第10話 桃花と咲耶、罰の話をあえてスルーする
龍之助が言う、『司法に則った罰とは、少々違う罰』。
それはいったい、どういうものなのか。
咲耶も桃花も、すごく気になりはしたが、首を突っ込んではいけないことのような気がして、それ以上、訊くことはやめておいた。
――とにかく、無罪放免ではないのだそうだから、それでよしとすることにしよう。
二人は、そうやって己を納得させると、互いに顔を見合わせ、どちらともなくうなずき合った。
龍之助は、ぐるりと一同を見回してから、
「うむ。では、実行犯二人の処罰などは、こちらに任せてもらうとしよう。後は、信吾に対しての処罰だが――。……伊吹さん、本当に構わんのだね? 誘拐事件のことを、警察に知らせずとも?」
もう一度、確認のため、桃花に訊ねる。
桃花は即座に『はい』と答え、にこりと笑った。
その笑顔からは、迷いの色は感じ取れない。
釣られるように、龍之助も、穏やかな笑みを浮かべる。
再び一同を見回し、『それでは――』との言葉の後、カッと目を見開くと、
「これにて、一件落着ッ!!」
いきなり時代錯誤の言葉を発し、その場を強引に締めくくった。
皆、驚いて目を見張っていたが、その中でたった一人、咲耶だけが、
「〝遠山の金さん〟だ!!」
と言って、瞳を輝かせていた。
(ああ……やはり。咲耶は時代劇が好きなんだな……)
龍之助の毎度の悪ふざけに、龍生は内心、『お祖父様も、これがなければ……』と呆れ返っていたのだが、嬉しそうな咲耶を見、考えを改めた。
(……まあ、咲耶は楽しそうだしな。お祖父様に苦言を呈するのは……今日のところは、やめておくことにしよう)
龍生は咲耶の頭に手を置き、微笑みながら、数回撫でる。
撫でられた方の咲耶は、ピクリと体を揺らした後、不思議そうに龍生を見上げ、その唐突な行動に首をかしげた。
結局、龍之助の号令により、その場はお開きとなったのだが、部屋を出ようとする桃花に、後ろから声を掛けて来た者がいた。
驚いて振り向く桃花の前には、美智江と信吾の姿が――。
二人は、そっと顔を見合わせると、桃花に向かい、深々と頭を下げて来た。
桃花は慌てて、
「えっ?……あ、あのっ、そんな――! もっ、もーいーですからっ。わたし、気にしてませんからっ。だから、あの……っ、頭を上げてくださいっ」
胸の前に両手を出し、掌を相手側に向けてヒラヒラと振りながら、必死に『もう大丈夫』だということを伝える。
二人はゆっくりと体を起こし、
「本当に、申し訳ございませんでした。そして、ありがとうございました。……このご恩は、一生忘れません」
「……すまなかった、お嬢さん。心から後悔しているし、反省もしている。許してくださいとは、とても言えないが……本当に酷いことをして、申し訳なかったッ!!」
今度は信吾だけ、体を完全に二つ折りにしたくらいまで、深く頭を下げた。
「いっ、いいいいいーえっ!! ホントにもうっ、ダイジョーブですのでっ!! きっ、き――っ、気にしないでくださいぃぃ~~~っ」
桃花は困り切った風で、目を白黒させている。
他人に頭を下げられるのは、慣れていないのだ。
ようやく顔を上げた信吾に、桃花はホッとしつつ、
「あの……お体、大切にしてください。奥様と、息子さんの為にも――」
最後に、どうしても言いたかったことを伝える。
桃花の言葉が、思い掛けなかったのだろう。信吾も、そして美智江も、驚いたように目を見開いている。
うっすらと涙を浮かべた二人は、
「……ありがとう」
同時につぶやいた。
桃花はペコリと頭を下げ、部屋を出ようと、後ろ足を引いた。
すると、二人の後方から、仁がゆっくりと近付いて来るのが見えた。
(息子さん……。えっ……と、仁……さん。……お父さんと、ちゃんとお話出来たらいいんだけど……)
果たして、家族の絆は取り戻せるのか。
大いに気になるところではあったが……。
他人の桃花が、そこに居座るのも妙な話だ。
後ろ髪を引かれながらも、廊下で待ってくれている咲耶と龍生の元へ向かうため、桃花はそっとドアを開け、客間から退出した。
「咲耶ちゃん!――秋月くんも。ごめんね、お待たせしちゃって」
パタパタと、小走りに近寄って来る桃花。
咲耶はもう、我慢の限界だったのだろう。桃花が目の前まで来たとたん、思い切り〝ギュッ〟と抱き締めて来た。
「ひゃわっ?……さっ、咲耶ちゃんっ?」
咲耶の腕の中で驚く桃花に、咲耶は頬ずりまでして、
「ああ~~~っ、桃花だ!! 久し振りの桃花の体温と匂いと柔らかさぁ~~~っ。うぅ~~~ん、落ち着くぅ~~~っ」
などと言い、恍惚の表情を浮かべている。
そんな咲耶の行動に、龍生は何故かムッとし、桃花を抱き締めている咲耶ごと、後ろから抱き締めた。
「わぁ――っ!?……な、なんだ秋月っ!? 急に抱きついて来るなっ、ビックリするだろうッ!?」
すかさず発せられる、咲耶の抗議の声にも、龍生はムッとしながら。
「それを言うなら、君だって同じだろう? いきなり伊吹さんを抱き締めたりして……。ねえ、伊吹さん? 君も驚いているだろう?」
「ふぇ…っ!?」
咲耶と、そして何故か龍生からも、抱き締められる形になってしまっている桃花は、戸惑いの声を上げる。
……確かに驚きはしたが、咲耶のこういう行動は、すっかり慣れっこになっているので、『ああ、また……』と思うのみだった。
だが、龍生からの抱擁(咲耶越しとは言え)には、全然慣れていない。驚きの度合いで言えば、完全にそちらの方が勝っている。
「何を言ってるんだ、秋月ッ!? 私と桃花は、小学校に通う少し前からの仲だぞ!? こんなこと、何十何百何千として来てるんだ。今更驚くわけないだろう!?――なあ、桃花っ?」
負けじと言い返す咲耶だったが、
「……『何十』……『何百』……。……ナン……ゼン……?」
その発言を聞いた後、明らかに龍生の声色が変わった。
桃花を抱き締めている咲耶の両手を、ガッシリと掴み、桃花から離そうと、もの凄い力でもって、引っ張り始める。
「な――っ!……何をする秋月っ!? この手を離せぇッ!!」
引き離されまいと、咲耶も必死に頑張るが、所詮、男の力には敵わない。十秒と経たぬうちに、咲耶の両腕は、桃花の体から離されてしまった。
「ちょ――っ、おまえっ、何……っ、をっ?」
抵抗しようと試みていた咲耶の体は、今度は完全に、龍生の両腕の中に。
自由の身になったとたん、目の前で始まった龍生と咲耶のラブシーンに、桃花の顔は、たちまち真っ赤っかだ。
「あ――っ、秋月っ!?……なんなんだいきなりっ!? ひ、人前でこーゆー……っ、もっ、もももも桃花の前でっ、こーゆーっ、ことはぁ――っ」
龍生の腕の中で、咲耶はジタバタと暴れている。
そんな彼女を腕の中に閉じ込めながら、龍生は不機嫌そうな顔で、周囲を呆れさせる言葉を吐いた。
「伊吹さんとの抱擁が、何千回と繰り返されて来たと言うのなら、恋人である俺は、その上を行かなくてはならない。――だろう? だからこれからは、毎日必ず、最低でも一回は、こうして、咲耶を抱き締めることにする。もう決めた」
――その時。
廊下にいた面々――桃花、鵲と東雲、兎羽と堤の間に、シンとした空気が流れたのは、言うまでもない。