第12話 龍生の昔語り・6
龍生から、安田がどれだけ優秀なボディガードだったかを教えられ、咲耶は瞳を輝かせた。
横では、鵲と東雲がテーブルに突っ伏していたのだが、それすら目に入っていない様子だ。
「へええ~! 本当にすごい人だったんだな、安田さんって!……あれ? じゃあどうして、そんなに優秀なボディガードだった人が、今は運転手をやってるんだ? 怪我や病気でもしたのか?」
不思議そうに訊ねる咲耶に、龍生は薄く笑ってみせた後、憂い顔で睫毛を伏せる。
「いや。怪我や病気などはしていない。……至って健康だよ」
「え?……じゃあ、どーして……」
「それは――」
目の前のティーカップをじっと見つめると、龍生はスプーンを持ち上げ、すっかり冷めきってしまったミルクティーを、意味もなくかき混ぜ始めた。
かき混ぜながら、ぽつぽつと語り出す。
「安田はもともと、俺の家族専属のボディガードだったんだ。だからあの日……俺が東雲達に攫われた日も、当然家にいた。それなのに、易々と俺を連れ去られてしまったことを、酷く気にしていて……『自分にはボディガードの資格がない』と、祖父に辞職を願い出たんだ。父ではなく、祖父に伝えたのは、安田の直接の雇用主が祖父だったからだ。祖父からの依頼で、安田は俺達家族のボディガードをしてくれていたんだ。……だが、先ほども言ったように、安田は優秀な男だったから、祖父は辞めさせたくなかった。何度も考え直せと言ったんだが、安田も頑固だからな。聞き入れてはくれなかったそうだ。それでも、どうしても辞めてほしくなかった祖父は、運転手ならどうかと、妥協案を出したんだ。それで安田も根負けして、祖父の申し出を受け入れたというわけだ」
「……そうだったのか。そんなに優秀な人が……。残念だな」
本当は、辞めたくなかったんだろうなと思ったら、皆、なんとなくしんみりしてしまった。
まだ突っ伏したままの鵲と東雲も、責任を感じているのだろう。更に沈み込んでしまったように見える。
龍生は、そんな雰囲気を追い払うかのように、明るい口調で。
「確かに、当時は辛い気持ちもあっただろう。――だが、鵲と東雲を雇い入れてからは、安田が二人の教育係を引き受けてくれてな。傍から見ていると、問題ある生徒二人を、ビシバシしごいている教師のように見えて、なかなか愉快だった。本人も、意外と楽しそうだったしな。……フフッ。普段は穏やかな安田が、教育する側に回ると、鬼教官のようになるんだ」
「鬼教官!?――あの、見るからに人の良さそうな安田さんが!?」
咲耶が、心底驚いたように声を上げる。
龍生はクスクスと笑いながら、小さくうなずいた。
「ああ、そうなんだ。以前テレビで、自衛官候補生の教育訓練の様子を目にしたことがあったが、あれに似ていたな。鵲も東雲も、あの大きな体でヒーヒー言いながら、毎日安田のしごき――……もとい、教育を受けていたよ」
「へええ~。あの、虫も殺せなさそうな安田さんが。それは見てみたかったなー」
咲耶の瞳が、またキラキラと輝いている。
二人の会話を横で聞いていた桃花は、
(咲耶ちゃん……そんな辛そうな場面が『見てみたかった』なんて……。もしかして、S……なところが、あったりするのかな?)
内心ドキドキしながら、曖昧な微笑みを浮かべていた。
咲耶は、穏やかな安田が豹変する――という部分に、興味があっただけなのだが。
話に夢中で、自分の知らぬところで、桃花にちょっとした誤解を受けていることなど、まったく気付いていなかった。
龍生からいろいろなことを知らされ、俄然、安田に興味を持ってしまった咲耶は、直接本人から話を聞きたがった。
しかし、彼の勤務時間は、龍生を家に送り届けるまで――という風に、一応決まっている。
安田も、鵲と東雲同様、住み込み組(通いではなく、この家に住まわせてもらい、職務をこなしている者達)なので、母屋の方にいると思うが、わざわざそれだけのために呼ぶというのも、悪い気がした。
その上、咲耶が安田に興味を持ち過ぎているようにも感じられ、少々モヤッとする。
「今日の安田の勤務時間は、もう終わっているよ。疲れているだろうし、話を聞くのは、また今度にしよう」
龍生はそう言ってごまかし、咲耶の願いを受け流した。
咲耶は残念そうに顔を曇らせたが、『疲れているだろうし』と言われてしまっては、強く頼み込むことも出来ない。大人しく引き下がった。
「話なら、これからいくらでも、聞く機会はあるだろう? そうガッカリしないで、東雲達の話の続きを聞こう。――いいだろう?」
龍生の言葉に反応した鵲と東雲は、慌ててテーブルから体を起こし、ピンと背筋を伸ばす。
咲耶も『そうだな。誘拐事件の話は、二人から聞けるしな』と応じ、二人に向き直った。
「それでは、二人とも。話を再開してくれ」
龍生にそう言われたものの、二人は困ったように顔を見合わせる。
「いえ、あの……俺達に話せることは、全部話したと思うんですが。安田さんに呆気なく捕まった後は、龍之助様にお会いして……いろいろお話させてもらった後、今回のことは、『全て任せろ』と言ってくださって……」
「はい。それから後のことは、全て龍之助様が処理してくださったって、俺達は聞いただけで……。あの後、五十嵐とどんな風に話を付けたのかまでは、詳しく知らされていないんです。保科様のことも、気になって訊ねてはみたんですが、『あの子は外国に行ってしまった』って、俺達は聞いてましたし」
「はあっ? 外国?……外国など、私は一度も行ったことはないぞ? ずっと日本の学校に通っていたしな」
咲耶が驚いてそう告げると、二人は再び顔を見合わせ、
「そう……なんですか?」
「……じゃあ、龍之助様は、どーしてあんなことを……?」
不思議そうに、しきりに首をかしげている二人を前に、龍生は小さくため息をついた。
「お祖父様が、咲耶は『外国へ行った』と告げたのは、おまえ達の心を守るためだ」
龍之助から直接想いを聞いたわけではないのだが、たぶん、そういうことなのだろうと、龍生には思っていることがあった。
「えっ!?……俺達の心を守るため……?」
「どっ、どーゆーことですか坊ちゃんッ!?」
「あの頃、おまえ達は罪悪感でボロボロだっただろう? 『いくら脅されたからとはいえ、あんなに小さい子を怖がらせて、泣かせてしまった』『きっと、心に一生残る傷を作ってしまった。どうしても謝りたい。あの子の居場所を教えてください』って。……『許してもらえるとは思わない。それでも、何度でも謝りに行く。一生、罪を償い続けるつもりだ』などと言って、何度お祖父様が、『全て任せろと言ったはずだ。おまえ達が気にする必要はない』と言っても、聞こうとはしなかった。『あの子に謝りに行く』と、そればかりだった。――そうだったろう? 覚えていないか?」
「う……」
「それは……確かに、そんな感じだったと思います、けど……」
当時のことを思い出したのか、二人は蒼い顔でうつむいた。
「お祖父様は事件の後、咲耶がその時の記憶を全て失くしてしまったことを、咲耶のご両親から聞いて知っていたんだ。おまえ達が謝るために会いに行ったりしたら、咲耶を混乱させてしまうだろうし、咲耶が記憶を失っていることを知れば、おまえ達も、そのことをずっと気に病んで、自分を責め続けるだろうと思った。だからお祖父様は、咲耶もおまえ達も……どちらの心も守るために、咲耶の家族は外国に行ってしまったと、嘘をついたんだ」
「俺達の心を……」
「守る、ために……」
二人はしばし絶句し、呆然としていたが――。
やがて、『うわぁああーーーーーッ!!』と二人揃って大声を上げると、再びテーブルに突っ伏し、
「俺の…っ、俺達なんかのために、そこまで考えてくださってたなんて……っ!」
「お、俺……。俺っ、龍之助様と坊ちゃんに、一生ついて行きますからぁああーーーッ!! いらんと言われても、絶対ついて行きますからぁあああーーーッ!! 覚悟してくださいっ、龍之助様ぁあああーーーーーッ!! うぉおおーーーんっ、坊ちゃああああーーーーーんッ!!」
大の男が揃いも揃って、オイオイと泣き出した。




