第2話 龍生、不機嫌な理由を聞くため咲耶を追う
離れ目指して、早足で歩いていた咲耶は、龍生が追って来ていることに気付いたとたん、ピタリと足を止めた。
――が、追いつかせる気は更々ないようで、後ろを一度も振り向くことなく、早足から猛ダッシュへと切り換える。
「咲耶!――咲耶、待ってくれ!」
龍生も負けじとスピードを上げるが、頭が良いだけではなく、運動能力も高い咲耶は、走るのも速かった。龍生もかなりの俊足ではあるが、このまま追いかけっこを続けていてもらちが明かない。思わず声を上げた。
「咲耶、待ってくれと言っているのが聞こえないのか!? 聞こえているなら、どうして逃げるんだ!?」
後ろから聞こえた『逃げる』という言葉が引っ掛かり、咲耶は思わず足を止め、振り向き様に言い放つ。
「はあッ!? 『逃げる』だと!?――何故私が逃げなければいけないんだ!? ふざけるなッ!!」
負けず嫌いの咲耶には、『逃げる』などと言われて黙っていることは、とうてい出来なかった。
龍生に文句を言ってやろうと、仁王立ちして待ち構える。
止まってくれればこちらのものだと、龍生はすぐに追いつき、また逃げられることのないよう、咲耶の腕を掴んだ。
「な――っ! 何なんだこの手は!?……離せッ!!」
慌てて振り払おうとするが、ビクともしない。
咲耶は『卑怯だぞ! 離せってばッ!!』と悔しげに言い、龍生をキッと睨みつけた。
「嫌だ。何故俺を避けるのか、その理由を教えてくれるまで、離さない」
「べっ、べつに避けてなんかいない!」
「でも、怒っているんだろう?――理由を教えてくれ」
「り……、理由――って、それは……」
落ち着きなく、視線をあちらこちらへとさまよわせ、咲耶は言いよどんだ。
正直、どう言っていいのかわからなかったのだ。
確かに、龍生と兎羽が話しているのを目にしてから、何となくイライラして、ムカムカして、龍生の顔を見ていたくない――などと思ってしまっていた。
しかし、どうしてそんな風に思うのか、咲耶にもよくわかっておらず、説明したくても、出来ないのだった。
「咲耶が不機嫌になったのは、あの廃屋に行った時からだったな? だが、伊吹さんの無事を確認した時までは、そんな気配は微塵もなかった。ただ、伊吹さんが無事とわかり、ホッとして……嬉し泣きをしていただけだったはずだ」
「う――っ、うるさいなッ!! 勝手に涙が出て来てしまったんだから、仕方ないだろうッ!?」
咲耶は、いくらホッとしたからとはいえ、あんなに大勢の前で泣いてしまったことを、恥ずかしく思っていた。
早く忘れたかったのに蒸し返されてしまい、少し腹が立った。
けれど龍生は、そんなことはどうでもいいという顔をして。
「べつに、泣いたことをどうこう言っているわけではないよ。問題はその後だ。その後に、きっと何かあったんだろう?――俺は、皆と話をしていたから、何があったのかまでは、見当もつかないが……」
咲耶は再びムッとし、ふいっと顔をそむけた。
「ふ~ん……。まるで、自分には全く関係ないことで、私が勝手に怒っている――とでも、思っているような言い草だな。……あんなにデレデレしていたクセに」
「〝デレデレ〟?……いったい何のことだ?」
意味がわからないとでもいう風に、龍生は両目を瞬かせる。
そんな様子がまた、咲耶にはとぼけているように感じられ、苛立ちを増幅させるのだ。
「デレデレ! してたじゃないかッ!……あの、兎羽さん――って人と、話してる時にッ!!」
真っ赤な顔で睨みつけ、咲耶は断言する。
龍生は『え……?』と言ったきり固まり、しばしポカンとして、咲耶をじぃっと見つめていた。
それからしばらくして、
「プフ――ッ!」
口元に片手を当てて吹き出すと、龍生はそのまま、クスクスと笑い出した。
咲耶は一瞬、何が起こったのかわからない様子で、きょとんとしていたが、すぐに顔を真っ赤にして、
「な……。なっ、何がおかしいッ!?」
人が真面目な話をしているのに、いきなり笑い出すとは失礼な奴だと、咲耶は悔しげに睨みつける。
(こいつ、またバカにしているな?)
――仕舞いには、そんな気までして来て、腹が立って腹が立って、仕方なかった。
咲耶が睨み続けている間にも、龍生はクスクス笑い続け……最終的には、アッハハハと、大声で笑い出すまでにもなっていた。
あまりの悔しさに、咲耶はギリギリと歯噛みしていたのだが、龍生は急に、ピタリと笑うのをやめ――とても愛しいものを、両手で包み込んでいるかのような、柔らかい笑顔を咲耶に向けた。
その表情に、思わずドキッとなった、次の瞬間。
龍生は己の胸元に咲耶を引き寄せ、ギュウッと抱き締めた。
「ちょ――ッ?……な、何なんだ急にッ!?……は、離せッ!! 離せってばッ!!」
龍生の腕の中で、咲耶はどうにかして逃れようと、わき腹辺りの服を引っ張ったり、背中を叩いたりした。
だが、咲耶がどんなに暴れようと、龍生は少しも動じることなく――むしろ、もっと強く――それでも、咲耶が苦しく感じないほどの、絶妙な力加減で、抱き締めて来る。
「離せッ!! 離せよバカッ!!――離せ離せッ!! 離せってばーーーッ!!」
ポカポカと背中を叩き続ける咲耶の耳元に、龍生はささやくように告げる。
「嫌だ。絶対離さない。……ああ、咲耶が可愛過ぎて、愛し過ぎて……どうにかなってしまいそうだ」
「――っ!」
その甘い声に、台詞に――そして、耳にかかる熱い吐息に、咲耶の全身は、一気に火が点いたように熱くなる。
またいきなり、恥ずかしいことを言い出したぞ――と思う一方、その甘美な響きに、うっとりと溺れてしまいたい――と思う自分も、確かにいた。
それに気付き、咲耶は愕然とする。
(バ――ッ、バカバカッ!! 何を考えているんだ私はッ!?……秋月の台詞が嬉しいなんて……もっと、その先を聞いてみたいと思うなんて……。このままずっと、抱き締めていてほしいと願うなんて。……どうかしている。本当に、どうかしているッ!!)
高鳴る胸を意識しながら、咲耶はそっと、龍生の背に手を回した。
今しがたまで、あんなに腹を立てていたと言うのに、もうこんなにも、愛しい気持ちが溢れ出し、抑えきれなくなっている。
好きだという気持ちを、心でも、体でも、伝えたくて堪らない。
想いが重なり、二人はそっと体を離すと、静かに顔を近付けて行った。
互いの唇が触れるまで、あと数センチ。
――といったところで、
「龍生様。盛り上がっておられるところ、大変恐縮なのですが……。さすがに、母屋の庭先でそのようなことをなされましては、私どもも、目のやり場に困ってしまいます。どうか、場所を他にお移しになり、続きを楽しまれてはいかがでしょう?」
いつの間にか近くにいた、赤城に声を掛けられ――、龍生と咲耶は、飛び退るようにして体を離した。