第1話 帰路の車中は気まずい沈黙に包まれる
帰りの車中は、最悪の雰囲気だった。
何せ、咲耶は助手席でムスッとしたまま、ずっと前を向いて黙り込んでいるし、龍生は後部座席の左側――咲耶の後ろの席で腕を組み、やはり窓の外を眺めながら、黙り込んでいる。
結太と桃花は、左側から漂って来るひんやりとした空気を感じながらも、どうしていいのかわからず、居心地の悪さを堪えながら、ひたすら縮こまっていた。
(う~ん……。伊吹さんが助かって、大喜びして帰れるはずだったのに、どーしてこんなことになっちまったんだ?……たぶん保科さんは、龍生が兎羽さんにデレデレしてた――ってんで、やきもち焼いてんだろーけど、兎羽さん、とっくに人妻だしなぁ? 龍生に対する気持ちだって、べつに恋ってんじゃなくて、アイドルなんかにキャーキャー言ってる感覚と、似たよーなもんだと思うし。誰がどー見たって、龍生は保科さんしか眼中にねーだろ。やきもち焼く必要なんてあんのか?……けどまあ、そんな風に割り切れるもんでもねーのかもな。オレだって、もし伊吹さんが他の男と楽しげにしてたら、確実に妬いちまうだろー……し……)
そこでふと、龍生が桃花と手を繋いで現れた日のことが、脳裏をよぎった。――とたん、イラッとする。
龍生は咲耶と付き合っているのだし、咲耶以外興味もなさそうだし、何も気にしなくていいはずなのだが、嫌だと思う気持ちは、あの時のままだった。
(あー……そっか。やっぱカンケーねーな。相手に好きな人がいよーと、彼女や彼氏がいよーと、結婚してよーと。ムカつくことはムカつくんだな、うん)
自分の経験と照らし合わせて納得すると、結太は、隣で外を眺めている龍生を、横目で窺う。
一見、平静を装ってはいるが、咲耶が不機嫌になった理由がわからず、困惑しているのだろう。腕を組みつつ、二の腕辺りを、人差し指でトントンと叩いている。内心ではイラついている証拠だ。
(う~ん……。保科さんのことになると、とたんに体裁取り繕えなくなるんだな、龍生のヤツ。感情押し殺すのなんざ、お手のもんだったはずなのに。今までは、こいつに弱点なんかあんのか?――って思ってたけど、メチャメチャでっけー弱点が出来ちまったな。……ダイジョーブか、こいつ?)
あれほど完璧に思えた人間が、たった一人の女性の出現により、感情を乱されまくっている。
結太は幼馴染として、心配になって来てしまった。
(……ま、保科さんは、あんまり物欲とかはなさそーだしな。散々貢がされるとか、そーゆー面での心配は、全くいらねーだろーけど。……でもなー。気持ちの上で、振り回されっぱなしになっちまうんじゃねーかとか、そっちの方が、かなり心配だな……)
結太が気を揉んだって仕方のないことだと、わかってはいるのだが。
気の強い女性が相手だと、気苦労が多そうだなぁと、ついつい、憐みの視線を向けてしまうのだった。
廃墟を出てから、十数分後。
秋月邸に到着した一行は、門の前に集合していた。
未だ気絶したままらしい誘拐犯二名は、堤と東雲が、それぞれ背負っている。
堤は相変わらずの無表情で、文句ひとつ言うことなく、任務を遂行しているが、東雲は、
「……ったく。なんで俺が、金で誘拐役を引き受けるよーなクソヤローを、背負ってやらにゃなんねーんだ?」
などと、仏頂面でぼやいている。
「……なんだ? 不服そうだな、東雲? そんなに嫌なのであれば、代わりに背負ってやらなくもないぞ?」
冷ややかな微笑を浮かべつつ安田が問うと、東雲は慌てて首を振り、
「い――っ、いいえええッ!! とんでもないですっ!! 安田さんのお手を煩わせるまでもありませんッ!! 俺が喜んで背負わせていただきますぅうううッ!!」
やや引きつり気味の真っ青な顔で、申し出を辞退した。
安田の前では、怯えきっているように見える東雲。
そんな様子を、不思議そうに眺めているのは、結太と桃花。楽しげに、ニヤニヤしつつ眺めているのは、咲耶だった。
彼女は龍生から、東雲と鵲の教育係だった頃の〝鬼軍曹・安田〟の話を聞いて知っていたので、面白がっているのだ。
咲耶が笑顔でいることにホッとし、龍生は片手を彼女の肩にポンと置いた。
「咲耶。もう誘拐の恐れはなくなったわけだが、今日はこのまま泊まって行くだろう? 先に離れに戻っ――」
「誰が泊まるかッ!! 家に帰るに決まってるだろう!? さっさと荷物をまとめたいんだ。早く離れに向かわせろ!!」
ピシャリと龍生の手を叩き、肩からどかせると、咲耶は睨みながら言い放った。
叩かれた片手を、もう片方の手で押さえ、龍生は呆然と咲耶を見つめる。
「……咲耶?」
呼ばれても返事をせず、咲耶はふいっと顔を背けた。
すると、門が少しずつ開いて行っていることに気付き、咲耶は桃花を振り返ると、
「ちょっと、荷物を取って来る。桃花、ここで待っていてくれるか?」
龍生に対する態度とは百八十度違う、満面の笑みで訊ねる。
「えっ?……あ、う……うん。もちろん、待ってる――けど……」
「そうか! ありがとう、桃花!――じゃあ、ちゃちゃっと荷物をまとめて来るからな!」
そう言って軽く手を振り、咲耶は秋月家の門をくぐる。
龍生も慌てて後を追おうと駆け出すが、
「龍生様!!――まずは、龍之助様にご報告を申し上げませんと」
安田に呼び止められ、一瞬躊躇し、足を止めた。
しかし、再び走り出し、
「すまん! 母屋には、咲耶との話が済んでから行くと、お祖父様にお伝えしてくれ!」
後ろを振り返りつつ告げると、咲耶を追いかけて行ってしまった。
安田は軽くため息をつき、
「……お変わりになられましたね、龍生様」
寂しげにも嬉しげにも思える、複雑な微笑を浮かべ、ぽつりとつぶやく。
結太も、安田のつぶやきに内心で同意しながら、離れに向かって駆けて行く龍生の背が、視界から消えるまで見送った。