第5話 龍生と桃花、母屋に呼び出される
「わかりました。今から母屋に向かいます」
龍之助からの電話を切ると、龍生はふう、と小さく息を吐いた。
結太と咲耶が車を追ってここまで来るのは狙い通りだったが、祖父の龍之助が、〝孫の彼女〟とやらにここまで興味を持ち、首を突っ込んで来るなどとは、思いもよらなかった。
二人が到着したら、すぐにこちらに取り次いでくれるだろうと思っていたのに、引き留めて話をしようとするとは。
(とんだ誤算だな。あの人に関わられると、こちらの計画が今後どうなって行くか、予測が立てにくくなる。我が祖父だけあって、抜け目がないからな。勘も鋭いし……。俺の目的が本当はどこにあるのか、見透かされてしまう恐れもある)
内線電話機(外線も掛けられるが、今はスマホや携帯があるので、そちらで掛けることがほとんどだった)の前で、しばし黙考していると、桃花がおずおずと寄って来て、
「あの、今の電話……母屋から、だったんですか?」
心なしか、不安げに訊ねる。
その様子が少々気になりはしたが、電話の相手が当主らしいと知り、緊張しているだけだろうと、深読みはせず、黙ってうなずいた。
「母屋に今、結太と、君の友達である保科さんが、訪ねて来ているらしいんだ。保科さんなどは、早く君に会わせろ、会わせないと暴れてやる――とでも言い出し兼ねないくらい、興奮した様子らしい」
「えっ、咲耶ちゃんが暴れる!?」
桃花の脳内に、ゴ〇ラと化した咲耶が、高層ビルや〇〇タワーをバッキャンバッキャンと殴り倒している姿が、ほんの一瞬だが、よぎった。
まさか、咲耶に限って、よそ様の家で暴れるなどとは考えられないが、友達思いであることと、友達のためなら、多少無茶なことでもやってのけてしまう、豪胆な性質であることは確かだ。
放課後の教室でも、『桃花の貞操の危機』だの『おまえは狙われてる』だの、やたらと心配していたし、龍生のことを、まだ誤解している可能性は、充分にあり得る。
桃花は咲耶を信じてはいるが、万が一、もしものことがあってはいけないと、急速に不安が込み上げて来た。
「早くっ! 早く母屋に向かいましょう! 咲耶ちゃんが心配ですっ」
桃花はそう言って、龍生の制服の裾を、軽く引っ張った。
龍生も、『わかっている』と言うようにうなずき、桃花の手を取ると、そのままギュッと握ってみせる。
「え…っ?」
驚いて声を上げる桃花に、龍生は穏やかに微笑み、
「外はもう暗い。家の敷地内とは言え、外灯も少なくて足元も危険だから、手を繋いで行こう。……それとも、恋人でもない男と手を繋ぐのは、嫌?」
顔を覗き込みつつ訊ねられ、桃花は一瞬迷ったが、すぐに小さく首を振った。
車に乗り込む時や、家に迎え入れてもらう時、少しの間手を貸してもらったりはしたが、離れから母屋まで手を繋いで行く羽目になるとは、思ってもいなかった。
男性と、長い時間手を繋いでいた経験など、桃花にはない。
今も、恥ずかしくて逃げ出したい気分だったが、龍生は親切で言ってくれたのだからと、必死に自分に言い聞かせ、申し出を受け入れることにした。
母屋に向かい、二人で手を繋いで歩いていると、ふいに、龍生が申し訳なさそうに話し掛けて来た。
「すまないね。結局、手土産だ何だと、いろいろ持ち帰ることになってしまって。帰りはきちんと車で送らせるから、勘弁してやってくれないか?」
龍生が何について謝っているかと言うと、宝神が持たせてくれた、ケーキなどの残り物がこれでもかと詰め込まれた、高級そうな紙袋(しかも二つ)のことだった。
宝神に事情を告げ、お別れとお礼を言って部屋を出ようとした時、慌てて持たせてくれたのだ。
中身は生ものなのだし、そんなに持たされてはかえって迷惑だろうと、龍生が苦言を呈すると、宝神はまた、むうっとした顔をしてみせ、
「まあ、迷惑だなんて。ご連絡いただいてから、どのようなものがお好きなのかしら、あれはお好きかしら、これはお口に合わないかしらと必死に考えて、腕によりを掛けてお作りした、自慢の菓子ですのに。一口も召し上がっていただけないうちに廃棄するなんて、あんまりでございますよ。……まあ、坊ちゃまが、ひとつ残らず召し上がってくださるとおっしゃるのでしたら、私も考え直しますけれど」
などと、切々と訴えられたため、龍生も降伏するしかなく、その手土産入りの紙袋は、二人の手を繋いでいない方の手に、それぞれぶら下げられていた。
「いえ、そんな。確かにすごい量ではありますけど、宝神さんも、咲耶ちゃんと分け合いっこすること、許してくださいましたし。咲耶ちゃんの家は、わたしの家より人数多いですから、きっと喜んでもらえると思います」
「……そう? そう言ってもらえると助かるよ。お福も昔から頑固だからね。言い出したら、誰が反論しようと引かないんだ」
龍生は、『まったく、困ったお年寄りだよ』と言って苦笑したが、声色には温かさが感じられたし、『お福』と名前で呼んでいることからも、やはり、龍生が宝神のことを、日頃から大切にしていることが窺い知れた。
龍生の手の温かさを感じながら、桃花はうつむき、彼に気付かれぬよう、そっと笑みをこぼした。
(最初は、どうなることかと不安でいっぱいだったけど、やっぱり、来てよかったんだ。秋月くんが、表面だけ優しい人なんかじゃなく、中身もちゃんと優しいんだってこと、知ることが出来たし。……あとは、どうしてわたしに『交際を申し込んだ』なんて、咲耶ちゃんに嘘ついたか。それさえわかれば――)
桃花は意を決し、龍生を見上げて切り出した。
「秋月くん。わたしまだ、肝心なこと話してもらってません。母屋に着いたら、みんなの手前、また話しづらくなっちゃうと思いますし……。今ここで、どうして咲耶ちゃんにあんなこと言ったのか、教えてもらえませんか?」
龍生は、まっすぐ前を向いたまま、ピタリと足を止めた。
それから、しばらく無言で突っ立っていたのだが、あまりの沈黙の長さに不安を覚え始めた頃。
「そうだね。二人にはもちろんだけれど、祖父に聞かれるのも不味い。母屋に着く前に、話してしまった方がいいだろうね」
龍生はそう言うと、桃花の手を強く握り、側へと引き寄せた。
「きゃっ!?――あ、秋月くん?」
いきなりだったものだから、桃花は体のバランスを崩し、龍生の上腕辺りに額をぶつけてしまった。
驚いて見上げると、龍生は桃花の肩に手を置き、
「ああ、すまない。人に聞かれたらいけないと思って、もう少し近くに来てほしかっただけなんだ。驚かせてしまったね。本当に申し訳ない」
「……あ、いえ……。でも、〝人に聞かれてはいけない〟って……?」
桃花はキョロキョロと辺りを窺ったが、周囲には、間隔を空けるように立っている外灯の淡い光に、ほのかに照らされた庭が見えるくらいで、人影など、どこにもないように思えた。
しかし、龍生は苦笑し、
「まあ、たぶん……さすがに、そこまではして来ないだろうけれど。祖父は、何を仕掛けて来るかわからない人だから、一応、念のため……ね」
そう言って、人差し指を口元に当てた。
意味がわからず、桃花はきょとんとする。
龍生はそのことにはあえて触れず、腰を屈め、桃花の耳元に口を寄せると、小声で自らの胸中を話し始めた。