第18話 龍生、校門前で咲耶と桃花に出くわす
車を降りて、学校までの道を一人で歩いていた龍生が、咲耶と桃花に気付いたのは、校門前十数メートル付近だった。
昨夜から続いていた不快感が、咲耶の姿を目にしたとたん、吹き飛ぶ。
龍生は早足で二人の側まで歩いて行くと、後方から声を掛けた。
「おはよう、咲耶。伊吹さんも」
二人の前では、自然と笑みがこぼれる。
同時に振り返った二人は、龍生だとわかると、ニコリと笑って、
「あ。おはよう、秋月くん」
「おはよう、秋づ――き……」
咲耶だけ、挨拶の途中で顔が曇った。
不審に思い、
「咲耶?――どうかしたのか? 顔色が優れないようだが……」
訊ねながら手を伸ばし、そっと頬に触れる。
咲耶はたちまち真っ赤になったが、龍生と目が合うと、何故か、慌てて目をそらせた。
「だっ、大丈夫だ。何ともない。……ただ、その……」
「――ん? 『ただ』……どうした?」
「えっ……と、あの……」
咲耶は目をそらしたまま、しばらくの間沈黙していた。
自分の前では話し辛いことなのだろうかと、ピンと来た桃花は、
「あっ。わたし、教室でやらなきゃいけないことがあるんだった!――ごめんね、咲耶ちゃん。秋月くん。先に行かせてもらうね?」
本当は、やらなければいけないことなどないのだが、慌てたフリでそう言うと、桃花はタタッと駆け出し、二人に向かって手を振る。
「あっ……。ああ。――じゃあ、また昼休みにな!」
即座に桃花の気持ちを察した咲耶は、心の中で『すまん、桃花』と謝りつつ、駆けて行く彼女に、手を振り返した。
龍生も、桃花が気を利かせてくれたことを薄々感じてはいたが、特にそのことには触れず、咲耶に向き直る。
「それで? 『ただ』――どうしたと言うんだ?」
咲耶は目をそらしたまま、
「あ、ああ……。実は、その……」
と言ったきり、再びの沈黙。
どうやら、相当言いにくいことがあるらしい。
だが、言いにくいことがあるのは、龍生も同じだ。彼女の左肩にポンと手を置くと、素早く右耳に口を寄せ、
「俺も伝えたいことがある。放課後、屋上に来てくれ」
とだけささやく。
咲耶は一瞬、驚いたように目を丸くしたが、すぐに理解を示し、小さくうなずいた。
「では、行こうか」
手を伸ばして、咲耶の手を握ると、龍生は校舎に向かって歩き出す。
咲耶は顔を赤らめつつも、照れまくって、『人前でこういうことするな!』などと言い、手を振り払うようなことはしなかった。
(こういうことにも、徐々に慣れて来てくれたということかな?……だとすると、良い兆候だ)
咲耶の手を通して、温かな想いが、体の隅々まで流れ込んで来るようで、龍生はしみじみ、幸せを噛み締めた。
〝好きな人と手を繋ぐ〟。――そんな簡単な行為だけで、これほどまでに満たされた気持ちになれるとは。
(恋とは、本当に不思議なものだ)
クスリと笑みをこぼす龍生を、咲耶は、もの言いたげな顔つきで見上げるのだった。
「えっ!?……楠木くん、また脚、痛くなっちゃったんですか!?」
昼休み。
いつものように、桃花の教室で昼食を共にしていた龍生から聞かされた話に、桃花は驚いて声を上げた。
龍生は軽くうなずくと、
「そうらしい。今朝、起きたら、そういう内容のメッセが届いていた。今日は病院に行き、医師の意見を聞いてから、学校に行くかどうか決める――という話だったな」
「……そんな……。わたしのせいで……脚の状態が、悪く――?」
桃花は蒼くなってうつむく。
昨夜は、『もうほとんど治っている』ようなことを言っていたが、やはりあれは、自分に気を遣っていただけだったのだ。
本当は、まだ痛みが残っていたのではないだろうか?
「何を言うんだ! 桃花のせいであるわけがない!」
箸を握り締めながら、咲耶が言い切る。
すかさず龍生もうなずいて、
「ああ。俺もそう思うよ、伊吹さん。あいつは、自分の意思で行動したんだ。君を助けたいという想いだけでね。その結果として、再び脚を痛めてしまったのだとしても、それが君のせいであるわけがない。結太だって、君にそう思わせてしまうことが、一番辛いのではないかな」
「……でも……。わたしが、もっとしっかりしてたら……。誘拐なんて、されてなければ……」
蒼い顔のままうつむく桃花の目には、涙が滲み始めていた。
「桃花! そんなに気にしなくたって大丈夫だ! 楠木は、自分の行動によって起こった結果が悪かったからと言って、その責任を、他人に押し付けるような奴じゃないだろう? それは、桃花が一番わかっているはずじゃないのか?」
「――っ!……咲耶ちゃん……」
桃花はじっと咲耶を見つめた後、小さくうなずいた。
咲耶はホッとして微笑むと、
「よし! それじゃあ桃花。秋月に連絡を取ってもらって、楠木が、今日は学校に来られないってことだったら、放課後にでもあいつの家に行って、見舞って来たらどうだ?」
「えっ、お見舞い!?――楠木くんのお家に? 直接?」
「ああ。あいつの脚の状態が気になるんだろう? だったら、直接行って、訊いて来ればいいじゃないか」
「それは……気にはなるけど……。でも、いきなりお家になんて……」
桃花は真っ赤になって、うつむきながらモジモジしていたが、『あっ』と言って顔を上げ、
「じゃあ、あの……咲耶ちゃんも、一緒に行ってくれる?」
小首をかしげて訊ねる。
いつもの咲耶であれば、『ああ、もちろんだ!』と、即座にOKしていただろう。
しかし、放課後は、屋上で龍生と会う約束をしている。
「あ……。すまん、桃花。放課後は、ちょっと……用事が、あって……」
「用事?……そっかぁ……」
しょんぼりとする桃花に、咲耶の胸はズキズキ痛む。
龍生に、明日じゃダメかと訊ねようと、慌てて彼に目を向けると、彼は両目を細め、じいっと咲耶を見つめていた。
その目は、『約束しただろう? 俺の方が先約だろう?』――と訴えているようで、うっと怯んだ咲耶は、予定を変更するのは諦めた。
「だ、だいじょーぶだ桃花! 秋月が、ちゃんと連絡を入れてくれるんだからな! いきなり押し掛けるんじゃない! 楠木だって、迷惑に思うはずがないさ!――なっ? だから安心して、見舞いに行って来い!」
咲耶には励まされ、龍生には、にっこりと笑ってうなずかれ……。
桃花は困惑しながらも、恐る恐る、『うん……。じゃあ、一人で行って来るね』と返事をした。
桃花が結太の自宅に初訪問!?
……というところで、第15章は終了となります。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました!