第10話 東雲と鵲、心中穏やかでない主に平伏する
「おまえ達、これで何度目だ?」
客間のベッドに腰を掛け、腕と脚を組んだ龍生は、目をつむったまま訊ねる。
「……は?」
「『何度目』……と、申しますと……?」
床(と言っても、厚手の絨毯が敷かれているが)の上に並んで正座し、ベッドの上の龍生を、上目遣いで窺いながら、東雲と鵲は、ビクビクして問い返した。
ちなみに、床に正座しているのは、本人達の意思だ。龍生が命じたわけではない。
龍生の怒りが相当なものと感じ取った二人は、無意識に正座し、頭を垂れて謝ったのだが、まだ怒りは収まっていないらしい。
「おまえ達が覗き見をしたのは、これで何度目かと訊いている!!――まったく! おまえ達には学習能力がないのか!? 毎度毎度凝りもせず、こういうことばかり繰り返して!」
「ちっ、違います坊ちゃん! 確かに俺達ゃあ、何度か覗きみたいな真似をしちまいましたが、今回は違いますッ!!」
「そうです!! 俺達、べつにお二人を覗こうと思って、ドアの前にいたわけじゃありませんッ!!」
必死に訴える二人をギロリと睨み、龍生は脚を組み替えながら一喝する。
「では、何だと言うんだ!? ドアの外で何をしていた!?」
「お、俺達はただ、龍之助様に――っ、」
「夕食を済ませたら、坊に母屋に来るよう伝えてくれと言いつかって――っ」
「何? お祖父様に?」
僅かに表情を和らげ、龍生は二人を見返す。
主を納得させるなら、今がチャンスと思ったのか、二人は同時にコクコクとうなずき、
「そーなんです! 龍之助様の使いで離れに来たんです、俺達っ!!」
「ええ! ついでにお福さんにも、『御夕食が冷めてしまいますから、早く下りて来てください』って、伝えてくれって頼まれまして!」
「……お福にもか」
それを聞いたとたん、龍生は額に手を置いてため息をついた。
宝神にあれこれ勘繰られたくなかったから、さっさと支度を済ませて、下に行こうと思っていたのに。
結局これでは、急いでいたのも意味がなかったと、気が滅入って来てしまった。
「……だが、それならそれで、直ちに知らせてくれればよかっただろう? ドアの前などでモタモタしているから、また覗いていたのかと、思い込んでしまったんじゃないか」
「……は、はあ……。それは、そうなんですが……」
「ドアが半開きになっていて……そこから、そのぉ……坊と、保科様のお声が、洩れ聞こえて来てしまいましたもので……」
「邪魔しちまったら、マズいんじゃねーかな~……と」
「つい……ドアの前で、ためらってしまいまして……」
チラリチラリと、龍生の顔色を窺いながら、言いにくそうに告げる二人に、龍生はうっと詰まる。
ドアを閉め忘れていたのは、自分のミスだ。このことで、二人を責めることは出来ない。
微かに頬を朱に染めながらも、どうにか平静を装い、
「……そうか。それは……気を遣わせてしまって、すまなかったな」
気まずく視線をそらして、二人に詫びた。
東雲も鵲も、わかってもらえたと思ったのか、ぱあっと顔を輝かせる。
「い、いいえっ! わかってくださったんなら、それでいーんですっ」
「誤解されるようなことをしてしまった俺達にも、非はありますのでっ!」
傍から見たら、二人の様子は、ご主人様に叱られ、しゅんとしてしまった二匹の犬が、許されて、再び元気になり、思い切り尻尾を振って喜んでいる……ように、思えなくもなかった……かもしれない。
とにかく、龍生は二人に、『もうしばらくしたら下に行く。お福にはそう伝えてくれ。お祖父様には、夕食後に伺うと、伝言を頼む』とだけ言って、一階に向かうよう命じた。
二人は、『はいっ!』『喜んでー!』と、まるで居酒屋の従業員のような返しをすると、誤解を解くことが出来、よほどホッとしたのだろう。ニコニコ顔で部屋を出て行った。
龍生はやれやれと肩をすくめてから、もうひとつの問題の方へと、視線を移した。
――視線の先には、鵲と東雲が部屋に入って来てからというもの、ずっと押し黙り、同じベッドの、少し離れた位置に座っている、咲耶の姿があった。
「咲耶」
声を掛けると、ビクッと肩を揺らす。
だが、返事はなく、彼女が顔を上げることもなかった。
「咲耶、聞こえているんだろう?……どうして黙ってるんだ?」
近付いて行って隣に座ると、咲耶は龍生から離れるため、慌てて腰を浮かし、体を横にずらそうとした。
そんな彼女の手を、素早く掴んで阻むと、グイッと引っ張り、強引に自分の膝の上に座らせる。そして後ろから、彼女の両腕ごと、ギュッと抱き締めた。
「ひゃわ――ッ!?」
まさか、いきなりこんな恥ずかしい格好をさせられるとは、思ってもいなかったのだろう。咲耶は妙な声を上げると、龍生の膝の上で、両足をバタバタし始めた。
「ばっ、バカッ!! 離せッ!! 後ろからなんて卑怯だぞッ!?……あ、秋月家はその昔、武士だったって聞ーてるぞッ!? 武士の血筋の者が、こーゆー卑怯なことして、いーと思ってるのかッ!? ご先祖様に顔向け出来ないとは、思わないのかーーーッ!?」
そんなことを言って、両足をバタつかせ、体を左右にねじる。
だが、後ろからしっかりと、龍生に抱き締められているため、簡単には逃れられそうになかった。
「先祖のことなど知ったものか。――それにね、咲耶。武士の使命は、〝家〟を守って後世に残すこと――なんだよ。家を残すためなら、卑怯とも思えるようなことも、ためらわず実行出来るものさ。……そう考えたら、俺は確実に、武士の血を引いていると思わないか? ねえ、咲耶?」
「な――っ! し、知るかそんなものッ!……第一、そんなのは――そんな卑怯なのは、私の好きな武士の姿じゃないッ!!」
「君の好き嫌いの話をしているんじゃないよ。武士本来の姿――の話をしてるんだ」
「ち――、違うッ!! そんなの武士じゃないッ!! 武士はもっと――っ」
「…………『もっと』?」
「う――、……うぅ……」
言い返したくても、実際の武士の子孫には、敵うはずがないと思ったのか。咲耶は急に大人しくなり、うつむいてしまった。
愛犬に〝金四郎〟などと付けるくらいだ。咲耶は時代劇が好きなのだろう――ということは、容易に想像出来た。
彼女の夢を壊すのは、忍びない気もしたが……物語で描かれるような武士と、本当の武士とでは、かなりの違いがあるのだということを、どうしても、知っておいてほしかったのだ。
何せ彼女には、将来自分と結婚し、この家を共に守って行くという、使命を継いでもらわなくてはならないのだから。(これは今のところ、ただの龍生の願望ではあるが)
(……とにかく、これで咲耶の気をそらせることには、成功したかな? あのまま放っておいたら、鵲と東雲に、自分達の会話を聞かれてしまったことを、いつまでも恥ずかしがって、『下に行きたくない』とでも、言い出し兼ねなかったからな)
そうやって、龍生がホッとしたのも束の間。
咲耶を抱き締めているうちに、彼女から発せられる、ほのかに甘い香りと、細い割には、柔らかな体の感触と、伝わって来る温かさに――今度は自分の方が、ずっとこうしていたいと願い、この場から動けなくなってしまいそうだった。
龍生は慌てて首を振り、煩悩を追い払う。
それから、そっと腕を解き、彼女の両肩を掴んで、隣に座らせると、
「いい加減、下に行かないと。今度はお福が、『夕食が冷める』と腹を立てて、怒鳴り込んで来るかもしれないからね」
煩悩を必死に押し殺し、取り繕うように、ニコリと笑った。