第10話 結太、バカップルに辟易する
車中では、結太はずっと、窓の外を眺めていた。
べつに、好きでそうしているわけではない。
目のやり場に困るので、仕方なく車外に目を移し、流れる景色を、ただただ見ているしかなかったのだ。
何故、目のやり場に困るかと言うと。
「こっ、こらっ。勝手に手を繋いで来るなっ!――と、隣に楠木もいるんだぞっ? わかってるのかっ?」
「もちろん、わかっているさ。……でも、仕方ないだろう? すぐ側に咲耶の手があったら、自然と手が伸びて、気が付くと繋いでしまっているんだから。悪いのは俺ではなく、君に向かって伸びて行ってしまう、この手の方だ」
「ばっ、バカッ! 訳のわからないことを言うなっ! 手だっておまえの一部だろう!? だったらやはり、悪いのはおまえ自身じゃないかっ!」
「……そんなに咲耶は、俺と手を繋いでいるのが嫌か? 今すぐ振り払いたくなるくらい、嫌で堪らないのか?」
「ちっ、違うッ!! べつに、嫌だとは言ってないッ!!……ただ、その……ひ、人目を気にしなきゃダメだろう、ってことを……だな……」
「人前では繋ぎたくないということか?――どうして?」
「どっ、どーしてって……そんなの決まってるだろう!? 恥ずかしいからだッ!!」
「何故? どうして恥ずかしいんだ? 俺達は付き合っているのに。恋人同士が手を繋ぐのは、当然のことだろう?」
「当然って、そんなこと誰が決めたんだっ? 恋人同士だって、いつもいつも手を繋いでいるわけではないだろう!?」
「いや。可能な限り繋ぐだろう。いつでもどこでも」
「嘘だッ!! そんな話、今まで聞ーたこともない!! 絶対絶対、いつでもどこでもなんて繋がないぃぃぃーーーーーッ!!」
……まったく。
何をさっきから、イチャイチャしながら言い合っているのだ、このバカップルは?
結太は目のやり場どころか、耳のやり場にも困り、窓の外を向いたまま、ギュッと目をつむった。
だいたい、いつからこの二人は、一緒に登校するようになったのだ?
咲耶は、桃花と登校していたはずではなかったのか?
恋人同士になったとたん、親友をひとりぼっちで登校させるなど、まったくもって咲耶らしくないと思うのだが、いったいどうなっているのだろう?
龍生も龍生だ。
咲耶も一緒だと、事前に教えてくれていたなら、送迎の申し出など、絶対に断っていたのに。
何故朝っぱらから、こんなバカップルのやりとりを見せつけられなければならないのだ?
独り身の男に対する配慮など、微塵も感じられないではないか。
……まったく、バカにしている。
まるで、『いつまでも煮え切らないおまえが悪いんだろう? 悔しかったら、さっさと告白すればいい』とでも言われている気分だ。
「あっ、バカっ。勝手に髪を触るなっ。くすぐったいだろうっ?」
「フフッ。いいじゃないか少しくらい。咲耶の髪は、サラサラなのにしっとりとなめらかで、触り心地が良いんだ」
「うぅ……。ほ、褒めれば何でも許されると思うなよっ?……まったく。いつもいつも、おまえという奴はぁっ」
「フフフッ。そうやって照れる咲耶が、可愛過ぎるのがいけないんだろう? 何度でもからかいたくなる」
「な――っ! か、からかってるのか!? やっぱりからかってたのかッ!?」
「うん?……そうだと言ったら?」
「――っ!……うぅ~……。バカッ!! このバカッ!! そーやっていっつも、人のことからかって遊んでるんだろうっ? もうっ、この…っ! 次やったら許さないんだからなっ? 絶対絶対、許さないんだからなぁっ!? バカバカバカバカッ!!」
そう言って、咲耶は龍生をポカポカと叩いている。
龍生はと言えば、そんな咲耶を〝可愛くて堪らない〟と思っているかのようなデレデレ顔で見つめ、『ハハハハ。痛い痛い』などと言った後、優しく咲耶の両手を掴んだ。
「…………勘弁してくれ」
相変わらず、窓の外へ目をやりながら、結太は、二人に聞こえない程度の声でつぶやく。
……バカップルだ。
あの龍生とあの咲耶が、完全にバカップルと化しているではないか。
ほんの少し前までは、
『キャーッ!! 秋月くん、女子にも男子にも分け隔てなく優しいけど、ただ優しいだけじゃなくて、どこか掴みどころのない性格が、ミステリアスで素敵っ!!』
などと言われていた男が、今は、たった一人の恋人の前では、目尻も眉尻も、これでもかというくらいに下げまくっている。
『おおっ! 保科さん、いつ見てもお美しいっ!! 男のことは、空気とでも思っているかのように、まったく気にも留めないか、はたまた、害虫とでも思っているかのように、険しい視線しか向けてくれないが……そこがまた、クールで凛々しくてサイコーなんだよなっ!!』
などと言われていた女が、今は、たった一人の恋人の前では、『可愛い』と言われて照れまくり、からかわれてはムキになって、まるで子供のように、ポカポカと恋人の体を叩いているのだ。
(……こんなの毎日見せられて、こいつらのファンは平気なのか?……いや。きっと、ごっそり減ったに違いないぜ……)
結太は確信したが、これが意外とそうでもないのだった。
〝捨てる神あれば拾う神あり〟とはよく言ったもので、それぞれが、新しいファンを獲得しており、また、一度は離れつつあったファンも、再び戻りつつあるという。
『だってやっぱり……美しい人は美しいんだから、仕方ないじゃない!!』
――というのが、それぞれのファンの主張らしい。
いつの世も、美男美女というものは、それなりに恵まれているものなのだろう。
……まあ、本人達に、ほとんどその自覚はないが。(――と言うより、ファンが減ろうが増えようが、いっこうに気にしていない様子だ)
「あー、バカバカしい。朝っぱらからこんなん見せられるくれーなら、松葉杖で登校した方がよっぽどマシだったぜ」
思わず声に出してつぶやくと、龍生は、ようやく結太の方を見た。
「――ん? なんだ結太? 車での送り迎えが不満なのか?」
「……べっつに。車が嫌ってんじゃねーけど。……これから毎日、おまえらがイチャイチャしてんのを見せつけられんのか……と思ったら、ちょっとゲンナリしただけだ」
「な――っ! だっ、誰がイチャイチャなどするかっ!! ふざけたことを言うなッ!!」
龍生を挟んで、車の右側に乗っている咲耶が、体を前方に倒し、結太を睨み付ける。
龍生は笑いながら、まあまあと言う風に咲耶を押さえ、
「そうか。そんなに俺達といるのが苦痛だと言うのなら、今日の帰りから、おまえが車を使え。俺と咲耶は、明日から電車で通おう」
突然、そんなことを言い出した。
「へっ?……な、何言ってんだよ龍生っ? おまえん家の車に、オレだけ乗せてもらうなんて出来っかよ!!――だいたい、おまえの家から一番近い駅まで歩くなら、直接学校来ちまった方が早いだろーが!!」
「まあ、そうだが――。咲耶を一人で登校させるわけには行かないからな。早起きして、咲耶の駅まで迎えに行くつもりだ」
「はああッ!?」
「ちょ…っ、何言ってるんだ秋月っ!? 何もそこまでしなくてもっ! 私は一人で大丈――っ」
「ダメだ。絶対迎えに行く。……だから結太、俺のことは気にせず、明日からは、おまえがこの車を使ってくれ」
呆気に取られる結太に、余裕の笑みで応えてから、龍生は安田に視線を移し、
「安田、今言ったとおりだ。今日の帰りと、明日からは――結太のみ送迎を頼む」
命じられた安田は、『はい。承知しました』と、前を向いたままうなずいた。
 




