第11話 桃花、兎羽の車で送ってもらう
龍生と咲耶は、しばらく廊下でじゃれ合って(?)いたが、またいきなり、
「ここであれこれ言い合っていても、らちが明かない。部屋に行って、ゆっくり話そう」
などと、龍生が言い出した。
咲耶は、『嫌だ! 誰がおまえの部屋になんか行くかッ!』、『離せッ!! 私は桃花と帰るッ!!』『離せって言ってるだろッ!?――桃花っ! 桃花ぁあああーーーーーッ!!』と大騒ぎしていたが、結局、ほとんど引きずられるようにして、離れへと連れて行かれてしまい……。
桃花は一人、母屋の廊下に、取り残されてしまったのだった。
てっきり、咲耶と二人で帰るものと思っていた桃花は、どうしていいかわからず、しばらくその場でオロオロしていた。
すると、
「桃花ちゃん。よかったら、私の車で送って行きましょうか? 家はどの辺り? ここから遠いのかしら?」
見兼ねた兎羽が、そう申し出てくれた。
東雲の妹とは言え、昨日初めて会った人に送ってもらうなど、図々し過ぎる。
そう思った桃花が、即座に断ろうとすると、
「あら。遠慮することないのよ? そりゃあ、『家は関西です』とかって言われたら、ちょっと考えちゃうけど……。関東圏内なら、全然余裕よぉー。私、運転するの大好きだし。だから……ね? 迷惑でなければ、送らせて?」
そう言って、屈託なく笑った。
その場にいた東雲にも、『それがいーですよ、伊吹様』『坊ちゃん、一度あーなっちまったら、誰にも止められませんしね』『結構長いこと、保科様を拘束―っ、じゃねーや!……えー……、離さねー……と思いますし』『ねっ? 絶対、そーした方がいーですって!』などと言われてしまったので、悪いと思いながらも、お言葉に甘えることにしたのだ。
見た目は〝上品で穏やかそうな、高嶺の花〟――という印象の兎羽だったが、中身は意外と庶民的で、気さくで、とにかく爽やかな女性だった。
送ってもらう途中、車の助手席に座りながら、桃花が兎羽の第一印象を告げると、
「えーっ、私が高嶺の花ぁっ? 上品で、お嬢様っぽいぃ?……あっはは! ヤダー桃花ちゃん。私、全っ然そんなんじゃないわよー? 私もお兄ちゃんも、ボッロボロな2Kのアパートで育ったのよー? 部屋は六畳と四畳半で、四畳半の方は母親が使ってたから、私とお兄ちゃんは、六畳の方を使ってたんだけどね。でも、その六畳っていうのも、半分は親子三人の共有スペースだったから、結局、私とお兄ちゃんは、六畳の半分の、そのまた半分を簡易パーティションで区切って、四畳側が私の部屋、キッチン側がお兄ちゃんの部屋――って、分けて生活してたの。……フフっ。今考えたら、すごく窮屈な暮らししてたんだなーって、感心しちゃうくらい。……ねっ、すごいでしょ? 年頃になっても、完全な個室も与えてもらえないような、ボロくて狭ーい部屋に住んでたの。その私が、〝上品でお嬢様っぽい〟って思ってもらえてたなんて……。ウフフッ。光栄だわー」
そう言って、少しくすぐったそうに笑った。
なんとなく気まずくなり、うつむいてしまっていた桃花だったが、兎羽はすぐにそれに気付き、慌てたように声を掛けて来た。
「あっ。――もしかして、『悪いこと聞いちゃったな』とか、思ってる? だったら、気にしなくて大丈夫よー? 確かに、私の十代までの生活は、窮屈なところもあったと思うし、貧しくもあったけど……。でも、お兄ちゃんとは、ケンカしながらも、まあまあ仲良くやってたし、高校卒業してからは、念願の一人暮らしも出来たし。貧しいなりに、楽しい生活だったのよ?……まあ、母は〝恋多き女〟だったから、好きな人が出来ると、すーぐ男の人の家に転がり込んじゃって、小さい頃から、私とお兄ちゃんは……ちょくちょく、放置されたりはしてたけどね」
「えっ!? 放置!?」
ギョッとして、思わず声を上げてしまった。
もしかしてそれは、世に言うところの、〝ネグレクト〟――育児放棄、というものではないかと思ったのだ。
兎羽は焦ったように、
「ああっ、違うの! ごめんね。今の言い方じゃ、誤解しちゃうわよね。……でも、本当に違うのよ? 育児放棄とかではなくて……。生活費は、一応置いて行ってくれてたの。足りなくなる頃には戻って来て、また置いて行ってくれていたし……」
……だが、生活費を置いて行ってくれていたとしても、母親が子供だけを置いて、しばらく帰って来ないという状態は……やはり、育児放棄になるのではないだろうか?
桃花は内心そう思ったが、兎羽の様子からして、母親への愛情はあるのだろうと思えたので、どんなに疑問が湧いて来たとしても、それ以上は、言ってはいけない気がした。
それに、昔はどうであろうと、今現在の兎羽は、とても幸せそうに見える。
車に乗る前にも、『まだ仕事が残っている。今日は帰れない』と堤に告げられ、『わかりました。でも……なるべく早く、帰って来てくださいね?』と言って、ギュッと抱きつき、堤もまた、無言で抱き締め返す。――そんな場面を、桃花は目にしていた。
桃花は、『うわあ……。こっちもラブラブだぁ……』と、赤くなってうつむく羽目になりはしたが、幸せそうな二人に、心がホカホカしたのだ。
だから今、きっと兎羽は幸せなはず。
愛し、愛され……心から満たされているから、こうして、素敵な笑顔を浮かべていられるのだろう。
そんなことをしみじみと感じながら、桃花が微笑していると、
「あー……。母の話、外ではあまりするなって、お兄ちゃんに言われてるんだったー。すっかり忘れてたわー。……ごめんなさいね、桃花ちゃん。今の話……お兄ちゃんには、黙っててくれる?」
などと兎羽は言い、『あちゃー』と言っているかのような苦笑を浮かべた。