第11話 咲耶、敵陣に攻め込み龍生に迫る
「秋月龍生ッ!!――貴様という奴は、どこまで卑怯な男なんだッ!?」
それは、桃花が龍生から〝お試しで付き合う〟ことを提案された、翌日の朝。
桜月高校二年一組での出来事だった。
龍生が自分の席に座り、今日の一時限目は何の授業だったかな、などと考えていると、大きな音を立てて後ろの引き戸が開き、咲耶が冒頭の台詞を吐いて、教室に入って来た。
龍生の机の前まで早足で歩いて来た咲耶は、足を止めて龍生を睨み付け、教室中に響き渡る声で、もう一度。
「秋月ぃッ!! 貴様という奴は、どこまで卑――」
「『どこまで卑怯な男なんだ』――だろう? 大丈夫。聞こえていたよ」
いつもの王子様スマイルで答える龍生に、咲耶は完全に出端を挫かれ、悔しそうに歯噛みした。
周囲には、他のクラスの咲耶が何の用かと、あちらこちらでヒソヒソと噂する生徒達の声が、さざ波のように広がって行く。(ちなみに、咲耶は龍生と並び立つほどこの学校では有名人なので、『あの人誰?』などという声は、ひとつも上がらなかった)
咲耶は気を取り直し、深呼吸すると、
「秋月。貴様、桃花に交際を申し込んだだけでは飽き足らず、『お試しでいいから付き合おう』などと、ふざけたことを抜かしたそうだな?」
咲耶の言葉に、『ええっ!?』『イヤーッ!!』『秋月くん、今まで特定の子なんて作らなかったのにーっ』というような、女生徒達の悲鳴が上がった。
また、一部には、『そんな! 伊吹さんは保科さんと付き合ってたはずでは!?』と、特殊なショックの受け方をしている男子生徒もいた。
しかし、それはあくまで、陰で密やかに活動中の、極少数存在する〝咲耶×桃花を見守る会〟のメンバーが発した言葉なので、本気にしてはいけない。軽く流すのが正解だ。
周囲の声が小さくなるまで待ち、龍生は笑顔を崩さぬまま咲耶を見返し、彼女の言葉を肯定した。
「ふざけたことだとは思わないけれど、伊吹さんにそうお願いしたのは本当だよ。何か不味いことでも?」
「な――っ!」
平然と返され、咲耶は一瞬、言葉を失った。
周囲の女子達は、『秋月くんが認めたーっ!?』『イヤーッ、みんなの秋月くんなのにーッ!!』と、やはりショックを受けているようだ。
咲耶は龍生を睨み、机に思い切り拳を叩き付けた。
「貴様っ! 桃花の優しさに付け込んで、よくもやってくれたなッ!? 〝お試し〟などという気楽な言葉を付けることによって、〝付き合う〟ことに対するハードルを下げ、桃花を意のままに操ろうとするなど、本当に見下げ果てた奴だ! 恥を知れっ、恥をッ!!」
最後の台詞は、ドンドンと拳を叩く音込みで発すると、猫がシャーッと威嚇しているところを連想させるような凄みを利かせる。
龍生は相変わらずの余裕綽々たる態度で。
「それで? 僕と伊吹さんがお試しで付き合うことの、何がいけないと言うのかな? 伊吹さんは僕の申し出を受け入れてくれたけれど、それはべつに、僕が脅したわけでも、弱みに付け込んだわけでもないよ。彼女が自らの意思で、そうすると決めたんだ。それを、いくら友人だからといって、保科さんが抗議して来る理由がわからないな。どうしてそんなことを?」
「――っ!……そ、それは――……」
痛いところを突かれ、咲耶は二の句が継げなかった。
「それとも、伊吹さんが君に頼んだのかな? 承諾はしたけれど、やはり気が変わったから、代わりに断って来てくれと?……まあ、人の気持ちは変わるものだし、それはそれで仕方ないと思うよ。けれど、そういうことは友人に頼むのではなく、自ら出向いて来て伝えるのが、相手に対しての、最低限の思い遣りというものではないのかな? 自分で伝えるのが嫌だからと、友人に押し付けるのは、君が言う卑怯に通じる行いだと、僕は思うけれど。……残念だよ。伊吹さんは、その辺りのことはきちんと理解している、他人に優しく出来る人だと思っていたのに。まさか、友人に面倒を押し付――」
「桃花を侮辱するなッ!! 桃花に頼まれたから来たわけじゃない!! 私が勝手に――っ」
龍生はスッと片手を上げ、咲耶を制止すると、『わかっている』とでも言うように、小さくうなずいた。
「うん。そうだろうと思っていたよ。伊吹さんは、とても心が温かくて、誠実な人だからね。面倒を友人に押し付けるようなことはしない。消極的で臆病なところも見受けられるけれど、いざという時は、人任せになどしないで、自ら動ける人だ。だから好きなんだ」
またもさらりと、『好き』だなどと言ってのける龍生。周囲の女生徒達の悲鳴が、一段と大きく響いた。
咲耶は唇を噛み締め、しばらく無言で龍生を睨み続けていたが、やがて肩の力を抜くと。
「いいだろう。そこまで桃花のことを理解しているのなら、しばらくは静観しておいてやる。……だが、少しでも桃花に妙なことをしようものなら、即座に成敗してやるからな。覚悟しておけよ」
「……フフッ。成敗か。それは怖いな。でも安心して? 彼女を傷付けるようなことはしないよ」
「……わかった。今は信じよう」
咲耶はそれだけ言うと、踵を返して教室を出て行く。
その凛とした後ろ姿に、男子生徒達は見惚れ、名残惜しそうに見送った。
龍生は『イヤーッ!! 秋月くんが誰かと付き合うなんてーッ!!』『これから何を支えにして生きて行けばいいのーっ!?』と、口々に喚き立てる女生徒達の声をBGMのように聞き流しながら、誰にも聞こえないほどの声でつぶやく。
「さあ、これからが本番だ。失態しないように気を付けないと」
口の端を僅かに上げ、まだ治まらない喧騒の中、龍生は一時限目の準備に取り掛かった。