第14話 龍生、お人好し従者の反応にため息をつく
五十嵐の息子である仁が、先日訊ねて来たことと、その時、何やら龍之助に〝相談〟をして行ったらしい、という話を龍生がし終わると、東雲は、きょとんとした顔で首をかしげた。
「そのことなら、俺も知ってますよ? 仁が訪ねて来た時、帰り掛けに、ちょっと話もしたんで。……でも、それがどうかしたんですか? あいつは、『秋月様に用があっただけ』みたいなこと、言ってた気がしますけど……。それが、何か問題でもあるんですかね?」
そんな東雲を見て、龍生は思わずため息をついた。
(やはりこいつは人が良いな。微塵も怪しんでいない。……まったく。呆れるやら感心するやら――)
「えっ?――い、今なんでため息ついたんです、坊ちゃん? 俺、何かマズいこと言っちまいましたか?」
慌てて訊ねて来る東雲に、龍生は首を横に振る。
「マズいというわけではないが、おまえは相変わらず、人を疑うことを知らないんだなと思っただけだ。――十年もこの家に寄りつかなかった仁が、わざわざお祖父様を訪ねて来たんだ。余程の理由があったに違いない。あのダメな父親のことではないかと、不安を抱いたりはしなかったのか?」
「えッ!? あのバカ親父が、また何か企んでるんですか!?」
「ええっ!?――本当ですか、坊!?」
東雲に続き、鵲も驚いたように目を見張る。
「そうと決まったわけではないが、仁が来訪した日から数日後、お祖父様に訊ねられたんだ。『最近、保科さんから、何か相談されたことはないか?』と――」
「へっ?……私から?」
いきなり名前を出された咲耶は、自分を指差し、目をぱちくりさせる。
龍生は咲耶にうなずいてみせてから、東雲達の方へ向き直った。
「特にないと答えたら、『ならばいい』と、下がるように言われてしまったんだが……。おかしいと思わないか? 仁が来訪した日から数日――たった二日後のことだぞ? 咲耶のことを聞かれたことなど、今までは特になかったのに、いきなりだ。だから俺は、仁からの〝相談〟とかいう話の中に、咲耶の名が出て来たのではないかと考えたんだ」
「それって、つまり……あのバカ親父が、今度は直接、保科様を狙って――誘拐しようとしてるんじゃないかって……そーゆーことですか?」
とたんに顔色が悪くなった東雲が、真剣な口調で訊ねた。
「ええッ!? 嘘でしょう、坊っ!? まさかそんなっ、一度失敗してるのに、また誘拐なんてとんでもないこと、いくらあのバカ親父でも――っ」
言葉を切り、鵲は、口元を片手で覆って考え込む。
そして見る間に、東雲のように顔色を悪くして、ボソリとつぶやいた。
「……いや。あり得る……かも……」
「ええええッ!?――う、嘘だろうッ!?」
「そっ、そこまでおバカさんなんですかっ!?」
咲耶と桃花が、ほぼ同時に声を上げる。
龍生、東雲、鵲の三名は、それぞれに目配せし合い、同時に大きなため息をついた。
「……ああ。バカだな」
「バカですね……」
「ものすごい大バカ。……なんですよね……」
咲耶と桃花は、その反応を見て、
「マジか……」
「そんな……。また誘拐なんて……」
それぞれ呆然としながら、やはりつぶやく。
桃花は咲耶の腕に両腕をからませ、しがみつくようにギュッとすると、
「……ヤダ。怖いよ咲耶ちゃん。誘拐なんて、そんなの……そんなのヤダ……」
今にも泣き出しそうな声で、胸の内を吐露する。
咲耶は、慌てて桃花の頭に手を置き、落ち着かせるように数回撫でてから。
「だ、大丈夫だ、桃花。誘拐なんてされるわけないだろう?……それに、もしそのオッサンが、私を誘拐しようと襲い掛かって来たとしても、そんなに簡単に攫われるものか! たかがオッサン一人、この私が徹底的に叩きのめして――っ」
「ダメだ咲耶。その考えは甘過ぎるし、危険だ」
咲耶が桃花を安心させるために言ったことに対し、龍生が反論する。
咲耶はムッとして龍生を睨み、不満げに言い返した。
「甘いだと!? 何故そんなことが言える? たかがオッサン一人に、私がてこずるとでも――っ」
「ああ、そうだ。君は、本気を出した男の力をわかっていない。いくら相手が、バカでグズの薄汚れたオッサンだろうが、男は男だ。力では絶対に敵わない」
龍生の手厳しい指摘に、咲耶は一瞬怯みそうになったが、すぐに気持ちを立て直し、再び口を開いた。
「そ…っ、そんなこと、やってみなきゃわからないだろう!?――鵲さんや東雲さんみたいに、体も大きくて、普段からいろいろ鍛えてそうな人なら、相手になるなんて無理だ――ってことはわかるが、相手が、ヨレヨレのオッサン一人くらいなら、私だってやっつけられる可能性は――っ」
「ない!! そういう甘い考えでいるから、危険だと言うんだ。たとえ君が、武術や格闘技などを習っている女性だったとしても、本気を出した男の力には絶対に敵わない。何故なら、男と女では、生まれついての筋肉量に、かなりの差があるからだ。一般的に、男は女より、三十パーセント以上は筋肉量が多いと言われている。つまり、この三十パーセント以上の筋肉量を付けることが出来なければ、女性は男に勝つことは出来ないということだ。……わかったか、咲耶? どんなにひ弱そうに見える男だったとしても、甘く見るのは危険なんだ」
「う……、む……、うぅ……」
咲耶は悔しげに唇を結び、顔を赤くしてうつむいた。
龍生は厳しい顔つきをふっと緩めて、咲耶の頭に手を置くと、先ほど咲耶が桃花にしたように、数回撫でてから、言い聞かせるように語り掛ける。
「君が悔しがる気持ちはわかるよ。生まれつき――などというのは、女性にとっては、酷く不公平に思えることだろう。……だが、わかっていてほしいんだ。男を甘く見ることが、どんなに危険なことかを。もし、君がその考えを捨てられなかったことで、何かあったりしたら……。そう考えると、とても怖いんだ」
憂いを含んだ龍生の声にドキリとし、咲耶はおずおずと顔を上げた。
自分を見つめる、龍生の切なげな瞳……。
本当に、心から気に掛けてくれているのだと、咲耶の胸はキュッと痛んだ。
「わ……わかった。もう……『オッサン一人、簡単にやっつけられる』なんて思わない。普段から、充分気を付ける」
シュンとして、咲耶は素直に、自分の考えを改めた。
「ありがとう、咲耶。わかってくれて」
龍生はホッとしたように微笑んで、僅かに腰を屈めると、咲耶のこめかみにそっとキスした。




