第6話 一同、どこまでも軟弱な黒幕に呆れ返る
高校二年の少女に張り倒され、頬を押さえて縮こまることしか出来ないでいる信吾に、周囲の者達は皆、呆れた視線を送った。
特に東雲などは、殴り倒す気満々でいたにもかかわらず、信吾の情けない様子を目の当たりにし、すっかり戦意を喪失してしまったようだ。
友人の父親なのだから、一応、昔から知ってはいた。
しかし、詳しい人となりまで、理解しているわけではなかったので、まさか、ここまで軟弱な人間だとは、思ってもいなかったのだ。
(あ~、危なかった~……。俺がぶん殴ってたら、きっと、ただの〝弱い者いじめ〟にしか見えなかっただろうぜ。……こう言っちゃなんだが、保科様がキレてくださって、マジ助かった~)
そんなことを思いながら、東雲はひとり、安堵の息をついていた。
誰もが動けずにいる中で、龍生だけは、咲耶にそっと近づき、後ろから抱き締めるようにして、彼女の両手を押さえた。
「咲耶、もういい。――こんな奴のために、君の美しい手を、わざわざ痛めることはない」
耳元で、穏やかな声で告げられ、咲耶はビクッと肩を揺らす。
彼女はおもむろに振り返り、訴えるような目で、龍生をじっと見つめた。
「ありがとう、俺のために。皆のためにも怒ってくれて。だが、もういいんだ。――この男にはもちろん、伊吹さんにきちんと謝罪してもらうが……これ以上は、君の手も心も、痛めてほしくない。後のことは、俺やお祖父様に任せてくれないか?」
「……秋月……。だが――っ」
咲耶は何か言い掛けたが、龍生の目を数秒見つめた後、体を元に戻し、力なくうな垂れた。そして信吾の胸ぐらから、両手をそっと離す。
「……うん。それでいい。君はソファに戻っていてくれ」
龍生の言葉にこくりとうなずくと、咲耶は大人しく従い、席に戻った。
それを見届けてから、龍生は、まだ床で縮こまっている信吾に向き直り、
「五十嵐信吾。あなたは十年前、俺の大切な人と、この俺を、東雲を脅して攫わせ、監禁しようとした。幸い、家の優秀なボディガードが、すぐに動いてくれたお陰で、そこまで大事には至らずに済んだが……俺の大切な人は、俺との記憶のほとんどを失った。そして今もまだ、完全には思い出せていない。俺の負った怪我などは、正直どうでもいいが、大切な人の記憶を失わせた罪は、何よりも重い。このことについてだけは、俺は絶対に許せないし、許すつもりもない。……だが、十年前は、お祖父様が世話になった人の息子だからという理由で、罪は追及しなかった。警察にも、一切知らせなかった。二度と、あなたがこんな馬鹿な真似をすることなく、真面目に生きてさえいたならば、何十年先だろうが、警察に被害届を出すことなどなかっただろう。……それなのに、あなたはまた懲りもせず、罪を犯した。俺の大切な人の幼馴染を、薄汚い男共に攫わせ、恐怖を与えた。今回の罪に関しては、あなたを見逃すつもりなど更々ない。伊吹さんが望むのであれば、すぐにでも警察に引き渡し、法の裁きの元、罪を償ってもらうつもりだ」
極めて冷静に、己の考えを告げる。
名前を出された桃花は、その瞬間、驚いて顔を上げ、隣の咲耶に、助けを求めるように手を伸ばした。
咲耶はギュッとその手を握り、『大丈夫だ』という思いを込め、深くうなずく。
龍生は、今度は桃花を振り返り、
「伊吹さん、どうかな? 今回、被害を被ったのは君だから、五十嵐信吾の処分については、君に全て任せようと思うんだが……」
反応を窺うように、小首をかしげて訊ねる。
「えッ!? わ、わたしに任せるって……。えっ?……ええっ?」
いきなり、〝処分〟などという重大な責任を与えられ、桃花は焦り、不安げに、キョロキョロと辺りを窺った。
被害を被ったのは、確かに、自分ではあるが……そんな大それたことを決めるなんて、とても無理だと思ったのだ。
龍生は、うろたえる桃花をあえて無視し、龍之助に顔を向けると、
「お祖父様も、それで構いませんね? お世話になったという忠司さんは、鬼籍に入られたのですから、貫かねばならぬ義理など、とうにないはずです。それとも、まだ何か……この男を庇う理由が?」
眉をひそめて訊ねるが、龍之助はゆっくり首を横に振った。
「いいや。今回の件に関しては、庇い立てするつもりはない。おまえの言うとおり、伊吹さんの気持ちを、第一に考えるべきだろう」
「……ね? お祖父様も、それでいいとおっしゃっている。あとは、君の気持ち次第だ」
完全に決断を委ねられ、桃花は真っ蒼になった。
ふるふると首を振りながら、
「そんなっ! 処分についてなんて、わたし……っ。……正直、どーしていいのか……」
両手を胸の前で組み、自信なげにうつむく。
龍生は微笑を浮かべ、
「そんなに難しく考える必要はないよ。君が、この男を許せないと思うのであれば、警察署に行って、被害届を提出すればいい。それだけだ。……まあ、警察からいろいろな質問は受けるだろうが……起こったことを、そのまま正直に伝えればいいんだ。何も問題ないだろう?」
そう言って、桃花を力付けるように、軽く肩に手を置いた。
それでもまだ、不安でいっぱいの桃花は、『無理です』と訴えようと顔を上げたが、
「待ってくださいッ!!」
女性の切羽詰まった声にギョッとし、慌てて、声のした方へ顔を向けた。