第4話 秋月家当主は誘拐事件について問う
床に座り込んだままの信吾に、龍之助は静かに問い掛ける。
「おまえは何故、十年前、あの事件を起こしたんだ? 『息子が好いている娘と、どうしても結婚させてやりたかった』のと、『息子がやたらと東雲を褒めちぎり、目障りだったから、奴に誘拐事件を起こさせ、貶めてやろうと思った』からだと、おまえは言っておったが、それだけではあるまい?」
龍之助に問われても、信吾はただ、呆然と見返しているばかりで、言葉を発することはなかった。
龍之助が言おうとしていることを、理解しているのか、それとも、していないのか。彼の表情を見ただけで、判断するのは難しかった
「『好いている娘と結婚させてやりたかった』というのが、おまえの本心だったとしても、あの頃、兎羽さんはまだ十六で、仁は十八。その頃の法律では、ギリギリ結婚出来る年齢だったとは言え、そこまで急いで結婚させる必要などなかったはずだ。その年頃なら、まずは交際から――と考えるのが普通だろう? だが、おまえは交際ではなく、結婚にこだわった。……何故だ? 何故そんなに早く、二人を結婚させる必要があった?」
信吾は黙り込んだまま、答えようとしない。
それどころか、龍之助を見返し、上を向いていたはずの顔も、今はうつむき、床の一点をじっと見つめている。
龍之助は、信吾の反応に失望したかのように目をつむり、ため息をついたが、語り掛けるのをやめようとはしなかった。
「その頃、仁が適齢期を過ぎていたというなら、結婚を急ぐ気持ちもわからなくはない。しかし、仁はまだ、高校を卒業したばかりだった。それで結婚を急がせるのは、あまりにも不自然だ。息子の好いた相手と結婚させたかったとしても、兎羽さんを攫ってまで――というのは、どう考えてもおかしかろう。……信吾。そろそろ、本当のことを話してはくれんか? おまえが、早く仁を結婚させたがったのは、親父殿に――忠司さんに死期が迫っているのを、知っておったからではないか?」
龍之助の言葉に、美智江も仁も、ハッとしたように顔を上げる。
五十嵐忠司は、十年前――信吾が誘拐事件を起こした数ヶ月後に、ある病気のため亡くなった。
誘拐事件当時は、ちょうど、忠司の病いが発覚し、自宅で伏せっている頃だったのだ。
「そんな! 忠司さ――っ、……お義父様に死期が迫っていたなんて……そんなはずありません! あの頃は、皆、必ず快復するものと信じていました! 死に直結するような病ではないと、お義父様もおっしゃってましたし、それに――っ」
龍之助の意見に反論するかのように、美智江が口を開く。
彼女の言葉にうなずきながらも、龍之助は腕を組み、再び意見を述べた。
「確かに、美智江さんや周りの者達には、そう言っておられたのかもしれん。だが、長男である信吾には、忠司さんは、本当のことを伝えておられたのではないか? そして、こうも言っておられたのではないか? 『俺が死んだら、あとはよろしく頼む』、と――」
今度は、信吾がハッとしたように顔を上げ、龍之助を見た。
その反応で、誰もがわかってしまった。龍之助が言っていたことが、真実なのだということを……。
信吾はしばらくの間、龍之助の顔を、穴のあくほど見つめていたが、やがて、しょんぼり肩を落とすと、ポツリポツリ、十年前のことを話し始めた。
龍之助の言うように、信吾は十年ほど前、忠司に真実を伝えられたのだそうだ。
自分がもう、先が長くないこと。そのため、組は、信吾が継ぐしかないのだ――ということを。
それを聞き、信吾は思いきり動揺し、混乱した。
幼い頃から、自分を本心から可愛がってくれていたのは、両親しかいなかった。
それなのに……母の死後、たった一人の味方だった父までもが、こんなにも早く、自分を置いて逝ってしまうのかと、一気に、不安と焦燥感に苛まれた。
それに、忠司は組を継いでくれと言うが、そんなことが出来るわけがない。
両親以外の誰もが、信吾のことを、『組を継げるような器ではない』と思っているのだ。
そんな中、自分が『跡を継ぐ』と宣言したとしても、誰も認めてくれるはずがない。
信吾は、すっかり追い詰められてしまった。
そんな彼の頭に、突然閃いたのが、〝仁に早く一人前になってもらい、自分の代わりに組を継がせる〟という考えだった。
自分に比べたら、よほど仁の方が、組の者達から期待されている。
第一、自分と違って、仁は頭が良い。
仁が跡目を継ぐ――ということになった方が、絶対、納得してもらえるに決まっている。
しかし、この考えを通すには、まず――仁に、一人前になってもらわねばならない。
周囲から、一人前と認めてもらえるようになるには、やはり、結婚が一番だろう。
幸い、仁には想い人がいるらしい。
想い人の兄が東雲というのが気に入らんが、まあ、仕方あるまい。そこは目をつむろう。
……いや。待てよ?
結婚させるのに東雲が邪魔というなら、奴に、何か事件でも起こさせて、刑務所に送り込んでやればいいのではないか?
そうして、数年――いや、数ヶ月でもいい。出て来られないようにしてやり、その内に、仁と兎羽を結婚させてしまえば……父親も安心させてやれるし、組も安泰で、一石二鳥ではないか。
――と、以上のようなことを考えた末に、信吾は、十年前の誘拐事件を起こしたのだそうだ。
「……って、何が〝一石二鳥〟だコノヤロウッ!! 黙って聞-てりゃー、ふざけたことばかり抜かしやがって!! 他人の人生、何だと思ってやがるッ!? おまえのくだらねー誘拐計画のせーで、こちとら、一生を棒に振るとこだったんだぞッ!?」
今にも殴り掛かりそうな勢いで、怒りまくる東雲を、鵲が後ろから羽交い絞めにし、やっとのことで押さえつける。
兎羽も慌てて立ち上がり、東雲の前で両手を広げ、通せんぼした。
「お兄ちゃん、落ち着いて! 怒るのは当然だとは思うけど、十年も前のことなんだし。だから、ここは穏便に……ねっ?」
「穏便に、だと!? どーしてあそこまでのことさせられた俺が、穏便にしてやんなきゃいけねーんだ!?……あの野郎……っ! いくら仁の親父ったって、許せねーもんは許せねーッ!! どーっしても、一発殴ってやんなきゃ気が済まねーんだよッ!!――わかったら、そこどけっ、兎羽!! サギも離せッ!! 離しやがれッ!!」
「ダメだよトラ!! 龍之助様の御前だ!! 暴力は――っ」
東雲達が大騒ぎする中、龍生が、場を収めようと席を立つ。
すると、彼の目の前を誰かが素早く通り過ぎ、ようやく立ち上がろうとしていた、信吾の胸ぐらを掴んだ。
そして、皆が『あっ!』と思った瞬間、バチンッ!!――と大きな音が立つほどの、平手打ちを食らわせた。