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第1話 美智江の昔語り後、それぞれが思うことは

 美智江が話し終わると、重い沈黙が部屋中を支配した。


 美智江が気の毒で……という理由も、もちろんあるが、彼女の話を聞いて、五十嵐信吾という男が、ますますわからなくなってしまったからだ。



 鵲や東雲、龍生や龍之助までもが、『バカ』だの『臆病者(おくびょうもの)』だのと評していた上、誘拐事件の黒幕と聞いていたものだから、咲耶も桃花も、すっかり、〝ひ弱で卑怯(ひきょう)な男〟というようなイメージを抱いていた。


 しかし、よくよく話を聞いてみると、無理矢理愛人にさせられそうになった美智江を助けたり、妻の不貞(これは誤解に過ぎないのだが)を全く責めることなく、『自分に似なくてよかった』と喜んだ――というではないか。


 この部分だけを切り取って考えたら、〝悪い人〟という気が、全くしなくなって来てしまった。



 むしろ、信頼していた唯一の子分には裏切られ、愛した人は、自分ではなく、本当は父親が好きだったりと、美智江以上に〝気の毒な人〟のようにも思え……。


 咲耶と桃花だけではなく、龍生達ですら、信吾についての認識を、改めなければいけないだろうか?――という気が、し始めていたくらいだった。



「うぅむ……。よくわからん奴だな、五十嵐信吾という男は。妻が父親と不倫していた――などと一方的に思い込むのは、美智江さんに対して失礼極まりないし、許せんとは思うが……。愛する息子が、『自分ではなく、父親の方の息子でよかった』と言い切るとは、いったい、どういう感覚をしてるんだ?……鈍いのか? 皆が言うように、ただのバカなのか? それとも、もしかして……ただ人が良く、(ふところ)の深い男……というだけなんだろうか?」


 左手で右(ひじ)を掴み、右の(こぶし)(あご)に当てて、咲耶は真剣な顔つきで考え込む。

 美智江は困ったように微笑んで、僅かに首を(かたむ)けた。


「さあ……。どうなのでしょうね。本当のところは、私もわかり兼ねておりま――」

「バカなんだよ」


 ふいに、美智江の台詞をさえぎり、仁が吐き捨てるように言った。

 女性のように柔らかく、優しげな印象だった顔が、今は、さも不快そうに(ゆが)んでいる。


「バカなんだよ、あの人は。ただの大バカだ。自分より先に、母さんがお祖父様と出会っていたというだけで、勝手に二人が付き合っていたと思い込んで……。おまけに、自分と結婚した後も、その関係が続いていて、二人の不倫の末に、俺が生まれたと思うなんて、バカとしか言いようがない。その上、『自分に似ずによかった』『親父の子でよかった』だって?……まったく、呆れた大バカ者だ。そんなことを言われて、母がどんなに傷付いたか、考えようともしないで。……俺が……俺がどんなに辛かったか、知ろうともしないでッ!!」


「……仁。……おまえ……」


 いつも穏やかに笑っていた仁が、こんな風に想いを吐き出すところを、東雲も、初めて()の当たりにしたのだろう。呆然と彼を見つめている。


「……本当に……バカだ……。どこまでもバカな男だよ、あいつは……」


 長い間胸に溜まっていたであろうことを、一気に吐き出し、スッキリした部分もあったのだろうか。仕舞いには、普段の穏やかな笑みを浮かべ、仁は震える声でつぶやいた。


「仁……。ごめんね。あなたにも、辛い想いをさせて……。私が忠司さんを――お祖父様を好きになったりしなければ、こんなことにはならなかったでしょうに……」


 母親である美智江ですら、こんなに感情的になる仁を見るのは、初めてのことだった。

 きっと、自分を傷付けぬよう、我慢に我慢を重ねて来たに違いないと思うと、とても堪らず、美智江は顔を両手で覆い、さめざめと泣き出した。


 仁は、隣に座っている母の肩に手を置き、首を左右に振る。


「母さん! 母さんは悪くないよ。人が人を好きになる気持ちは、誰にも――自分にだって、止められやしないんだから。……だから、母さんは謝らなくていいんだ。謝る必要なんて、どこにもないんだよ」


「う……う、ぐっ……!……う、うぅ……っ。仁っ。……っく、仁――っ」


 仁の優しい言葉に、泣き止むどころか、美智江は、ますます激しくむせび泣く。

 美しい親子愛だなぁと感じながらも、その場の者達は、皆、同じようなことを考えていた。



(『そんなことを言われて』、『俺がどんなに傷付いたか』――ってことは、信吾は、息子の仁の前でも、『親父の子でよかった』……って意味合いのことを、口にしてた……ってこと、なのか……?)



 ……だとすると、やはり()()()()()()だなと、皆は無言でうなずくのだった。




 それから数分後。

 静まり返った客間の外から、中年以上であろうと思われる、野太い男の声が聞こえ、どんどん近付いて来た。


「はっ、離せぇッ!!――ええい、離せと言っているだろうっ、聞こえんのかッ!?……離せッ!! 離せ離せ離せぇええええーーーーーーーッ!!」


 ノックの音が響き、ドアが大きく開かれると、そこには、無表情のままの堤が立っていた。

 そしてその右手には、冴えない風体(ふうてい)の、無精髭(ぶしょうひげ)を生やした五十代ほどの男が、首根っこを掴まれ、引きずられた状態で現れた。


 堤は、奥に居る龍之助に向かい、


「龍之助様。五十嵐信吾を連れて参りました」


 と告げると、ゴミ捨て場にゴミ袋を捨てるかのように、ポイっと無精髭の男を放り投げた。

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