第4話 龍生、咲耶に約束を反故にされ動揺する
……確かに、今日ここへ咲耶を呼び出したのは、『二人きりで無人島の別荘に泊まるという計画は、ダメになってしまった』と、伝えるためだった。
だが、こうもキッパリと、咲耶の方から――しかも、真正面から拒否されてしまうと、さすがに傷付く。
龍生は、自分の体を抱き締めるようにして、じりじりと後退して行く咲耶を、呆然と見つめた後、
「ちょ――、ちょっと待ってくれ、咲耶。まさか、今の言葉は……君の、本心なのか?」
左手を前に出し、右手でクラクラする頭を押さえつつ、訊ねる。
咲耶はキッと龍生を睨むと、
「当たり前だッ!! おまえみたいに、何考えてるかわからん奴と一緒に……しかも、二人きりで無人島で数日過ごすとか、無理に決まってるだろッ!? 何されるかわかったもんじゃないッ!!」
そう言って、自分の体をガードするかのように、ギュウッと抱き締める。
(……は? 『何されるかわかったものじゃない』?……と言うことは、咲耶は、俺と二人で無人島で数日過ごしても、何事もないと……本当に、何事も起こらないと思っていた……ということか?)
……いや。
それはもちろん、咲耶が断固として拒否すれば、キス以上のことはしないと……その程度の覚悟は、一応していたつもりだ。
しかし、咲耶だって、『二人きりがいい』と言っていたのだ。
そこまで言うからには、ある程度は、何かあるのではないかと、予想していたりするものではないのか?
キス以上のことを、龍生がして来る可能性について、咲耶も当然、考えているだろうと思っていた。
それも全て承知の上で、『二人きりがいい』と言ったのだと、思っていたのだが……。
やや蒼ざめつつ、改めて、咲耶を真正面から見つめる。
視線に気付くと、彼女は体を横に向け、更にギュウうぅぅ……っと、己の体を抱き締めた。
その姿は、龍生がいつ襲い掛かって来るかと、警戒しているかのように見えた。
(……覚悟……までは、していなかった……と。そういうことか……)
龍生は両手で額と目元を覆うようにすると、ハァ~……と大きくため息をついた。
龍生と出会うまでの咲耶は、ろくに恋も知らず、興味もなかったということも、かなりの恥ずかしがり屋で、奥手だということも、当然、知ってはいたが……。
まさか、〝年頃の男女が二人きりで、数日間、誰もいない場所で過ごす〟ということが、どういう意味を持つのかすら、わかっていなかったとは。
また、どのようなことが起こり得るかも、考えていなかった――いや、思い付きもしていなかったとは。
(……フフ……。……なるほど。俺は当分の間、キス以上の経験はさせてもらえない――ということらしいな。……そうか。なるほど。……フフ。……フフフ……)
なんだかもう、泣くのを通り越して、笑いたくなって来た。
「フフ……。フフフ……」
実際、笑いがこぼれてしまった。
そのとたん、咲耶がビクッと肩を揺らす。
「な…っ、ななっ、なんだなんだっ!?……今、なんで笑ったんだっ!?」
「……いや。これはもう、何と言うか……前途多難だな……と思ってね」
片手で額を押さえ、龍生はそう言って苦笑した。
「前途多難?……何のことだ?」
(決まっているだろう。君のことだよ)
そう言ってやりたかったが、龍生は曖昧な笑みを浮かべ、『まあ、いろいろとね』とごまかした。
「それより、咲耶。俺と『二人きりがいい』と言ってくれたのは……あれは何だったんだ? たった一日で、気持ちが変わってしまったと言うのか? それとも、昨日の君の言葉は、嘘だったのか?」
「ちっ、違うッ!! 嘘なんかじゃないッ!! 昨日はホントにそう思ったんだ!! でも――っ!」
そこで言葉を切ると、咲耶はかあっと顔を赤らめた。
それから、チラリと龍生の顔を窺い、また、ふいっとそらす。
「……でも、おまえが……さっき、変なこと言うから……。急に……怖くなって、来て……」
いつもハキハキとものを言う咲耶が、今は、耳を澄ませなければ聞こえないほどの小さな声で、ボソボソとつぶやいている。
龍生は、『常に強気な咲耶が、時々、妙に頼りなげな雰囲気を漂わせたりするのが、またそそって、堪らないんだ』などと思いながら、
「『変なこと』って……。ああ。キス以上のことを経験している高校生は……という話か?」
さらりと告げると、咲耶の顔色が、また一層赤く染まった。
「わっ、わかってるなら、わざわざ言うなバカッ!!」
二歩、三歩と、咲耶はますます距離を取る。
完全に警戒されてしまったなと、龍生は再び苦笑した。
「そんなに離れなくてもいいだろう?……大丈夫。何もしやしないよ。君も言っていたように、ここは学校だしな。俺だって一応、時と場所はわきまえているつもりだ」
「な――っ! さ、さっきキスしようとして来た奴が、よく抜け抜けと、そーゆーこと言えるなッ!?」
「キスは別だよ。俺が言っているのは、〝キス以上のこと〟だ」
「なっ、ななっ、なんだそれはッ!? どーしてキスならいーんだッ!?」
「キスは、もう何度も許してくれているじゃないか。経験済みのことは、遠慮しないことにしている」
「は……っ、はああああッ!?」
怒っているから顔が赤いのか。照れているから顔が赤いのか。はたまた、そのどちらもか。
とにかく、『これ以上、赤くなれない』と思われるほどに顔を染め上げ、咲耶は大声を上げる。
「ああ……。ダメだよ咲耶。そんな大声を出しては。他の生徒に気付かれてしまう」
軽く周囲を見回して、龍生は注意を促す。
その落ち着いた様子にカッとしたのか、咲耶はますます声を張り上げた。
「うっ、うるさいうるさいッ!! おまえが勝手なことばっかり言うからだろッ!?……と、とにかく、私はもう、おまえと二人きりで無人島になんか、絶対行かないッ!! 絶対絶対、行かないんだからなーーーッ!?」
……やれやれ。
最初から『行けなくなってしまった』と話すつもりだったのだから、結果としては、これでいいわけだが……。
しかし、こうもハッキリと拒絶され、『はい、そうですか』と引き下がるのも、何だか癪に障る。
そう思い直した龍生は、
「わかった。では、こうしよう。無人島には、二人きりでは行かない。結太と、伊吹さんにも一緒に行ってもらう。――ね? これならいいだろう?」
苦肉の策として、妥協案を出してみた。
「へっ?……え……と……ああ。そ、それならいい……かな?」
首をかしげつつも、咲耶はうなずいた。
龍生も、内心で『よし!』とガッツポーズしてから、うなずき返す。
「うん。そうしよう。結太には、俺から頼む。だから咲耶は、伊吹さんに頼んでみてくれ」
そう言って笑みを浮かべ、龍生はさりげなく、咲耶に歩み寄る。
「え?……あ、ああ――。……わかった」
咲耶の警戒心も、だいぶ薄らいだようだ。
更に、咲耶に向かって歩を進める。
「よし。では、これで決まりだ。夏休みの予定は、これで行こう。うん。ハハハハ。楽しみだなぁ。ハハハハハハ。――なあ、咲耶?」
心のこもっていない笑い声を、台詞の合間に挟み込みつつ、龍生は、咲耶の前まで来て足を止めた。
「えっ?……あ、ああ……。まあ……そう、だな」
目の前で、何故か〝王子様スマイル〟を浮かべている龍生に、戸惑っているのか。咲耶は不思議そうに龍生を見上げる。
彼はフッと真顔に戻ると、
「では、善は急げだ。これから結太の見舞いついでに、無人島への同行を、二人に打診しに行こう」
そう言って咲耶の手を取り、ギュッと握ると、素早く、その指先にキスを落とした。