第12話 結太、やむなく龍生の申し出に応じる
結太が学校に通えるようになってから、数日が過ぎた。
あれほど、『龍生ん家の車で、オレだけ送迎してもらうなんてぜってーヤダ!!』と言い張っていた結太だったのだが。
登校再開初日で、松葉杖で過ごすのがいかに大変かを、嫌と言うほど思い知らされてしまったため――結局、龍生の申し出をありがたく受け入れることにした。
龍生はと言うと、自分で宣言していたように、今は電車で通っている。当然、咲耶も一緒だ。
毎朝、わざわざ咲耶の家の最寄り駅(学校と龍生の家とは、逆方向にある)まで迎えに行き、咲耶と桃花と、共に登校しているらしい。
帰りもまた、二人と共に帰り、最寄り駅まで送って行っているのだそうだ。
結太は、バカップルの〝イチャイチャ〟を見せつけられることもなくなり、正直ホッとしていた。
……が、今度は桃花が、見せつけられることになってしまったのかと思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
(伊吹さんは、『え? 全然迷惑なんかじゃないよ? 仲の良い二人って、とっても微笑ましくって、素敵だと思うよ?……でも、ちょっとだけ、羨ましくなっちゃう時もあるんだけど』なんて言って、可愛らしく笑ってたけど……。伊吹さんは優しいからなぁ。嫌なことも、嫌って言えないだけかもしんねーし。……あ~……。心配だぜ)
龍生の家の車で送ってもらっている途中、結太はソファのように乗り心地の良いシートにもたれ、目をつむって、腕を組みつつあれこれ考えていた。
その様子が、悩んでいるように思えたのだろうか。就業中に無駄話は一切しないタイプの安田が、珍しく話し掛けて来た。
「結太様、どうかなさいましたか? 何か悩みごとでもあるのでしょうか?」
「――へっ?……あ、いやっ。そーゆーワケじゃねーんだ。心配させちゃったならゴメン、ブンさん。べつに、なんでもねーって」
「左様でございますか。ならば、よろしいのですが……」
安田も、秋月家で仕えるようになってから長いので、結太のことは幼い頃から知っている。
そのため、結太は鵲のことは『サギさん』、東雲のことは『トラさん』、赤城のことは『マサさん』、そして安田のことは『ブンさん』と、親しみを込めて呼んでいるのだ。
「それよりさ、龍生と保科さんって、一緒に登下校するようになってから、ずーーーっとああだったのか?」
「……『ああだった』――とは、どういう意味でしょう?」
「だからさ、ブンさんがいても、車の中ではずーーーっと、二人でイチャイチャしてたのかな~って。だとしたら、ブンさん気の毒にな~って思ってさ」
身を乗り出すようにして結太が訪ねると、安田は前を向いたまま、僅かに目元と口元を緩めた。
「……そうですね。いつもあのような感じでした。とても仲睦まじく、じゃれ合っていらっしゃいましたよ」
「あ~……。やっぱ、そーだったんだ。あれ見て、イラッとかしなかった?」
「いいえ。――こう申しては失礼かと存じますが、お二人とも大変微笑ましく、愉快と言うより他ないご様子でいらっしゃいました」
「愉快?」
「はい。夫婦漫才でも観ているかのように。……お陰で、笑いを堪えるのに苦労いたしました」
「プ――ッ!……なんだよそれ。〝夫婦漫才〟って――」
結太は腹を抱え、クククと笑った。
この前は、『見せつけてんじゃねー!』と言う風にいらだっていたから、冷静に聞いていることが出来なかったが、言われてみれば、確かに、そんな感じだったかもしれない。
「でも……そっか。夫婦漫才観てると思やー、腹も立たねーか。……うん、いーこと聞ーた! ありがとな、ブンさん!」
「……いえ。私は何も――」
そう言って、安田は薄く笑った。
次の瞬間。
――キキキィ――ッ!!
「うわッ!?」
安田が急ブレーキを掛け、結太の体は、思いきり前方にのめった。
シートベルトをしていなかったら、前のシートに頭を打ち付けていたかもしれない。危ないところだった。
「も、申し訳ございません結太様! お怪我はございませんか!?」
蒼い顔で安田が振り向く。
結太はシートベルトをしっかり掴みながら、ふるふると首を横に振った。
「いや、ダイジョーブ。どこも怪我してねーよ」
「……左様で。……ようございました――」
安田は、ホッとしたように胸を押さえる。
安田の運転はいつも快適で、ヒヤッとした経験など、今まで一度もなかった。結太は目をぱちくりさせ、
「けど、いったいどーしたんだよ、ブンさん? 急ブレーキなんて掛けてるとこ、オレ、初めて見たぜ?……何かあったのか? 猫が飛び出して来たとか?」
「……いいえ。そういうわけではないのですが……」
「……ですが?」
微かに首を傾け、結太は安田をじっと見つめる。
安田は困ったように、眉を八の字にした。
「いえ、それが……昔の知人の姿が、さきほどちらっと見えた気がいたしまして。それが、あまり評判の良くない者でしたので……少々、動揺してしまったのです。お騒がせしてしまい、申し訳ございませんでした」
「……『昔の知人』?……しかも、『あまり評判の良くない者』……?」
ますます首を傾ける角度を深くする結太に、安田は薄く笑ってみせ、
「いえ、ちらっと見えた気がしただけですので。どうか、お気になさらないでください。――では、出発いたしますね」
安田が再び車を走らせたので、話はそこで終わってしまった。
もう一度訊ねてみようかとも思ったのだが、何故か、そうしてはいけないような気がして、気になりつつも、結太は口をつぐんだ。




