第8話 結太、桃花を背に庇って龍生に噛み付く
「龍生ん家が、犯人達に罪償わせよーが償わせまいがカンケーねー!! 誘拐犯と伊吹さんを直接会わせるなんて、オレはぜってー反対だかんなッ!!」
桃花を背に庇うようにして、龍生の正面に立ち、結太は断固として言い張る。
龍生は小さくため息をつくと、桃花に視線を移し、穏やかな声で訊ねた。
「伊吹さん。君自身はどう思う? 結太と同じく、誘拐犯に直接会うなんて、考えられない? どうしても嫌?」
「え……。あ、あの……それは……」
話を振られ、桃花は思わず口ごもる。
確かに、誘拐犯に会うのは怖いが、どんな人間なのか、知りたい気持ちも、多少はあった。
しかし、すっかり頭に血が上っている結太は、桃花の答えを聞くよりも早く、
「そんなの、嫌に決まってんだろ!? 昨日の今日だぞ!? 自分を誘拐した奴らと会うなんて、怖いに決まってんじゃねーかッ!!」
両拳を握り締め、龍生をギロリと睨みつける。
「結太、おまえには訊いていない。俺は、伊吹さんに訊いているんだ。伊吹さんを守ろうとする気持ちが、いつも以上に強まってしまうのもわかるが、少し黙っていてくれ」
「な――っ! 何ぃッ!?」
桃花は、結太と龍生を交互に見やり、自分のせいで、いつも仲の良い二人(桃花にはそう見える)が言い合っていることに、胸を痛めていた。
(どーしよー? 楠木くん、秋月くんに嫌われたくないはずなのに、わたしなんかのために、一生懸命、秋月くんに意見してくれてる。……ダメ。ダメだよ。これ以上言い合ったら、ケンカになっちゃうかもしれない。好きな人とケンカなんて……そんなの絶対ダメッ!!)
そう思ったら、結太の片腕を両手で掴み、桃花は叫んでいた。
「ダメッ、楠木くん!! わたしなんかのために、秋月くんとケンカしないでっ?」
「え…っ?」
突然、腕を引っ張られる感覚がした結太は、ギョッとして顔を横に向けた。
するとそこには、両目と唇をきつく結び、必死の形相で結太の左腕にしがみつく、桃花の姿があった。
二の腕辺りに、控えめな存在感ではあるが、確かに、柔らかいものの感触がする。
それに気付いたとたん、何が何だかわからなくなり、結太は激しく動揺した。
「いぶ――っ?……いっ、いいいいい伊吹さんッ!?」
体温が急上昇し、脳内は、沸騰しているのではないかと錯覚するほどに、強い熱を帯びている。
気にしないようにしなければと思えば思うほど、余計に意識は二の腕に集中し、結太は、龍生に腹を立てていたことなど、すっかり忘れてしまっていた。
桃花の行動は、当然、計算してのことではない。
計算した上での行動であったなら、桃花は、とんだ小悪魔ということになる。
しかし桃花は、計算で動けるほど、器用な少女ではなかった。
その時、彼女の頭の中にあったのは、『楠木くんと秋月くんがケンカしちゃう! 止めなきゃ!』という、一念のみだった。
――というわけで。
彼女は無我夢中でしがみついているため、結太が焦って身動きするたびに、両腕に力が入り、ぎゅむぎゅむと、必要以上に締め付けてしまっていた。
これが、漫画やアニメのワンシーンだったなら、結太は盛大に鼻血を噴き出し、床に倒れていただろう。
「いぶっ――、いっ、いいいいい、伊吹っ、さんっ? あああああのあのっ、あののののっ」
どうにかして腕を離してもらおうと、結太は桃花に訴えようとするが、懸命になってしまっている桃花は、いっこうに気付かない。ひしと腕にしがみついたままだ。
(わわわわわ…っ!……う、腕にっ、腕にやわ――っ、やわわっ、柔らかい感触がっ!……こ、このっ、柔らかいものの正体は、やっぱ、その――っ、む、むむむむっ、胸っ?――なんだ、ろーか?……って、二の腕に両腕でしがみつかれてる……ってことは、位置的に考えても、胸っ……だよ、な……?)
桃花には大変失礼ではあるが、あまりにも感触の主張が弱々しいもので、結太もイマイチ、確信が持てないでいるようだ。
しがみついているのが桃花でなく、咲耶であったなら、間違いなく、二の腕に当たっているのは〝胸〟であると、自信満々に言い切れたのだろうが。
……と、結太にこんなことを思われていると知ったなら、桃花は、天照大御神のように、天岩戸に引きこもり、当分の間、表の世界には出て来られなくなってしまうに違いない。
それでは可哀想過ぎるし、(結太にとっての)太陽に隠れられてしまっては困るので、この先も絶対、結太には口外しないでほしいものだ。
それはさておき。
目の前で突然始まった、結太と桃花のイチャイチャ(龍生にはそう見えたらしい)に触発されたのか、龍生は、珍しく隣で大人しくしている咲耶の肩を、いきなり抱き寄せた。
それから、驚いて目をぱちくりさせている彼女をじっと見つめ、
「見せつけられるばかりではつまらん。――咲耶」
「えっ?……な、なんだ?」
「俺達も見せつけてやろう」
「…………は?」
すぐには意味が飲み込めず、ポカンとしてしまっていた咲耶に顔を近付けると、拒む隙を与えぬ素早さでキスをした。