第14話 桃花、兎羽に握手を求められる
龍生が一人掛けのソファに座ったので、咲耶と桃花は、空いている三人掛けのソファに座ることになった。
その際、先に座っていた兎羽から、
「初めまして。……と言っても、昨日会ったわよね。改めて自己紹介させてもらうけど、私、堤兎羽と言います。旧姓は東雲。あそこでボーッと突っ立ってる、東雲虎光の妹なの。よろしくね」
ニコッと笑って、片手を差し出された。
桃花も慌てて手を握ると、
「あっ、はいっ。よろしくお願いしますっ。……え、と……わたし、伊吹桃花です」
ぺこりと頭を下げ、同じく自己紹介する。
兎羽は、『桃花ちゃんか。可愛い名前ね』と言ってから、隣にいる咲耶へと視線を移した。
だが、咲耶からは、何の反応もない。
兎羽は、『あら?』という顔をして、咲耶を見つめていたが、焦った桃花が、『さ、咲耶ちゃんっ。咲耶ちゃんっ』と軽く制服の袖を引っ張ると、
「……保科咲耶だ」
とだけ言って、さっさとソファに腰を下ろしてしまった。
(えぇえ~~~っ? どーしちゃったの、咲耶ちゃんっ? 今の、何だかすごく、感じ悪く見えちゃってたよ~~~っ?)
何故だか、とても素っ気ない態度の咲耶に、桃花は一人、あたふたしてしまっていたが、兎羽は、さして気にする風でもなく、
「そう。咲耶ちゃんって言うの。素敵な名前ね」
そう言って、やはりニコリと笑う。
兎羽の落ち着き払った対応に、咲耶は内心、
(ぐぬぅ…っ。ちっとも動じていない!……これが、〝大人の余裕〟というものなのかっ?)
と、歯噛みして悔しがったが、何も咲耶は、本気で兎羽のことを、ライバル視していたわけではなかった。
ただ、近くで見る兎羽は、少し離れた場所で見ていた時よりも、段違いに美しく思え、妙に落ち着かない気持ちになってしまったのだ。
何故そんな気持ちになるのかは、咲耶にはわからない。
とにかく、兎羽を見たり、近付いたりすると、胸がモヤモヤっとして来て、不愉快な気分になるのだった。
一方桃花は、横で不機嫌そうにしている咲耶に、ヒヤヒヤしていた。
車中での、龍生とのやりとりを思い起こしてみれば、咲耶が兎羽に嫉妬していることは、容易に察せられた。
だからと言って、咲耶も、大した理由もなく、兎羽に突っ掛かって行ったりはしないだろうが……二人の間に挟まれる形となってしまった桃花は、気が気ではなかった。
(うぅ……っ。咲耶ちゃんが座ってる方から、冷たい空気が流れて来てる気がする……。気のせいだろーけど、なんだか落ち着かないよぉ……)
やはりここは、恋人の出番だろう。
桃花は小さく縮こまりながらも、視線だけで、龍生の様子を窺った。
もしもの時は、咲耶を制してもらわなければならない。よくよく注意していてくれるよう、頼んでおかなければ。
どうにかして、視線だけで気持ちを伝えられないものかと、考えていたのだが――……。
(……えっ!?……秋月くん、笑ってる?)
龍生は腕を組み、咲耶の方を、じっと見つめていた。
その顔には、何故か、うっすらと笑みを浮かべながら……。
意外な龍生の反応に、桃花は思わず、ポカンとしてしまった。
不機嫌な恋人を前にして、どうして、呑気に笑ってなどいられるのだろう?――桃花には、理解不能だった。
桃花に、龍生の気持ちが理解出来ないのも、無理はない。
彼女の心配とは裏腹に、この時、彼は喜んでいたのだから。
恋人が年上の女性に対し、無礼とも思える態度を取ったのだ。普通なら、注意を促さねばいけないところだ。
しかし、嫉妬してくれている咲耶が、龍生の目には、とても可愛らしく、いじらしく映っていたので、『注意しなければ』などという考えは、少しも浮かんで来なかった。
それどころか、
(ああ……。嫉妬する姿ですら、咲耶はこんなにも美しく、愛らしい。……口惜しいな。ここにいるのが、俺と咲耶だけだったなら、今すぐにでも、強く、強く抱き締めて、熱いくちづけでも交わしているところなのに)
などと、他人が聞いたら引いてしまうようなことを考えていた。
……確実に、〝色ボケ〟決定だ。
するとその時。
場の空気を一変させるかのように、龍之助が、大きい咳払いをした。
一斉に、その場の者達の視線が、龍之助に向く。
龍之助は、椅子の肘掛けに両手を乗せると、ゆっくりと一同を見回した。
「――さて。あの馬鹿者が来るまで、この場をどうしたものか。……誰か、話したいことはないか?」
いきなり訊ねられ、皆一様に、困惑顔で周囲を窺う。
唐突過ぎて、〝話したいこと〟など、全く浮かんで来なかった。
だが、そこで手を挙げた者がいた。
五十嵐信吾の元妻、荒巻美智江だ。
「あの……五十嵐が来る前に、お話しておきたいことがあるのですが……よろしいでしょうか?」
おずおずと申し出る美智江に、一同は一斉にうなずく。
その反応を確かめてから、美智江も小さくうなずき……ぽつりぽつりと、昔話を語り始めた。