表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
216/297

第7話 宝神、いそいそと夕食の配膳を開始する

 内線電話で、龍生と咲耶が離れに向かっていると、赤城から連絡を受けた宝神は、慌ててテーブルのセッティングを開始した。


 別荘でもそうだったが、今朝も、咲耶は気持ちいいほどの食べっぷりを見せてくれた。

 龍生は小食の方なので、普段、あまり作り甲斐というものを感じられずにいる宝神にとって、咲耶は、ありがたい存在になりつつあるのだ。



(う~ん……。この程度の量じゃ、やっぱり足りないかねぇ? 赤城さんに聞いたところによると、今日はお二人とも、すごく疲れることがあったって話じゃないか。きっと、いつも以上にお腹空かせてらっしゃるに違いないよ。……ふぅむ。もう二~三種類くらい、作っておいた方がよさそうな気もするねぇ)



 宝神は一人うなずくと、キッチンに戻り、鵲や東雲の夜食用にと取っておいた食材を使い、追加の料理を作り始めた。




 そうして、数分が経った頃、玄関のドアが開いたことを知らせる(玄関のドアが開くと、鳴る仕組みになっている)ベルが鳴った。

 宝神は料理の手を止めると、この家の主(母屋の主は龍之助だが、両親のいない今、離れの主は龍生ということになっている)を迎えるため、玄関へと向かう。


「おかえりなさいませ、龍生坊ちゃま」

「――ああ。ただいま、お福」


 龍生は二階に向かうため、階段の一段目に足を掛けているところだったが、宝神の声に振り返り、ニコリと笑った。



(――あら。今日は坊ちゃま、かなりご機嫌がよろしいこと)



 龍生は普段、誰に対しても、薄い笑みしか見せない。

 どんなに気を許した相手に対してであっても、こうやってニッコリと笑い掛けることなど、年に数回、あるかないかなのだ。



(……おや? それに比べて、お隣にいらっしゃる保科様は、だいぶうつむいて……。ご気分でもお悪くていらっしゃるのかね?)



 宝神が心配するのも無理はないほど、咲耶は深くうつむいて、顔色すら見ることが出来ない。

 気分が悪いなら、薬を用意しておいた方がいいだろうかと、宝神が思っていると、


「た――、ただいま……です、宝神さん。あの……私、今日家に帰りますので、荷物を持って来ます。泊まらせていただいたのは、たった一日でしたが、お世話になりました」


 咲耶はそう告げると、ぺこりと頭を下げた。

 今日で帰るなどと、赤城からは何も連絡を受けていない。宝神は『あら』と目を見開いてから、残念そうに顔を曇らせた。


「今日? もうお帰りになられるんですか?……まあまあ。そんなこと、少しも聞いておりませなんだ。坊ちゃま、本当なのですか?」


 咲耶が嘘をつくはずもないだろうが、一応、確認のために訊いてみる。

 龍生は再びニコリと微笑んで、


「ああ。俺はもう一晩泊まって行くように言ったんだが、どうしても帰ると言って聞かなくてね。咲耶は頑固だから、一度こうと決めたら、梃子(てこ)でも動かないんだ。困ったものだよ」


 言いながら、咲耶の頭を数回撫でる。

 咲耶はビクッとしつつも、顔を伏せ、何を言い返すでもなく、大人しく撫でられている。

 龍生は龍生で、『困ったものだよ』と言っている割には、最初と変わらず、とても機嫌が良さそうだ。



(……はあはあ。なるほど。保科様がずっとお顔を伏せていらっしゃるのは、ご気分がお悪いわけじゃなく、照れていらっしゃるだけなんだね。いつも威勢の良い方が、妙に大人しくしていらっしゃると思ったら……。ふんふん。こりゃあ、坊ちゃまと何か――恥ずかしいと思える〝何か〟が、おありになったってことなんだろうねぇ)



 即座に察した宝神は、龍生が上機嫌な訳を、それ以上追究しようとはせず、


「お帰りになられるとしましても、御夕食はこちらでお召し上がりになりますでしょう? 保科様――いえ、お二人のために、お料理もたくさん、ご用意しておりますし……」


 どうしても気になる、その部分だけを訊ねた。


「そうか。咲耶のためにと言うのであれば、かなりの量、作っておいてくれたんだろうな。――咲耶。お福が腕によりをかけて、君のために作ってくれたそうだよ。食べて行ってくれるだろう?」


「う……。ああ――、それは、もちろん……」

「まあ! ありがとうございます、保科様! それでは、すぐお召し上がりになれますよう、ご用意しておきますね」


 宝神は、嬉しそうにパチンと両手を合わせると、キッチンへと戻ろうと(きびす)を返した。

 ――が、何か思い出したかのように、再びくるりと体を半回転させると、『坊ちゃま。少々こちらへ』と手招きする。


「ん?――なんだ? どうかしたか、お福?」


 龍生は怪訝(けげん)顔で宝神に近付いて行くと、背の低い彼女の体に合わせ、腰を(かが)めた。

 すると、宝神は龍生の耳に口を寄せ、咲耶には聞こえないよう、小さな声でささやく。


「坊ちゃま。保科様と御一緒にいられるのはあと少しだからと言って、焦ってはいけませんよ? 婚前交渉なさるおつもりでしたら、別の日にしてくださいましね?」

「――っ!」


 思わず大声を上げそうになり、龍生は慌てて、口元を片手で押さえた。

 まさか、宝神から――長年仕えてくれている女中頭(じょちゅうがしら)から、そこまで具体的な注意を受けるとは、思ってもいなかったのだ。


「な――、何を言っているんだ、お福? 俺はべつに、そんなこと、少しも考えてなど――っ」


 龍生にしては珍しく、動揺しているような声だった。

 何事だろうと、咲耶がそちらに視線を移すと、思いきり龍生と目が合う。


「う――っ。……だからそれは――っ」


 龍生は素早く目をそらし、宝神に向かって何かを告げた。

 宝神は、一言二言龍生に返すと、顔だけを咲耶に向け、


「それでは。私は失礼いたしますね、保科様。ホホホホホ……」


 何故か、(ほが)らかに笑いながら行ってしまった。

 咲耶はきょとんとして見送り、再び龍生に視線を移す。


「……秋月? 何かあっ――」

「ないッ!! 何もないッ!!」


 咲耶が『何かあったのか?』と訊ねるより先に、龍生はさえぎるように断言した。

 これも、龍生にしては珍しく、顔を赤くしてうつむいている。



 ――どうしたのだろう?

 宝神に、いったい何を言われたのだ?



 気になって、訊いてみようとしたとたん、龍生は早足で歩いて来て、咲耶の手を取った。

 そして、


「早く部屋に行こう。俺も、帰りの支度を手伝うよ」


 赤い顔のまま目をそらし、咲耶の手を強引に引っ張って、階段を上って行った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=on
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ