第3話 咲耶、戯れ現場を目撃され激しく動揺する
龍生と咲耶は、同時に母屋の方に目をやった。
すると、縁側から家の中へと、人影が素早く移動するのが見えた。
後姿がチラッと見えた程度だったが――間違いない。龍之助だ。
(み――っ、見られたッ!? き、ききききキスッ――しよーとしてたところ、秋月のじーさんに見られたッ!?)
咲耶は恥ずかしさのあまり言葉を失い、ヨロヨロと後退した。
そのとたん、地面から張り出した木の根につまずき、頭と背中を、ゴン!――という音が出るほど、幹に打ち付ける。
だが、動揺しているせいだろうか。痛みは全く感じなかった。
「咲耶っ?――大丈夫か、怪我はッ!?」
咲耶が頭をさすっていると、龍生が慌てて寄って来て、心配そうに覗き込んだ。
間近まで顔が迫り、キスしようとしていた時のことが、フッと脳裏をよぎる。
「だぁ――っ!?……だだ、だっ、ダイジョーブだ!! 問題ないッ!!」
顔も体もたちまち熱くなり、咲耶は龍生の顔を見ないで済むように、思いきり横を向いた。
龍生は咲耶の後頭部に手を当て、
「大丈夫なわけないだろう? 凄い音がしたぞ。――人体にとって、頭は特に重要な部分なんだから、安易に考えてはダメだ。一応、病院で検査した方がいいかもな……」
そんなことを言いながら、気遣うように、優しく頭を撫でる。
内心、『大袈裟だな』と思いつつ、咲耶は未だ、恋愛モードから醒め切っていない。撫でられると、その心地良さに、目つきがとろんとしてしまう。
「――咲耶? 聞いているのか?」
再び、顔を覗き込みつつ訊ねられ、咲耶はハッとなって、思いきり首を横に振った。
「だ、だからダイジョーブだって言ってるだろう!? いちいち大袈裟なんだよおまえはッ!!」
照れ臭さから、両手を龍生の腹部辺りに当て、グイグイと押しやる。
龍生は、咲耶の腕を素早く両手で掴み、体から離すと、上の方へグイッと持ち上げた。
「はわぁッ!?」
咲耶らしからぬ間の抜けた声を上げ、ギョッとしたように龍生を見つめる。
背の高い龍生に両腕を掴まれ、持ち上げられているその様は、見ようによっては滑稽でもあり、情けなくもあった。
しかし、体の自由をいとも簡単に奪われ、見下ろされている状態は、咲耶にとってはただただ恥ずかしく、屈辱的で、何をされるかわからないという、恐怖をも感じさせた。
「な――っ、何なんだこの手はッ!? どーして、腕を掴んで持ち上げてるんだッ!? これじゃまるで、懸垂する前みたいじゃないかッ!! いきなりこんなところで、体力測定でも始めるつもりなのかッ!?」
「……懸垂、って……。咲耶こそ大袈裟だな。踵が少し浮いているくらいでは、懸垂にはならないだろう?」
軽くため息をつき、龍生は苦笑して小首をかしげる。
「だ――っ、だったらいったい何だッ!? これは何のつもりなんだッ!?」
「……これ? これはね――」
龍生はフッと意地悪な笑みを浮かべると、両手を離した。そしてすかさず体を屈め、軽々と〝お姫様抱っこ〟する。
「なぁ――っ!?……な、な……何をするッ!? 離せバカッ!! 下ろせよコラーーーッ!!」
突然のことに目を白黒させ、顔を真っ赤に染めながら、咲耶は龍生の肩をポカポカと叩く。
龍生は痛がる様子も見せず、ハハハと笑うと、まだ側にいた赤城に向かい、
「さっき、『場所を他にお移しになり、続きを楽しまれてはいかがでしょう?』――と確かに言ったな、赤城?」
微笑して、挑むように訊ねる。
赤城は少しも表情を変えることなく、真顔のままうなずくと、
「はい。確かに、そう申し上げました。間違いございません」
あっけなく肯定した。
龍生は満足げにうなずき返し、暴れるのも忘れて、二人のやりとりを見守っていた咲耶に、ニコリと笑い掛ける。
「――ね? そう言うことだから。……場所を移そう、咲耶」
「……え? 場所を移す?――って……」
首をかしげ、たっぷり数十秒ほど考えてから、咲耶はボボボボボッと火が点いたように、顔を赤くした。
「ば――っ、バカッ!! 何考えてるんだこんな時にッ!? 場所を移すって――っ、場所を移して、いったいどーするつもりなんだッ!?」
「だから、赤城が言っていたように、〝続きを楽しむ〟んだよ。誰にも邪魔されないところでね。……フフッ」
「なっ、何が『フフッ』だ!!――ば、バカなこと言ってないで、早く私の荷物を――っ」
「うん。わかっているよ。離れに行くんだろう?――部屋なら、誰にも邪魔されない。ちょうどいいじゃないか」
「ばっ、違――っ!!……そーゆー意味じゃないぃいいいーーーーーッ!!」
再び咲耶は、ポカポカと龍生を叩き始めた。
目には涙を溜め、顔どころか首筋まで、真っ赤に染め上げながら。
(まったく。呆れるほど可愛らしいな。……咲耶のこんな姿、〝クールビューティー〟ともてはやしている、咲耶ファンの男達が見たら、いったいどう思うんだろうな)
咲耶の、他の男の前では決して見せない、潤んだ瞳に、女性らしい、可愛らしい仕草。
その貴重な姿を、自分だけは見ることが出来るという優越感に、龍生は思わず笑みをこぼした。
それから、顔だけ振り返ると、
「わかっているだろうな、赤城? おまえの言うとおり、場所を移してやるんだ。――今度は邪魔するなよ?」
冷ややかな流し目を送り、釘を刺す。
赤城は、やはり表情を一ミリも変えることなく、
「……龍生様の仰せのままに」
そう答えた後、恭しく頭を下げた。