第14話 恋人の勝手な言動に咲耶は反論しつつ恥じらう
「な――っ!」
いきなり指先にキスされ、動揺した咲耶は、優しく掴まれている両手を慌てて振り払い、真っ赤になって叫んだ。
「な、何が『簡単なこと』だッ!? 『何の問題もない』だッ!? それに『辛抱』だの『拒否権はない』だのって――! どーして私が、そんな条件認めなきゃいけないんだッ!? 拒否権ないってのも、横暴過ぎるぞッ!! 私達はっ、……その……こっ、恋っ……恋びっ――こ、恋人どーしっ、なっ――なん、だろうっ? 恋人同士ってのは、もっとっ、対等な関係じゃなきゃっ――い……いけないんじゃ、ないのかっ?」
龍生の前で『恋人同士』などと言うのは、慣れていないからだろうか。咲耶の顔は、今や心配になって来てしまうほど、赤く紅く染まりきり、声も、次第に小さくなって行った。
その上、恥ずかしさに耐え兼ねているのか、龍生から目をそらし、生まれたばかりの子犬のように、ふるふると震えている。
(ああ……。『恋人』と口に出すだけで、ここまで恥じらうとは……。頼りなげに震える姿も、堪らなく可愛らしいな、咲耶は。今すぐ抱き締めて、キスの雨でも降らしたいくらいだ。……まったく。俺ほど我慢強い男も、そうそういないと思うんだが……。そんなことを言ったとしても、理解してはくれないんだろうな)
押し倒したい気持ちをどうにか堪え、龍生は咲耶の肩に手を置く。
彼女はピクリと肩を揺らし、少しの間を置いてから、ゆっくりと顔を上げ、龍生をじっと見返した。
瞳はうっすらと潤み、いつも以上に澄んで、煌めいて見える。キュッと結んだ唇は、ふっくらして艶やかで、おまけに、少し震えていた。
(――う……っ!)
想像以上の艶っぽい表情に、たった今堪えたばかりの理性が、ぐわんぐわんと揺さぶられる。宝神に告げた『話をするだけ』という言葉も、一瞬にして、何処かへ飛んで行ってしまいそうだ。
「……秋、月……?」
何の言葉も発しないまま、硬直してしまった龍生を、不審に思ったのだろう。咲耶が不思議そうに見つめている。
彼女の声で我に返った龍生は、ごまかすように薄く笑い、咲耶の頭を一撫でした。
「いや、すまない。……何でもないんだ。気にしないでくれ」
心で『危なかった』とつぶやくと、龍生は咲耶から目をそらし、サイドテーブル上の置時計をチラリと見やる。
そして、なるべく咲耶を見ないようにしながら、
「今日は結太の家に寄ったり、家でいろいろな話を聞かされたりで、疲れただろう? お腹も空いているんじゃないか? そろそろ下へ行って、夕食にしようか?」
心なしか早口で、別の話題を振った。
このまま二人きりでいては、いつ理性が崩壊するか、龍生も自信がなくなって来ていたのだ。
一刻も早くこの部屋を出なければと、珍しく焦っていた。
「……宝神さん、私が来ることを知らなかったんだろう? 私の分を追加で作るんじゃ、もう少し時間が掛かるんじゃないか? ここに来てから、まだ十分も経ってないと思うんだが……」
「そ、そうだったか?……ええと……。ああ、そうだ! 咲耶の好きなGL小説!――確か、お気に入りの作家がいたな? 下の書庫には、あの人の作品が全て揃っているんだ。もしかしたら、まだ咲耶が読んでいないものもあるかもしれない。ちょっと探してみないか?」
良かれと思って勧めたことだったのだが、龍生の発言に、気に入らないところがあったらしい。咲耶は、思いきり不機嫌な声で訊ねる。
「私のお気に入りの作家……? GL小説の?……どーして秋月が、そんなことまで知ってるんだ……?」
喜んでくれると思っていたのに、当てが外れ、龍生はギョッとして咲耶に目をやった。
――先ほどまでの艶っぽい表情はどこへやら。咲耶は口をへの字に結び、睨みつけるような目で、龍生をじっと見つめている。
「え……? どうして知ってるか、って……。無人島に行った時に、君の趣味は把握している――ってこと、言わなかったか?」
咲耶の母親に撮ってもらった、彼女の部屋の写真まで見せたのに、忘れてしまったのだろうか?
「そのことじゃないッ!! 私の好きな作家のことまで、話した覚えがないって言ってるんだ!!……どーして知ってる?」
「どうしてって……。写真の中の本棚に、その作家の作品が、ズラリと並んでいただろう? だから、よほどこの作家のことが好きなんだなと思って……」
「写真で知ったとしても、どーしておまえまで、その先生の作品を、全部揃えてたりするんだよッ!? おまえには関係ないだろうッ!?」
「……いや、それは……。咲耶の好きなもののことは、一応、知っておいた方がいいかと……」
「――っ!」
龍生の言葉に、咲耶は大きな衝撃を受けたようだ。口元に手の甲を当て、驚いたように、両目を大きく見開いている。
「……『知っておいた方が』……ってことは、おまえ……まさか……読んだ……のか?」
「ん?――ああ、もちろん。全てに目を通したが?」
「な――っ!」
そう言った後、咲耶は口をパクパクさせ、しばらくの間固まっていた。
だが、突然龍生の襟首を両手で掴むと、
「…………やめろ。読むな」
顔を伏せたまま、ボソリとつぶやく。
龍生は数回瞼を瞬かせると、僅かに首を傾けた。
「――何故?」
「何故って決まってるだろう!? GLは私のっ、私だけの聖域だからだッ!! おまえが元々ファンだったのなら何も言わんが、中途半端な好奇心で、私の聖域を侵して欲しくないんだよッ!!」
「……いや。中途半端な好奇心ではなく、もっと咲耶のことを知りたいと、本気で思っ――」
「いーんだよ知らなくてもッ!! むしろ知るなッ!! 知ろうとしないでくれッ!! 恋人だろうと誰だろうと、私の聖域に踏み込んで来られることだけは我慢出来んッ!! 頼むからこの趣味だけは、放っておいてくれよぉおおおおおーーーーーーーッ!!」
一気にまくし立てた後、咲耶はゼエハアと、大きく息をついている。
……どうやら、恋人の触れてほしくなかった部分に、触れてしまったようだ。
龍生としては、咲耶の好きだという世界について、知っておきたかっただけなのだが……。
本人が『踏み込んで来てほしくない』と言うのだから、まあ、仕方あるまい。
龍生は小さく息をつき、
「わかった。もう二度と読まない。約束する」
キッパリと告げると、咲耶は襟首から手を離し、顔を上げて、ホッとしたように微笑んだ。
しかし、すぐに『あ――』と小さくつぶやき、チラチラと龍生の顔を窺うと、言いにくそうに、
「あの、でも……。下にある書庫……見せてもらっても……いい……か?」
微かに頬を染め、消え入りそうな声で訊ねた。