第11話 龍生と咲耶、揃って夕餉を食す
一階に下り、咲耶と二人でダイニングルームに行くと、テーブルの上には、既にたくさんの料理が並べられていた。
いつも夕食は、宝神が一皿ずつ運んで来てくれるのだが、今日は咲耶のため、ビュッフェ形式にしたのだろう。
最初の内は、龍生と自分しかいないということもあり、咲耶も遠慮がちに料理を盛り付けていた。
しかし、皿の盛り付け具合を目にするたびに、宝神が残念そうに肩を落とすのを見て、遠慮するのは、逆に申し訳ないと思ったのか。
途中から、これでもかというくらい、皿いっぱいに盛り付けるようになり、宝神がキャーキャーと手を叩いて喜ぶほど、大いに食べ、そして飲んだ。(飲んだといっても、もちろん酒ではない。スープやシチューの類だ)
龍生は、そんな微笑ましい二人を横目に、無理することなく、いつもの量を食した。
少食の龍生に、咲耶と同じだけ食せというのは、拷問のようなものだ。人それぞれ、適した量は違う。美味しく食べられれば、それでいいのだ。
宝神とて、べつに、無理をして食べてほしいわけではない。
咲耶ほどの食べっぷりを見せてくれるなら、作り手としてはもちろん嬉しいし、見応え(?)もあるというものだが、龍生は、量は多くはないものの、いつも美味しいと言って、取り分けられた分は、残さず綺麗に食べてくれる。
宝神には、それで充分なのだった。
夕食を済ませると、龍生は咲耶を門の前まで送るため、そして母屋に行くために、離れを出た。
門の前では、結太と桃花を送り届けた安田が、待機してくれているはずだ。
(安田も、今日は大忙しだったろう。特別手当を、支給してやらなければいけないな。後でお祖父様に進言して――……、まあ、お祖父様のことだ。その程度のことは、当にお考えだろうが)
そんなことを思いながら、咲耶の荷物を片手に、龍生は黙々と歩いていた。
ふいに、隣を歩いていたはずの咲耶の気配が消え、ハッとして立ち止まる。
慌てて振り向くと、軽い方の荷物を両手に持った咲耶が、立ち止まったまま、つむじが見えるくらいまで深く、うつむいていた。
「咲耶、どうした?……もしかして、部屋での続き? また『帰りたくない』って、愚図ってるのかい?」
からかうように、薄く笑ってみせる。
内心、そんな咲耶の態度が、可愛くて仕方ないのだが、ここでまた、甘い言葉で応じてしまうと、溺愛モードに突入してしまうかもしれない。
周囲のことなど、全く考えられなくなってしまう。――それが怖かったので、龍生は気持ちをぐっと堪え、わざと茶化すような言い方をした。
龍生の台詞に、案の定、咲耶はキレた。
顔を上げ、鋭く龍生を睨みつけると、つかつかと歩み寄って来て、胸ぐらを両手で掴み、
「愚図ってて悪かったなッ!!……そーだよ、おまえの思ってるとーりだよ!! また『帰りたくない』って思ってるよ!! 『もっと一緒にいたい』って願ってるよ!!――悪いかこの……っ、スットコドッコイッ!!」
両目に涙をいっぱいに溜め、まるでケンカを売るように、素直な言葉を口にする。
「……咲耶……」
龍生は呆然としながらも、咲耶のこの反応に、震えるほど感動していた。(『スットコドッコイ』の意味は、正直、よくわからなかったのだが、たぶん、『バカヤロウ』と同じような意味合いだろうと理解した)
普段の咲耶であれば、ここは、『誰が愚図るかッ!! 私は幼子とは違うんだぞッ!?』――とでも言って来そうなものなのだが、意外にも素直に、愚図っていることを認めたのだ。
その上、鵲と東雲に聞かれてしまったことがわかったため、もう二度と、咲耶の口から聞くことはないだろうと覚悟していた、『帰りたくない』や、『もっと一緒にいたい』という言葉を、再び聞くことが出来た。
頑固で意地っ張りで、恥ずかしがり屋な咲耶が、素直に気持ちをぶつけてくれている。――そのことに、龍生は無性に感動していたのだった。
ちなみに、意味がわからない人のために説明しておくと、『スットコドッコイ』とは、バカヤロウ、マヌケなどを意味する、〝江戸言葉〟の一種だ。
〝スットコ〟が裸を意味し、その昔、醜い男を罵る時に使われ、〝ドッコイ〟は、気合いを入れる時の掛け声――を意味するらしい。
どうやら元々は、〝みすぼらしい、ボロボロの着物を着た、裸同然の男〟を罵る時に使われていた言葉だそうなので、ストレートな意味で考えれば、これほど龍生に似つかわしくない言葉もないだろう――と思うのだが。
咲耶も、そこまで詳しい意味を知った上で、使っているわけではないので、まあ、その辺りはスルーすることにしよう。
――話を元に戻す。
咲耶は、胸ぐらを掴んでいる、両手の力を緩めると、とうとう堪え切れなくなったのか、ぽろぽろと涙をこぼし、切々と、己の想いを口にし始めた。
「……明日また、すぐ学校で会えるのに。……それはわかってるのに。……でも、どーしてだかわからない。『まだ帰りたくない』って、思ってしまうんだ。……前に、おまえも言っていただろう? 『人間、いつ何があるかわからない』、『今日、事故や事件に巻き込まれて、死んでしまうかもしれないんだぞ』……って」
「え――?……あ、ああ……」
そう言えば、そんなことを言った気がする。
微かに残っている記憶を頼りに、龍生は小さくうなずいた。
「あの時は……言われてみれば確かにそうだが、いくら何でも大袈裟過ぎる――って、正直呆れていた。おまえの気持ちが、わからなかった。わかろうともしなかった。……でも、今日……桃花が誘拐されて……それが、すごく怖くって……。本当に、運が悪かったら、あのまま桃花に会えなくなってたかもしれないんだ……って思ったら、すごく……すごく怖くて……。おまけに、ユウくんが大怪我した時のことも……また、思い……出して……」
微かに、声が震えている。
咲耶はそこで『う…っ』と詰まり、龍生の胸元にギュウっと顔を押し付けると、頼りなげな声で。
「今日の桃花と、幼い頃のユウくんのことを考えていたら……怖くなってしまったんだ。……また、あんなことが……おまえの身に起こることだって、充分あり得るんだ……って。突然の事故や、事件や……病気なんかで、二度とおまえに会えなくなることだって、これから先、あるかもしれないんだって。……だから……。だから――っ」
「咲耶、もういい!――もうわかった。わかったから――!」
とうとう、気持ちを抑え切ることが出来なくなり、龍生は咲耶を思い切り抱き締めた。
それから、自分の考えが浅かったことを、心から恥じた。
桃花の事件を知ってから、咲耶はずっと、怖かったのだ。ずっと怯えていたのだ。
それなのに、『帰りたくない』という咲耶の想いを、拗ねているだの、愚図っているだのと、軽く考えてばかりいた。
……いや。それだけではない。
心の内では、『甘えてくれている』『素直になってくれている』と、喜んでもいたのだ。
「……すまない、咲耶。君の気持ちを、茶化すようなことを言って。……君を傷付けて」
龍生が謝罪の言葉を口にしたとたん、彼女の中で、何かが弾けたかのように。
咲耶は龍生の胸に取りすがり、声を上げて泣き始めた。