第16話 桃花、結太の胸で平常心を取り戻す
ひとしきり泣いた後、桃花はようやく落ち着いて、自分が今、どういった状況にいるのかを、考える余裕が出て来た。
温かく自分を包み込む、この腕の持ち主は……。
泣いている間、ずっと抱き締めていてくれた、この人は――……。
……楠木くんだ!!
夢から醒めたように目を開き、桃花はハッキリと意識した。
さっきまで、怖くて怖くて、心の中で、何度も何度も、結太の名を呼んでいた。
来てくれるわけがないと思いながら、それでも一心に、結太の名を呼び続けていたのだ。
(ホントに来てくれた! 楠木くんが、わたしを助けに来てくれたんだ!)
そう思うだけで、感動で胸が震えた。
ほんの少し前までは、もしかしたら、このまま自分は殺されてしまうのかもしれない。もう二度と、結太には会えないのかと、絶望に打ちひしがれ、ただただ涙していたと言うのに。
それが今、好きな人に助けてもらえたという感動に、打ち震えている。
好きな人に、また会えた喜びで、幸福感に包まれている。
(ああ、よかった……! わたし、生きてる! 生きて今、楠木くんの腕の中にい――……る……?)
改めて認識した瞬間、ボンッと、頭から蒸気でも発したかのように、体中が熱くなり、汗が滲んで来てしまった。
「だ…っ!――ダメッ、離してッ!! お願い離れてっ、楠木くんっ!!」
いきなりの拒絶の言葉に、結太はハッと目を見開き、桃花の肩に手を置いて、慌てて自分の体から離した。
「ごっ、ごめんッ!!」
謝ると、桃花はすごく真っ赤な顔で、子犬のようにぷるるっと首を振り、
「ううんっ!……あ、あの――っ、……違うのっ! イヤだったとかじゃなくてっ、えっとっ、あの――っ」
どう言えばいいのか、頭を悩ませる。
(違うの! ホントに違うの! イヤなんかじゃなかったし、むしろ嬉しかったの!……でもっ、だって……汗とか掻いちゃったし、臭っちゃったら困るし、心臓のバクバクも、伝わっちゃったら恥ずかしーし、だから――っ)
桃花は口をパクパクしながら、続けてこう考えていた。
(うぅ~~~っ、そんなこと恥ずかしくて言えないよぅ~~~。……でも、ちゃんとイヤじゃないって伝えないと、誤解されちゃうかもだし……。早く何か……何か言わないと。イヤじゃなくて、嬉しかったんだって。助けに来てくれて、すっごく嬉しかったんだって伝えなきゃ!……あぅ~~~っ。でもでもっ、どーやって伝えればいーのぉお~~~っ?)
素直にお礼を言いたいのに。
助けに来てくれて嬉しいと、伝えたいのに。
意識し過ぎて。
恥ずかしさが邪魔をして。
『ありがとう』
――そんな簡単な言葉が、口から出て来ない。
(でも、言わなきゃ! 言わなきゃ絶対伝わらない!!)
そう決意し、桃花は顔を上げ、結太の顔をまっすぐ見つめた。
結太の顔が、緊張したようにこわばる。
桃花は組み合わせた両手を胸元に当て、お礼を言うために口を開いた。
「あの――っ!」
「桃花ッ!! どこにいるんだ、桃花ぁッ!?」
ドアが蹴破られたのかと思うほど、爆発的な音が聞こえたのとほぼ同時に、聞き覚えのある声が降って来て、桃花も結太も、ギョッとしてドアの方へ顔を向けた。
そこにはやはり、咲耶が立っていて、桃花の姿を見つけると、
「桃花ぁあああああーーーーーーーッ!!」
今にも泣き出しそうな顔をして駆けて来ると、まだ座り込んでいた桃花に、思い切り正面から抱きついた。
「さ――っ、咲耶ちゃんっ?」
「うわぁああああッ!! 桃花桃花桃花桃花ぁあああーーーッ!!……よかった、無事で……! 無事でいてくれて、ホントによかったッ!!」
ギュウギュウ抱き締めながら、涙声で告げる咲耶の背に、桃花はそっと両手を回すと、
「うん……。うん。ありがとう、咲耶ちゃん。……ありが……と――」
やはり、すすり泣くような声で返す。
二人はひしと抱き締め合い、互いにわんわんと泣き始めた。
ようやく涙が引いたかと思われた桃花だったが、咲耶の顔を見てホッとしたのと、自分のために泣いてくれている親友に感極まり、再び涙が……というわけなのだろう。
そんな二人を、横で見ていた結太は、
(やっぱ、女の友達には敵わねーなぁ……)
などと思いつつ、苦笑するのだった。
それからふと、後ろを振り返ると、大人二人から報告を受けているらしい、龍生の姿が見えた。
何を話しているのだろうと、そっと聞き耳を立ててみる。
「――つまり堤は、お祖父様から、『伊吹さんに見つからないよう気を付けつつ、護衛しろ』と命じられていたんだな? その後、安田からも同様の依頼をされた。だからここ数日、学校の行き帰りに、伊吹さんを陰ながら見守っていた、と……」
「はい。……その通りです」
無表情の大男――堤が、ボソリと返答する。
すると安田が、
「やはり、龍之助様からも命じられていたのか。……だが、龍之助様も私と同様に、保科様ではなく、伊吹様を護衛しろと、命じておられたとは……」
意外そうに告げると、堤はやはり、無表情のまま。
「龍之助様がおっしゃるには、『龍生は恋人にメロメロで、彼女のことしか考えられん状態にある。信吾は、かなり前から龍生の周りをウロチョロしておったようだし、伊吹さんの方を、龍生の恋人と勘違いしていても、おかしくはない。あやつは抜けておるし、充分あり得る』――と」
龍生の頬に、サッと赤みが差す。
龍之助に、『龍生は恋人にメロメロ』だの、『彼女のことしか考えられん』などと図星を突かれ、恥じ入っているのだろう。
龍生は照れ隠しなのか、数回咳払いすると、
「……まったく。やはりまだまだ、お祖父様には敵わないらしいな。全てお見通しと言うわけか」
悔しそうな口調だったが、どこかホッとしているようにも見えた。
――それはそうだろう。
龍之助が『伊吹さんを護衛しろ』と命じていなかったら、今頃、彼女はどうなっていたかわからないのだ。
口ではああいっていても、龍之助には感謝しかあるまい。
「だが、おまえは伊吹さんをつけつつ、護衛していたんだろう? 何故こうも易々と、攫われてしまったんだ? おまえなら、こんな頼りなげな男二人くらい、簡単にやっつけられたろうに」
――確かにそうだ。
結太は不審に思いながら、堤を見上げた。
「それが……。龍之助様に経過のご報告をするために、ほんの少し目を離していた隙に、前を歩いておられたはずの伊吹様が、忽然と消えてしまわれたのです。慌てて、お姿が消えてしまった辺りに駆けつけると、そこに脇道があり……。きっとこちらに向かったのだろうと、目を向けましたところ、十数メートルほど先に、怪しいワゴン車が見えました。近付こうと思ったとたん、発車してしまったのですが、後部座席に、伊吹様らしい少女のお姿が、ちらっと見えまして。五十嵐が、アジトとして利用しようとしている廃墟は、事前に突き止めておりましたので、先回りして待ち受けていたところ、まんまと現れ……。で、後はこのように」
そこで堤は、床に転がって伸びている、若い男二人を指差した。