第12話 龍生と咲耶、門の前でおやすみの挨拶を交わす
安田はやはり、門の外に車を横付けし、中で待機していた。
すぐさま咲耶をエスコートするため、ドアを開けて降りて来ようとした安田を、龍生は片手で制し、
「大丈夫だ。そのまま乗車していてくれ。咲耶のことは、俺に任せてほしい」
そう言って、自分で後部座席のドアを開ける。
安田は、素早く状況を察したのか、無言でうなずき、静かにドアを閉めた。
後部座席に咲耶が乗り込むと、龍生は体を屈めて彼女の手をそっと握り、優しく微笑む。
「おやすみ、咲耶。……また明日、学校で」
咲耶は穏やかな顔で見返し、小さくうなずく。
龍生も、応えるようにうなずき返し、『それでは安田、咲耶を頼む』と言って、ドアを閉めた。
車の中で、咲耶は顔の下辺りまで手を挙げ、僅かに左右に振って微笑む。龍生も、全く同じ動作で返した。
先ほどまで大泣きしていたのが嘘のように、咲耶は落ち着いていた。
思い切り泣いて、スッキリしたのかもしれない。涙を流すことには、リラックス効果や、デトックス効果もあるとされている。
車が静かに動き出し、だんだん小さくなって行く。
龍生は、道の先で車が左折し、姿が見えなくなるまで見送った。
(咲耶が泣き止んだら、『やはり、今日は泊って行くか?』と、訊ねるつもりだったが、その必要はなかったな。……少し寂しい気もするが、これでいいんだ。長い間、あんなに可愛らしい咲耶と共にいたら……今度こそ、理性が抑えられなくなっていただろう。咲耶の気持ちが不安定な時に、そんな風にはなりたくない。弱みにつけ込むようなことは、したくないからな)
泣き止んだ後、龍生がそっと体を離すと、咲耶は恥ずかしそうに睫毛を伏せ、小さな声で『取り乱して、すまなかった』と詫びた。
龍生は微かに笑うと、
「気にすることはない。俺の方こそ、無神経なことを言ってしまって悪かった」
数回頭を撫でてから、龍生は再び、咲耶を胸元に抱き寄せた。
咲耶も、特に拒む様子は見せず、胸元に額を付け、彼の服の両端をギュッと掴む。
そうして二人は、しばらくの間、何も言わずに体を寄せ合っていた。
お互いに離れ難く、けれど、それ以上先に進むことも、今はためらわれて……ただ愛しいという想いだけが、胸を満たして行く。
「……咲耶。夏休みになったら、二人でまた、別荘に行かないか?」
気が付くと、自然とそんな言葉が、口からこぼれていた。
咲耶はピクッと肩を揺らし、おもむろに顔を上げる。
「別荘?……って、無人島の……?」
「そう。無人島の。――嫌か?」
「い――っ、嫌じゃない、けど……。でも、二人……って……」
「二人だけじゃダメか? また、結太と伊吹さんも一緒がいい?」
「え……。べ、べつに、二人だけじゃ嫌……とか、そーゆーことではない、が……」
咲耶は真っ赤になって、モゴモゴと口の中でつぶやきつつ、うつむく。
龍生はクスッと笑い、咲耶の頭をよしよしと撫でた。
「では、決まりだな。夏休みになったら、数日か、数週間か……期間は咲耶に任せるが、二人きりで、別荘で過ごそう」
「えっ!?――ふ、〝二人〟って……〝二人きり〟ってことなのかッ!?」
ギョッとしたように顔を上げ、龍生の胸元を掴む。
本当に、島に〝二人きり〟という意味だとは、思っていなかったらしい。
「そうだよ。事前に、食材やら何やら、必要なものを東雲に運んでもらっておけば、特に問題はないだろう?……ああ。お福も一緒に行ってもらわないと、食事が困るか。咲耶は、料理の腕前はどの程――」
「ばっ、バカにするな! 料理くらい出来る! 自分の弁当だって、いつも作ってるし――っ」
「へえ。あの弁当は、咲耶が作ってるのか。……すごいな」
「――っべ、べつに……すごいというほどのことでもない。普通だ」
「普通なのか?……みんな偉いんだな。俺は、いつもお福に任せきりだから、料理は作ったことがないんだ。……とするとやはり、お福にも一緒に行ってもらっ――」
「りょ、料理くらい私が作るッ!! 作れるッ!! だから二人だけっ――で……」
思わず本音を洩らしてしまい、咲耶はハッとして口をつぐんだ。
龍生はからかうような笑みを浮かべ、
「ふぅん。……『二人だけ』がいいんだな? 誰にも邪魔されることなく、二人きりで、無人島で過ごしたいということだな?……なあ、咲耶?」
「う……う、うぅ……」
咲耶は真っ赤な顔のまま、龍生の胸辺りの服を両手でギュッと掴み、額をぐりぐりとこすり付けて来る。
龍生がまた、良い子良い子するように、頭を優しく撫でていると、
「……そ……そーだよ……。二人だけが……いい……」
ふいに。
蚊の鳴くような微かな声で、咲耶がポツリと言った。
そのいじらしい反応に、龍生は満足げに微笑み、
「わかった。夏休みは、二人きりで別荘だ。結太も、伊吹さんもいない無人島で、二人きり。……約束だよ、咲耶」
頭を撫でながら訊ねると、咲耶は顔を上げぬまま、小さくうなずいた。
(……夏休み、か。まだ一ヶ月以上も先だな。……と、その前に、お祖父様に許可を頂かなければならないが。……反対、されるだろうか?)
龍生は母屋の前で立ち止まり、しばし、戸を開けるのをためらった。
咲耶には、簡単に約束してしまったが……いくら孫に甘い祖父とは言え、高校生二人だけが、無人島で数日過ごすなど無茶だと、一蹴されてしまうかもしれない。
(まあいい。反対されるのも承知の上だ。何としてでも、許可をもらってみせる)
自分が母屋に呼ばれたのは、桃花の誘拐事件をどう片付けるか、または、今度こそ、警察に突き出すかどうか――その辺りの意見を聞くためだろうと、龍生は予想していたが。
桃花に悪いと思いながらも、誘拐事件のことは、ほとんど頭の隅に追いやられていた。
今の龍生の頭の中は、『夏休みに、咲耶と別荘で過ごすため、龍之助から許可をもらう』ことで、いっぱいだった。
「――仕方ない。正直に、真正面からお願いしてみよう」
つぶやいて、龍生は勢いよく、母屋の戸を開けた。