第15話 桃花、眼前でのキスシーンに動揺する
龍生の唇がこめかみに触れた瞬間、咲耶は『な――っ!』と言ったまま固まり、顔のみならず、首元までを真っ赤に染め上げた。
咲耶の隣にいた桃花も、間近でキスシーン(こめかみにではあるが、桃花にとっては、場所がどこだろうがキスはキスだった)を見せつけられ、咲耶同様に真っ赤になり、
(キャーーーッ!! キャーーーッ!!……っき、きききキスシーン見ちゃったっ。こんなに近くで、キスシーン見ちゃったよぉおおおおっ。わわわわわわわわっ、初めて見ちゃった初めて見ちゃったどーーーぉしよぉおおおおーーーーーッ!?)
声にならない叫び声を上げつつも、動揺を表に出すまいと、必死に口元を押さえて堪えていた。
鵲と東雲は、
(あーっ、くっそぉ!! 坊ちゃんの記念すべきワンシーンだったのにッ!! 写真か動画に収めて、龍之助様に献上したかったぜッ!!)
(スマホは常に手に持ってなくちゃダメだな! 肝心なところを記念に残せなかったなんて、従者として失格だよッ!!)
……などと、しきりに悔しがっていた。
あんなに龍生に嫌悪感を示され、キツく叱られたのだから、もう懲りたのかと思ったら、全く懲りていないらしい。
従者やボディガードと言うより、ただのファンと化しているようだ。
一方、キスの余韻から覚め――……もとい、我に返った咲耶は、真っ赤な顔のまま、龍生の体をポカポカと叩き出した。
「バ…ッ、バカバカバカバカッ!! 人前で――っ、桃花の前で、何してくれちゃってるんだよぉっ、秋月のバカバカバカバカバカァッ!! こーゆーことはっ、人前でしちゃダメなんだからなっ、もうっ、バカバカバカバカバカバカバカァッ!!」
恥ずかしさが頂点に達してしまっているため、その言葉しか出て来なくなってしまっているのだろうか。咲耶は、やたらと『バカ』を連呼しては、龍生の体を叩き続ける。
甘んじて受け止めていた龍生だったが、何十発となって来ると、さすがに受け止めるのも辛くなって来た。咲耶の両手首を素早く掴み、動きを封じた。
「咲耶、わかった。わかったから、もういい加減、叩くのはやめてくれないか?――いきなりキスしたのは悪かった。反省してる。だからもう、落ち着いて――」
「うわーんっ、知るかバカバカバカバカァッ!! この変態っ!! 恥知らずぅッ!! 桃花の前でっ!! 桃花の前でこんなことするなぁッ!! バカバカバカバカバカァッ!!」
「ああ、はいはい。わかった。わかったから。……でも、そうすると……伊吹さんの前でなければいい、ってこと?」
「ち――っ! 違う違ぁーーーうッ!! 誰の前でもダメに決まってるだろッ!! こーゆーことはなぁっ、こーゆーことは……っ、人前ですることじゃないんだからなぁッ!? わかってるのかっ、このバカッ!! バカアホマヌケのエロ王子ぃいいいいーーーーーッ!!」
「フフッ。……はいはい。わかりました。今度からは、二人きりの時にしよう。……ね? それならいいんだろう?」
「――っ!……うぅ~~~っ……。そーゆーことも、わざわざ言わなくていーんだこのバカッ!! バカバカバカバカバカバカァーーーーーーーッ!!」
咲耶の両手を掴んだまま、龍生は楽し気にハハハと笑っている。
咲耶はムキになって、真っ赤な顔を持続しつつ、『バカ』を連呼し続けていた。
……まったく。
放っておくと、すぐこれだ。
桃花、鵲、東雲の三人は、すっかり〝バカップル〟と化してしまっている、出来立てホヤホヤカップルを、何とも言えない、微妙な顔つきで見守っていた。
だが、途中からは、なんだか二人が微笑ましく思えて来て、桃花は下を向いて顔を隠し、クスクスと笑ってしまった。
(咲耶ちゃんったら、すっかり可愛くなっちゃって。今までずっと、わたしにとっては〝カッコいい咲耶ちゃん〟だったのに。……咲耶ちゃんを秋月くんに取られちゃったみたいで、なんとなく寂しいけど……でも、嫌な寂しさじゃないな。新しい咲耶ちゃんの一面を見ることが出来て、嬉しい気もするし。……恋って、やっぱりすごいんだな。わたしも早く、好きな人とあんな風に……)
そこで自然と、頭に結太の顔が浮かんだ。
桃花はハッとなって顔を赤らめると、ぷるるるるっと、まるで子犬のように首を振った。
それに気付いた鵲が、
「ど、どうなさったんですか、伊吹様?」
心配そうに訊ねて来たが、桃花は慌てて、『何でもないですっ。だいじょーぶですっ』と再び首を振った。
(もうっ、わたしのバカッ! 楠木くんは秋月くんのことが好きなんだから、わたしと……なんて、そんなこと絶対無理に決まってるのにっ!……そう……秋月くん……が……)
……そうだ。
そうだった。
龍生と咲耶が付き合い出したということは、結太は完全に失恋してしまった――ということなのだ。
龍生と咲耶が、あまりにもお似合いで、幸せそうだったものだから、結太の心を思い遣ることすら忘れていた。
(……そうか。じゃあ、この前わたしがお見舞いに行った時、楠木くんはまだ、秋月くんが咲耶ちゃんのこと好きだってこと、知らなかったんだ。……そうだよね。知ってたら、『伊吹さんは、龍生と付き合ってんだから』なんて、わざわざ言ったりしない……よね?……秋月くん……咲耶ちゃんと付き合い始めたって、楠木くんに、ちゃんと伝えてあるのかな? もし、まだだったりしたら……うっかり話しちゃわないように気を付けなきゃ、だけど……)
桃花は顔を上げ、龍生の様子を窺った。
龍生はまだ飽きもせず、咲耶と楽し気にじゃれ合っている。
つい先ほどまでは、微笑ましく思えた二人のやりとりだったが、今は、少しだけ胸が痛んだ。
龍生が悪いわけではない。
だが、幸せそうな二人を見たら、結太はどんな風に感じるだろうと思ったら、堪らなくなってしまったのだ。
(楠木くん、今頃どうしてるだろう?……会いたいな。わたしがお見舞いに行ったところで、どうにもならないけど……それはわかってるけど……。今はただ、無性に楠木くんの顔が見たい。声が聴きたい)
「あの――っ!」
とうとう気持ちを抑えられなくなり、桃花は龍生に声を掛けた。
龍生は意外そうに桃花を振り返り、微笑しながら。
「――うん? どうかしたかい、伊吹さん?」
桃花は龍生をまっすぐ見つめると、ありったけの勇気を振り絞って訊ねた。
「あっ、あのっ!……もっ、もしよろしければっ、楠木くんのスマホの電話番号っ、お――っ、教えてもらえませんかっ!?」
桃花からの突然の〝お願い〟に、龍生は瞼を数回瞬かせ、
「結太の電話番号が知りたい?……伊吹さん。そういうことは俺に訊くのではなく、直接本人から教えてもらった方がいいと思うよ? 結太だって、教えていない相手から、いきなり電話が掛かって来たら、驚くだろうしね」
小首をかしげ、桃花の様子を探るように目を細める。
桃花は、ハッとしたように目を見張ってから、睫毛を伏せてうつむいた。
「あ……。そ、そーですよね。いきなり、楠木くんの電話番号教えてほしい……なんて、図々しいですよね。楠木くんだって、勝手に教えられたら、不快に思うでしょうし……」
振り絞ったはずの勇気のカタマリが、風船がしぼむように、徐々に小さくなって行く。
結太の声が聴きたいと、自分のことばかり考えていた。
電話番号を勝手に教えられる、結太の気持ちまでは、考えていなかった。
桃花は顔を真っ赤にし、『またやっちゃった』と、即座に後悔した。




