第2話 龍生、予想外の咲耶の来訪に甘い夢を見る
ドアを開けると、咲耶が緊張した面持ちで立っていた。龍生と目が合うと、顔を赤くしてうつむく。
まさか、咲耶の方から部屋を訪ねて来るなどとは、思ってもいなかった。龍生は目を見開き、気が付くと訊ねていた。
「咲耶。……どうしたんだ、何か用事か?」
龍生の言葉に、咲耶の肩がピクリと揺れる。
「……用がなければ、来ちゃいけないのか?」
心なしか、拗ねたような口ぶりだった。
龍生は慌てて、
「いや。そんなことはないが。……咲耶から来てくれるなんて、考えてもいなかったから……」
戸惑い気味に否定すると、咲耶は下を向いたまま、らしくない、か細い声で。
「……桃花のところ以外、よその家に泊まるの、初めてで……。なんか、落ち着かないんだ。何していればいいのかもわからんし……。だから、その……しばらく、話し相手にでも……なってくれない、か……?」
妙にしおらしい咲耶に、龍生の胸は、否が応でも高鳴る。
咲耶のことだから、女が男の部屋を訪ねるということが、どれだけ男の期待感を増幅させるか、まったくわかっていないのだろうが……それでもどうしても、〝もしも〟の時のことを、考えずにはいられなかった。
「話し相手にくらい、いくらでもなるが……。咲耶……本当に、いいのか?」
「『いいのか』?……って、何がだ?」
咲耶は顔を上げ、きょとんとした顔で首をかしげた。
……やはり、わかっていないらしい。
そうだろうと思ってはいたが、微かな期待を抱いてしまっていた龍生は、軽くため息をついた。
「え?……迷惑……だった、か――?……すまん。迷惑なら、部屋に戻――っ」
踵を返そうとする咲耶の腕を、素早く掴む。
驚いて仰ぎ見て来る咲耶の顔を見つめ、龍生は柔らかく微笑んだ。
「迷惑なわけないだろう?……いいよ。入って」
咲耶の顔が、ホッとしたように和らぐ。
ここでホッとされるのも、微妙に傷付くのだが……。
龍生は咲耶を中へと招き入れると、なるべく音を立てないように、そっとドアを閉めた。
「へえ。……これが秋月の部屋か。綺麗に片付いてるんだな。男の部屋って、もっとグチャグチャのゴッチャゴチャなのかと思ってた」
部屋に入るなり、部屋のあちこちをキョロキョロと眺め、咲耶が笑って言った。何故か、とても楽しそうだ。
龍生は苦笑し、
「それは偏見だろう。男の部屋が、全てそんな風だと思わないでほしいな。……まあ、掃除はいつも、お福がやってくれているから……汚くなりようがないだけ、と言うべきか」
そう言っている間にも、咲耶は頻りと辺りを見回し、部屋の端から端まで歩き回って……何やら、探しているようにも見える。
「咲耶? あちこち眺めたりするのは、べつに構わないが……机の下を覗くのはまだしも、引き出しは、勝手に開けないでくれるとありがたいんだが……。ええと……ベッドの下など、何もないと思うぞ? いったい、何をしているんだ? 探しものか?」
「ああ! イヤラシイ本がないか、探してる!」
「…………は?」
聞き違いだろうか?
今、『イヤラシイ本』を探している、という風に聞こえたが……。
……いや、まさか。
そんなものを探すのに、あんなに楽しそうにしているわけがない。
やはり、聞き間違いだろう。
「男の部屋って、必ずそーゆー本があるものなんだろう? 秋月は、どこに隠してるんだ?」
……聞き間違いではなかったらしい。
咲耶は『イヤラシイ本』を探しているようだ。……何故か、嬉々として。とても楽しげに。
「それも……偏見、だと思うけどな。男の全てが、そういう類の本を持っているとは、限らないんじゃないか?」
「……なんだ。そーなのか?」
……そこで、ガッカリしたような顔をするのは、何故なんだ?
持っていてほしいのか、恋人に?……イヤラシイ本を?
「チェッ。つまらないな。せっかく、見つけてやろうと思っていたのに。……なあ、本当にないのか? 一冊もか?……ホントのホントに?」
……だから何故、そこで残念そうな顔をするのだ?
龍生は軽いめまいがし、片手で額を押さえた。
「……呆れたな。宝探しでもしている気になっていたのか? 仮に、そんなものを見つけられたとして……楽しいか?」
「そりゃあ楽しいだろう! 〝宝探し〟だぞ!?」
「……〝宝〟……なのか? イヤラシイ本が……?」
「だって、男にとってはそうなんだろう? 『お宝映像』って、イヤラシイ映像のことを言うんだよな? だったら、〝イヤラシイ本〟だって、〝お宝本〟ってことになるんじゃないのか?」
「……さあ……。俺は、よくわからないが……」
龍生も男だ。そういうものに、まるっきり興味がないわけではない。
だが、掃除を宝神に頼んでいる手前、その手のモノは、一切置かないように気を付けている。
本などなくても、男の欲を掻き立てるモノは、インターネット上にいくらでも転がっている。
わざわざ人目につくような場所に、己の秘めた性的嗜好が窺い知れるようなものを、置いておく必要性は感じない。
「そーか。ないのか。……珍しい奴だな、秋月って」
つまらなそうに口をとがらせ、咲耶はごく自然に、目の前にあるベッドに腰掛けた。
(……無防備過ぎるだろう)
――思わず、心でつぶやく。
だが、あえてそこには触れず、龍生は咲耶に問い掛けた。
「珍しい?――何が珍しいんだ?」
座ったままの状態でベッドに両手をつき、足をぶらぶらさせながら、咲耶は、視線だけを龍生に向けて言い放つ。
「だって、年頃の男の部屋には、イヤラシイ本があるのが当然だって、前に何かでやってたぞ。テレビだったかな? むしろ、何もない方が、不自然で不健康――なんだってさ。なのに、おまえの部屋には一冊もないんだろう? 珍しいよな。……もしかして、おまえは〝不健康〟なのか?」
さすがに、『不健康』という言われようは、少々カチンと来た。
咲耶に悪気がないのはわかるが、言って良いことと悪いことがあるということを、教えてやらねばなるまい。
龍生は、無言のまま咲耶の隣に腰を下ろすと、
「不健康って? それはどういう意味だ? どういう状態の男が不健康って言うのか、咲耶は知ってるのか?」
「え?……どういう状態?――って……」
咲耶はきょとんとしている。
どうやら、意味もわからず訊ねていたらしい。
……まあ、龍生自身も、どういう状態のことを、男にとっての不健康と呼ぶのか、実は、よくわかっていないのだが。
ただ、なんとなく、『こんな感じの状態のことかな?』という予想のようなものが、頭の中にあるだけだった。
「俺が思うに、好きな人を前にしても、抱き締めたいとも、キスしたいとも思わない。そういう男のことを、不健康と呼ぶのではないかな?――だが、俺はいつも、咲耶に対して、抱き締めたいとも、キスしたいとも思っているから、不健康ではないと思う。咲耶は、そう思わないか?」
「え……えっ!?」
咲耶の顔が真っ赤に染まる。
正面切って、『抱き締めたいとも、キスしたいとも思っている』などと言われてしまい、どう返事すればいいのかわからなかった。
咲耶は視線をあちこちさまよわせ、『そ……そんなこと、言われたって……』などと、モゴモゴとつぶやいている。
「咲耶――」
「……えっ?」
気付いた時には、咲耶は龍生に両肩を掴まれ、ベッドに仰向けの状態で、押し倒されていた。
「え……えっ?……えっ!?」
突然の事態に、すぐには状況が把握出来ず、咲耶はしきりと、『え?』という疑問符付きのつぶやきを繰り返す。
龍生は咲耶の顔を挟むようにして両腕をつくと、
「俺が不健康かどうか、確かめてみる気はあるか?」
咲耶を試すかのように、少し意地悪く笑った。




