第13話 宝神、咲耶を抱き上げて帰宅した主に驚く
宝神が夕食の支度をしていると、龍生の帰宅を告げるベルが鳴った。
慌てて玄関へ向かった宝神は、龍生が咲耶を横抱き(お姫様抱っこ)している場面を目撃し、『おや、まあ』と、目を丸くして足を止めた。
抱き上げられている方の咲耶は、『下ろせバカッ!!』『恥ずかしーだろッ!!』と大声で騒ぎたてながら、龍生の体をポカポカと叩き続けている。
叩かれつつ、宝神に目を留めた龍生は、
「お福。少しの間、部屋で咲耶と話をしている。夕食は、咲耶の分も用意しておいてくれ。――今から間に合うか?」
痛みに少しだけ顔をしかめ、宝神に訊ねた。
宝神はすぐさまうなずき、
「はい。問題ございません。すぐにご用意いたします」
そう返答しながらも、頭では、『虎ちゃんと隼ちゃんの夜食用に、とっておいた食材があるからね。二人には悪いが、あれを使っちまおう』などと考えていた。(どうやら、今日の二人の夜食は、お預けと決まったらしい)
「ちょ――っ! 何を勝手なこと言ってるんだ!? 私は、ここで食べて行くなど一言も言ってな――」
「ああ、それから――鵲か東雲に、『今日は遅くなる』と、咲耶の家に連絡を入れるよう、伝えておいてくれ。『帰りは車でお送りしますから、ご心配なく』と付け加えることも、忘れないようにな」
咲耶の言葉をさえぎり、わざと無視する形で、龍生は宝神に指示を出す。
咲耶は、『ちょっ――、だからっ! 勝手なこと言うなって言ってるだろッ!?』と、ますます顔を真っ赤に染めて怒り、太鼓の乱れ打ちのような激しさで、龍生の胸元を叩き出した。
「さっ――くや。……あまり、強く――叩かれっ、ると――、バランスを、崩しっ――て、階段から、転げ落ちっ、……る、ことにっ、なる――が、いいのか?」
咲耶を抱え、階段を上っている最中の龍生に、そう告げられたとたん、咲耶はハッと握り締めた拳を止め、顔を上げた。
そろりと、龍生の背後に目をやる。既に、階段の三分の二ほどの位置まで、上って来ていた。
「まあ、一緒に階段を転げ落ちたい――と言うのであれば、止めはしないが?」
そう言って、龍生に苦笑して見つめられ、咲耶は一瞬、泣き笑いのような表情を浮かべた。
その後、顔を見られたくなかったのか、慌てたように、龍生の胸元に顔を埋める。
「……ズルいぞ。すぐそーやって、おまえは……私の痛いところを、突いて来るんだから」
「――『痛いところ』?」
意味がわからず、龍生はきょとんとする。
咲耶は顔を埋めたまま、小さな声で『……何でもない』とつぶやいた。
不可解に思いながらも、今はそっとしておこうと思った龍生は、階下の宝神に、
「いいか、お福? 部屋で話をするだけだ。……誤解するなよ?」
ほんのりと頬を染めつつ、そう念押しすると、自室へと向かった。
咲耶を抱き上げたまま、器用に自室のドアを開けた龍生は、まっすぐにベッドに近付き、咲耶を腕から下ろした。
ベッドに座らせたのは、他意があるからではない。机の椅子を引くのが、面倒だったからだ。(床に下ろせばよかったのかもしれないが、どうせすぐ座るのだから、直接ベッドに行った方が早い――と思ったのもある)
龍生の腕から解放され、咲耶はホッとしたような、少しだけ寂しいような……複雑な気持ちになった。
だが、慌てて首を振り、その想いを無理矢理に追い出すと、龍生をキッと睨み、
「まったく、どーゆーつもりなんだっ? 桃花の前で、急に抱き締めて来たりして……。おまけに、『毎日一回は、必ず抱き締めることにする』だと? いったい、何を考えてるんだっ? 人前であんな宣言して……恥ずかしーとは思わんのかッ!?」
ずっとそれが言いたかったかのような口ぶりで、母屋での龍生の言動を非難した。
龍生はハア、と息をつき、
「あれは君が、伊吹さんとの抱擁など、『何十何百何千として来てる』――などと言って、俺を挑発して来たからだろう?」
「な――っ! べ、べつにっ、挑発などしていないッ!! 事実を言っただけだッ!!」
「……事実、ね……」
龍生は咲耶の隣に腰を下ろし、強引に抱き寄せると、耳元に顔を近付け、不機嫌な声で告げる。
「だったら、尚悪い。俺の気持ちを煽るには充分だ」
「はあ? 煽る?……何を言っているんだ? 事実を言うことの何が、煽ってることになるんだ? 第一、煽るって……?」
咲耶は、あまりピンと来ていない様子で、微かに首をかしげた。
龍生は、わざと大きなため息をつき、拗ねたような口調で。
「俺は欲張りだからね。好きな人の一番は、常に自分でありたいと願っているんだ。……それなのに、伊吹さんとは、〝数え切れないほどの抱擁をして来ている〟などと言われたら……恋人として、妬かないわけには行かないじゃないか」
「や――、妬く?……って……。桃花は私の幼馴染――親友だぞっ? 女同士だぞっ?」
「そんなことは関係ない」
龍生はキッパリと断定すると、体を離し、咲耶をまっすぐに見つめる。
「同性異性、全てひっくるめて、俺は咲耶にとっての一番に――特別になりたいんだ。親友だからとか、同性だからとかって理由で、嫉妬心が抑えられるわけじゃない。だから俺は……これから毎日、必ず、最低でも一回は、咲耶を抱き締めることにする。君に拒否権はない」
「な――っ!……な――、なぁ……っ!……何、を……勝手な……っ」
咲耶の顔が、濃いピンク色に染まって行く。
龍生は、フッと表情を和らげると、
「毎日一回抱き締めていれば、伊吹さんとの記録など、数年で超えられる。それまでの辛抱だよ。簡単なことだ。何の問題もないだろう?」
当たり前のことのように告げた後、咲耶の両手を取り、指先に、そっと唇を押し当てた。