第5話 東雲、校門前でいきなり土下座する
昇降口を出て、龍生と咲耶が校門に向かって歩いていると、突如、門の中央付近に、見慣れた大男が現れた。
上背がある上に、黒服にサングラスなので、とにかく目立つ。
男はキョロキョロと周囲を窺っていたが、龍生と咲耶に目を留めると、ビシッと姿勢を正した。
「あれ、東雲さん? なあ、秋月。あれ、東雲さんだよな?」
すぐさま気付き、咲耶は龍生を見上げて問い掛けるが、彼は無言で歩き続ける。――心なしか、いつもよりも表情が硬いように思えて、咲耶は『おや?』と首をかしげた。
二人が門に近いところまで来ると、東雲は『坊ちゃん!!』と呼び掛け、サングラスを外して胸ポケットに掛けた。
そしてその場に膝をつき、両手を地面についてから、思い切り頭を下げる。
「ええっ!?――し、東雲さんっ?」
ギョッとして、咲耶が声を上げる。
こんなに目立つところで、大の大人が、いきなり土下座して来ることなど、滅多にない。……いや。土下座自体、普通に生活しているだけなら、目にする機会などないはずだ。
当然、咲耶も、周囲にいる生徒達も、ものすごく驚いて、一斉に東雲に注目した。
「土下座などして、いったい何のつもりだ、東雲? 注目を集めることで、俺に恥を掻かせようと言うのか?」
東雲の土下座を目にしても、一人だけ冷静だった龍生が、感情を取り去ったような声で告げる。
頭を下げたままの東雲は、瞬間、ビクッと肩を揺らすと、
「い、いいえッ!!――は、恥を掻かせになど、滅相もない!! ただ、俺――っ、いえ、私は、どうしても、龍生様にお詫びをしたいと思い――それから、龍之助様からのご伝言をお伝えいたしたく、参上つかまつった次第でございますッ!!」
告げてから、地に頭を付けるほどの勢いで、更に頭を下げる。
自ら進んでしていることとは言え、人前で土下座するなど、かなりの屈辱だろう。普通なら、恥ずかしくて耐えられないはずだ。
だが、東雲の場合は違った。
頭を下げているので、周囲の者達には、その時の東雲の表情までは、窺い知ることが出来なかったが、彼の顔は、屈辱に歪んでいたりはしなかった。
それどころか、龍生が声を掛けたとたん、一気に破顔し、抑えがたい喜びに、打ち震えていたのだった。
(ぼ…っ、坊ちゃんが、ようやく口利いてくださった!! 一日ぶりに、口利いてくださったぁあああああッ!!……あ~~~っ、よかった!! マジ感激だぜコンチクショオオオッ!!)
たった一日(正確に言えば、まだ一日も経っていないが)無視されたくらいで、何をオーバーな……と思われる方も多いだろう。
しかし、彼にとっては、龍生に無視され続けるという事態は、それだけ耐え難いことだったのだ。
学校から消えた龍生を、捜しに行った日も、病院にいた彼の前で、失言してしまったことがあった。
ただ、あの時の龍生は、東雲に腹を立てていたというより、聞かされた内容についてのショックが大きかった――というだけだったので、次の日の朝には、いつもの状態に戻っていた。
今回は、次の日の朝になっても、無視が続いていたので、東雲も気が気ではなかったのだろう。
「お祖父様からの伝言とは何だ? 大事な話なのか?」
「はっ、はいッ!! 本日は、お早めにお帰りいただきたい――ということでございましたッ!! 夕食前にお話があるとのことで。それでっ、あの――っ、可能であれば、伊吹様にもお出でいただけないかと……」
「伊吹さんに?……もしや例の――……五十嵐絡みの話か?」
「あ、はいッ!! そういうことでございましたッ!! 仁と、親父の方の五十嵐も、呼んであるとのことで――」
「何っ!? お祖父様は、伊吹さんと五十嵐親子を、直接会わせるおつもりなのか!?」
「あ……はあ……。たぶん、そのようにお考えかと……」
龍生は片手を口元に当て、しばし考え込んだ。
桃花の誘拐事件から、まだ一日しか経っていない。
時間も置かずに、桃花を黒幕と会わせたりなどして、大丈夫なのだろうか?
桃花の精神状態は、落ち着いているだろうか?
もし、まだ恐怖心が残っているとしたら……。
「秋月――」
咲耶が不安げな顔つきで、龍生の制服の裾を、軽く引っ張る。
龍生は柔らかく微笑むと、
「大丈夫。無理に、伊吹さんと五十嵐を会わせようというわけではないよ。伊吹さんが嫌だと言えば、同席を求めたりはしない。だから、そんな顔するな」
そう言って、咲耶の頭を数回撫でる。
咲耶はこくりとうなずいて。
「じゃあ、もし……桃花が同席することを受け入れたら、私もついて行っていいか? その方が、桃花も少しは、落ち着いていられると思うんだ」
親友の側にいてやりたいのだろう。咲耶は真剣な瞳で、龍生をじっと見つめた。
「ああ、もちろん。十年前の事件も起こした張本人が、来ると言うんだ。咲耶も気になるだろう? 五十嵐という男が、どんな奴か?」
「――え?……あ、ああ……。そうだな。その頃のことは、未だに、ユウくんに関することくらいしか、思い出せていないんだが……。気になることは気になる……な」
龍生は咲耶にうなずいてみせてから、東雲に向き直った。
「わかった。伊吹さんに、どうするか訊いてみよう。ただ、彼女は今日、結太の家に見舞いに行っている。彼女に、同席する意思があるか確認するためには、安田に、結太の家に寄ってもらうしかない。――東雲。おまえも、車に同乗して来たのか?」
「はいっ! 安田さんに無理を言って、乗せていただきましたっ!!」
「そうか。――では、おまえも来い」
龍生はそう言い、東雲の横を通り過ぎようとしたが、
「あ…っ、でも! 俺まだ、坊ちゃんに謝罪を――っ」
東雲の声に、龍生はピタリと立ち止まり、振り返りもせずに答える。
「謝罪なら、もう飽きるほど聞いた。これ以上は必要ない。……わかったら、さっさと立て」
「――っ!……は、はいッ!!」
東雲は、ぱあっと顔を輝かせ、素早く立ち上がって、龍生の後を追う。
二人の間に、昨日、何があったと言うのだろう?
咲耶は首をかしげていたが、東雲の顔つきが、あまりにも嬉しそうだったので、思わず、釣られて笑ってしまった。