺っていた。
桃花は、休み時間になるごとに、スマホを取り出し、しきりに指を動かしていた。
たぶん、咲耶か誰かと、メッセを送り合っているのだろうと、そのことについては、大して気にも留めていなかったのだが……。
おかしなことが起こったのは、昼休みだった。
昼休みになると同時に、桃花は、お弁当の入った袋を、鞄から取り出した。
そしてそれを、両手でしっかりと抱えるように持つと、席から勢いよく立ち上がって、教室を出て行ってしまったのだ。
(あれっ?……今日は、教室で食わねーのかな?)
桃花の姿が見えなくなった後も、結太は、呆然と後ろの戸を見つめていた。
すると、一~二分ほど過ぎた頃、前の戸を勢いよく開け、龍生が入って来た。
……走って来たのだろうか?
常に落ち着いて、悠々として見える彼にしては珍しく、大きく息を弾ませている。
龍生は、まっすぐ結太の席まで歩いて来ると、
「咲耶は!?――伊吹さんはどこだ!?」
厳しい顔つきで、結太に訊ねて来た。
結太は、龍生の様子に目をぱちくりさせながら、
「えっ……と、昼休みになったと同時に……伊吹さんは、出て行っちまって……保科さんは、ここには来てない……けど?」
戸惑いつつ答えると、龍生は深々とため息をつき、結太の前の席の椅子を引いて、横向きに腰掛けた。それから、持っていた重箱入りの風呂敷を、結太の机に置くと、
「……やはり、逃げられたか……」
ぽつりとつぶやく。
結太は、『逃げられたか』という言葉にギョッとし、両手を机について、前のめりで龍生に迫った。
「はっ? 『逃げられたか』って、どーゆーことだよっ!? おまえ、あの二人に何かしたのかっ!?」
だとしたら、いくら龍生と言えども、許すことは出来ない。
結太は、ほとんど睨みつけるような目つきで、龍生を見つめた。
「べつに、何もしない。……と言いたいところだが……。まあ、そういうことになってしまうんだろうな」
再びため息をつくと、龍生は机に肘をつき、額を覆うように押さえる。
どうやら、かなり参っているらしい。
ポーズではなく、本気のため息だった。
「『そういうことになってしまうんだろうな』? 龍生にも、何しちまったかわかんねー……ってことか?」
「……いや。してしまったことはわかっている。だが、それがまさか、そこまで二人の気に障るようなことだったとは――とな。……女性というのは、本当に難しい生き物だ。たびたび理解に苦しむ」
そう言って、悩ましげに首を横に振り、何度目かのため息をつく。
(龍生が『難しい』ってんなら、オレにとっちゃ、もっと理解不能……ってことになっちまうんだが……)
結太は、心でつぶやいてから苦笑した。
完璧に見える龍生でも、こうやって悩むことはあるんだよなと、なんとなく、ホッとしたりもする。
「――で? いったい、何しちまったんだ? 龍生にとっちゃ、どーってことねーって思えることだったんだろ?」
「……ああ。それは、そうなんだが……」
龍生は顔を上げ、結太の顔を見返して、ふと思った。
はたしてあれは、結太に話してしまって、いいことなのだろうか?
(ダメ……なのかもしれないが、このまま、結太にだけ秘密にすると言うのも、妙な気がするしな)
龍生は、しばし逡巡してから、『もう、どうにでもなれ』という気持ちで、今朝あったことを報告した。
結太は、全て聞き終わると、
「えええーーーーーッ!? 伊吹さんに、直接っ!? 直接言っちまったのか、オレのケータイ番号訊けって!?」
結太に問われ、龍生は黙ってうなずいた。
……なるほど。
今日、桃花の様子がおかしかったのも、クラスメイトからの視線が痛かったのも、このためか。
安田の迎えが、今日は少し遅めだったのも、龍生を先に送って行ったからだったのだなと、納得する。
「う~ん……。まあ、そーだよな。あの控えめな伊吹さんが、自分から訊ーて来てくれるワケねーか。……としたら、オレから教えなきゃいけねーってことかー。……うぅっ。それも結構、ハードル高ぇーよなー。伊吹さんが知りたがってるって、わかっちゃいてもさ。訊かれてもねーことを、わざわざこっちから教えに行くってーのも……“勘違い男”みてーで、なーんか恥ずかしいっつーか……」
腕を組んで考え込む結太を、龍生は、呆れるやら感心するやらといった感じで、まじまじと見つめていた。
何せ、この期に及んでも、桃花が自分を避けているのは、“携帯番号を直接訊くのが恥ずかしいから”――という理由だけだと思っているのだ。
教室内のヒソヒソ声に、ちょっと耳を澄ませてさえいれば、
『ねえねえ、聞いた? 伊吹さんって、楠木くんのことが好きなんだってー』
『えーっ、嘘っ!? 楠木くんって、あの……不機嫌そうな男子? このクラスの後ろの方の席で、いっつもつまんなそーに、窓の外眺めてたりする……あの楠木くんっ?』
などという内容が、耳に入って来そうなものなのだが……。
(……まあ、このクラスで、こいつが孤立しているのが、伊吹さんにとっては幸いしたな。そうでもなければ、とっくに本人に伝わっていただろう。……せっかく、これから“告白するのにふさわしい場所”を、こちらで用意してやろうと言うのに。親しくもない周囲の人間から、両想いだということを教えられてしまっては、計画が台無しだ。……悪いが、二人にはもう少しこのまま、“両片想い”状態というやつを、維持していてもらわなければ)
龍生としては、結太のためにと考えた計画――“ナイトクルージング&星空の無人島で良い雰囲気にしてやるぞ大作戦(注:命名=not 龍生)”が大失敗に終わったので、今度こそ、という思いもあるのだ。
最高の舞台で、最高の告白をさせてやりたいと、余計なお世話的計画を、密かに練っているのだった。
相変わらずの、じれったい結太と桃花。いつになったら付き合えるのか……。
……というわけで、第17章はここまでとなります。
お読みくださり、ありがとうございました!