第6話 結太と桃花、卓を挟んで沈黙する
東雲が、龍生にようやく口を利いてもらって感激していた、ちょうどその頃。
結太の家の一室では、緊張した面持ちの結太と桃花が、丸いローテーブルを挟んで向かい合っていた。
母親の菫は、まだ仕事から帰って来ていない。この家には今、結太と桃花の二人きりだった。
そのためか、妙に意識してしまい、お互いに話し掛けられないまま、既に、十数分は経過してしまっている。
ローテーブルの上には、オレンジジュースが注がれたコップが二個と、ぬれ煎餅が入った器が置かれていた。
桃花が来ると知ってから、結太が慌てて用意したものだ。
桃花とぬれ煎餅では、あまりにもイメージが合わないので、洋菓子でも買いに行きたいところだったのだが、龍生から、
『伊吹さんが学校帰り、おまえの家に見舞いに寄ってくれるそうだぞ』
と連絡が入ったのは、放課後に近い時刻で、買いに走る暇がなかったのだ。
結太は、『くっそ~、龍生のヤツ。もう少し早く連絡くれてれば、伊吹さんが好きそうな菓子、用意出来たのにっ』と悔しがったが、文句を言ってみても始まらない。
洋菓子は諦めることにして、何もないよりはマシだろうと、ぬれ煎餅を用意したというわけだった。(ちなみに、ぬれ煎餅は菫の好物だ。結太の好みではない)
桃花がやって来たのは、それからすぐのことだった。
早く出なくてはと焦った結太は、片方の松葉杖を食器棚に引っ掛けてしまい、危うく転倒しそうになった。
だが、どうにかバランスを取り、既のところで転ばずに済んだのだが、その時の音が外まで響いてしまっていたらしく、ドアを開けたとたん、
「楠木くん! 今、すごい音がしたけど、大丈夫? 何かあったの?」
と心配されてしまった。
転びそうになったが、実際は転ばなかったので、大丈夫だと伝えてから、結太は桃花を家へと招き入れた。
親がいない間に、付き合ってもいない異性を家に入れるのはマズいだろうかと、一瞬思いはしたが、わざわざ見舞いに来てくれた同級生を、門前払いするわけにも行かないだろう。
そうだ。これは当然のことなのだと、心でうなずきつつ、結太は己を納得させた。
(けど、参ったな……。伊吹さんが見舞いに来てくれたのは嬉しーけど、昨日、帰り掛けにあんなこと言っちまった手前、気まずくて、何話せばいーのかわかんねーや……)
〝あんなこと〟というのは、結太がリハビリを一日休んでしまったことを、自分のせいではないかと気にしているようだった桃花に、
『オレの脚なんかより、伊吹さんの方がよっぽど大事だからッ!!』
と、大声で言ってしまったことだ。
その後すぐ、逃げるように車から出てしまったが、桃花はどう思っただろう?
言ってしまった直後は、驚いたように目を見開いていたが……結太の気持ちに、気付いてしまっただろうか?
もし、気付いたのであれば、今日見舞いに来てくれたことには、それ以上の意味があるのか?
もしかして、結太の気持ちを確かめに来たのでは……?
龍生から、桃花が見舞いに来てくれるらしいとの連絡を受けて以降、結太はずっと、そんなことを考えていた。
(……いや。オレの気持ちがバレちまってたとしても、どーせ近いうちに告白するつもりでいたんだから、全然問題ねーっちゃーねーんだけどさ。……けど、やっぱどーせなら、もっと思い出に残るよーな場所とかで、告白してーんだよな~……)
思わず、うんうんとうなずいてしまう。
特に、自宅での告白は、絶対に避けたかった。
何故なら、告白に失敗した場合、家中どこにいようとも、その時の苦い記憶が、蘇って来てしまうに違いないからだ。
本来、寛げる場所であるはずの自宅が、告白の失敗により、一気に居心地の悪い空間になってしまったりしたら、最悪ではないか。
(うん。家はダメだ! 失敗した時のことも、ちゃんと考えておかなきゃな。告白は、普段、あまり行かねーよーな場所でするぜ!)
結太はそう決意すると、大きくうなずいた。
すると、
「えっ? どーかしたの、楠木くん? 急にうなずいたりして……」
桃花が不思議そうに首をかしげる。
ハッと我に返った結太は、焦りながらも苦笑いを浮かべた。
「い、いやっ! べつに、何でもねーんだっ。ちょっと、その、考え事してて……」
「考え事?」
「あー……、うん。でも、伊吹さんとは関係ねーことだから、気にしねーでダイジョーブっ。……え、と……。あっ、そーそー! 龍生のこと考えててさっ」
「秋月くん……の?」
「うん、そー! あいつ、今日からどーすんのかなってさ。今日も保科さんと、電車で帰んのかな? それとも車かなって、ちらっと思っちゃって」
「……そー……なんだ……」
無理して笑みを浮かべてはみたが、結太の言葉に、桃花の胸はチクリと痛んだ。
自分と二人きりでいる時でも、気に掛かってしまうということは、やはりまだ、龍生のことが諦められないのだなと、思い込んでしまったのだ。
結太が龍生の話をしたのは、『桃花に告白する時のことを考えていた』などと、正直に言うわけには行かなかったからで、他に意味などない。
だが、結太が好きなのは龍生だと、すっかり信じ込んでしまっている桃花は、
(そーだよね。咲耶ちゃんと秋月くんが付き合い始めてから、まだ一ヶ月も経ってないんだもん。そんな簡単に、好きだった人を忘れることなんて出来ないよね……)
と、一気に打ち沈んでしまった。
結太の方は、告白する気だけは満々なのだが、桃花の方は、結太のことが好きだと気付いてからも、『結太は龍生が好き』という誤解が邪魔をして、なかなか、想いを伝えようという気にまではなれないでいた。
とにもかくにも、二人の仲を進展させるためには、まず、桃花の誤解を解かないことには、どうにもならないようだ。
……と言っても、結太は告白のことで頭がいっぱいで、自分が桃花から、龍生が好きだと思われていることなど、きれいさっぱり忘れてしまっているらしいが。
気持ちの温度差がかなりある二人は、それぞれの想いが溢れ出してしまわぬよう、必死に抑え込むことだけで、いっぱいいっぱいになっていた。
特に結太は、『告白の場所は、どこがいいだろう?』という難問を前に、上の空だった。
そうして、再び訪れた沈黙から、数分経った頃――玄関のチャイムが鳴った。